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2012年5月20日日曜日

火の人間、水への憧憬

またまたすっかり間隔が空いてしまいました。
10日に2つ目の試験を終えて、残すは30日の最後の試験。で、今は絶賛準備中…なのですが、今回の3つの試験は三者三様で勉強の方針が違うのがいやらしいったらありゃしません。ま、1つ1つの違いを具体的にお話しても面白くないので省略しますが、次のやつに限って言えば、「教科書やハンドアウトをそのまま覚えても試験問題に答えることはおよそ不可能」と言ってよいと思います。
で、やるべき対策としては、それぞれのトピックに対して自分自身で(ないしは授業中に先生が話した)問題意識を設定した上でそれに沿ったトピックの分析を行っていく、という形にならざるを得ないと思うのですが、この作業、それ自体は「研究している感覚」があってつまらなくはないのですが、さりとて決して楽じゃあありません。ま、1か月とか2か月それにかかりきりになれるのならばまだしも、非常に幅の広いトピックを1つ1つじっくり検討するとなれば、20日ではとても足りないわけで、まあ、またいくつかに絞らざるを得ないのでしょうね。

つまらん試験の話はここまでにして。

僕は性格的に結構熱くなりやすい(それは、熱中するということでもありますし、すぐかっとなってしまうということでもあります。)のですが、いわゆる五行説とやらに則したなんちゃら占いによれば、果たして僕は「火」の人間なのだそう。

この限りでは、僕もうん、なるほどなるほど、と思ってしまうわけです。

で、この「火」の人間の相性、についても説明してくれるのがこの種の占いの定番、というわけで、それによれば、「火」は「木」と相性がよく(ま、火は木を燃やすからなのでしょう)、逆に「水」とは相性最悪なのだそうです。なんでも、水は、火を消してしまうからなのだそうで。

でもね、僕は水のある風景、好きなんですよ。特に海。
水を見ていると心がとても落ち着いて、癒される気分になるんです。
ほら、このブログでも、背景は海にしているでしょ。これ、モルディブに新婚旅行に行ったときに取った写真なんです。僕にとって忘れられない海の風景の1つ。

…ま、こんなことは誰だって同じかもしれませんし、僕の海への思いは、子供の頃海のない群馬県で育ったことも影響しているのかもしれません。でも、まあ、それはひとまず措くとして、この事実を占いベースで説明しようとすれば、次のようになるのかなぁ。

・火であっても、燃え続けることは楽じゃない。
・なので、余りに火がかんかんに燃え盛らないように、火をコントロールする必要もたまにはある。
・それに最適なものは、水である。

僕は占い師じゃないけど、まあ、占いってなものは、何とでも説明できるもんだなあ、と思うわけです。
でも、面白いことに、僕自身が好きな水、ってのは、決して鏡のように静まり返ったものじゃなくて、例えば太陽の光が波頭に反射しているような海(ああ、昔見た伊予灘が懐かしい!)とか、どこか「火」の要素が感じられるもの。こういったことも、占い的にはそれなりの合理性があるのかもしれませんね。

いずれにせよ、自分のキャラクターを考えるに、自分の熱い要素そのままに突っ走っちゃったら確かに際限なくなりそうな怖さも感じるので、どこかそれを本能的に抑えようとしているのかもしれません。そして、その「仮説」は、僕が今までいかなる局面においても自分の(本当の)100%を出しきったということはないという感覚に符合するな、と感じた次第。

===

そうそう、このなんちゃら占いによれば、小鴨は「水」の人間なのだそうです。ちなみに星座はみずがめ座なので、それはもう、コテコテの水人間(やっぱり小鴨だけに水鳥?)ということになりそうです。
とすれば、僕との相性は最悪なのだということになるのですが、上記のロジックを使うことによって、(自分自身をかんかんに燃え盛る火であるとした上で)まあ、「ちょうどいいんじゃない?」と善解することといたしましょう。当たるも八卦、当たらぬも八卦。

2012年2月8日水曜日

挽歌

今日、伯父が亡くなりました。
インフルエンザで。

91歳なので、年齢的には大往生と言っても差し支えないのでしょうが、直前までとても元気だったのがインフルエンザであっけなく逝ってしまったことが、とても悔しくてなりません。
たかがインフルエンザ、というわけではないのですが、(理屈では分かっていても)まさかインフルエンザで命を落とすなんて…と思わずにはいられないのです。

この伯父は、僕の父親の姉の夫なので、直接の血のつながりはありません。歳もものすごく離れているので、何か行動を共にする、ということがあったわけでもありません。それでも、会えばとても気さくな人でした(若かった頃は、さぞかしハンサムだったのではないかと思います。)。なので、(後述する事情もあり、)この伯父に会うのが帰省する楽しみの1つでもありました。

この伯父は、無類の酒好きでした。いかにも酒を慈しむような、愛でるような感じで、そのお猪口の持ち方、その掲げ方、口の近づけ方など、その1つ1つがとても絵になる酒の飲み方をしていたものです。そしてそれは、僕の酒の飲み方の一つの理想型にすらなっています。

日本に帰ってまた酒を飲むのを楽しみにしていたのに…。


今日の昼、日本からその電話があった時、僕はちょうど勉強をする気がなく訪れた大英博物館から出たところでした。そして、僕はその電話を受けながらレスタースクウェアまで歩き、パブに入ってエールで弔い酒を傾けたのでした。

でも、飲みながら、うーむ、やっぱりエールは伯父の弔い酒としてはあまりふさわしくないかも、と思ったのでした。

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そして、さっき、夕食をとった後、伯父の好きだった日本酒の熱燗で、弔い酒の仕切り直しをしたのでした。日本に帰って送り出すことのできない非礼を詫びつつ。

2012年2月4日土曜日

複数言語環境その2

タイトルの理由は、同じタイトルで以前書いたことがあるから。
ただ、今日は、以前のように英国を語るのではなく、自分自身のこと。

母語以外の言語を話す時ってのは、往々にして脳内で母語との変換作業を行うわけですが、これも慣れてくればその変換作業もかなり減ってきます。つまり、その言語が複雑な思考回路をそれほど経ることなく出てくるようになるってことです。ま、僕の場合には、ネイティブレベルに達することは端からあきらめていますので、「日常の基本的なコミュニケーションと仕事に堪え得る程度のレベル」においてですが。

まあ、30を越え、酒でいかれた脳には、このようになるまでは相当時間がかかるわけですが、中国語の場合には、上海駐在の終わり頃には何とか目標とするレベルまでは概ね達したのかな、という感じだったかな。翻って英語の場合には、本格的にやりだしてからまだ2年弱ということもあり、正直どのレベルなのか分からないのですが、ただ、今のところは、中国語のようには自由に表現できない(否、もしかしたら、英語の方こそ中高時代の基礎があるためにより複雑な表現を求めようとしているが故の苦しみなのかもしれません。)ような気がしてならないのです。まあ、ぱっと言葉を変える際に、中国語のほうが滑り出しがよいかな、という感じでしょうか。

で、最近困っているのは、次の2つ。
まずは、日本語―外国語のコンバートは、比較的流れに乗ってやりやすいのですが、外国語―外国語のコンバートは非常に難しい(文法から語彙からごちゃごちゃしてしまう)こと。例えば、この間の話。僕の論文のテーマのことでマレーシア(華人)と話をしていたのですが、そもそも日本語ですらちゃんとまとまっていないアイディアを英語で話すのは至難の業で、僕があーうー言っているのに業を煮やした彼女は「中国語で話して」とリクエスト。でも、中国語に切り替えても英語とごっちゃになったり、適切な中国語の表現が浮かんでこなかったりしてより混乱してしまい、会話にならずに大恥をかいちゃいました。
でも、これは外国語学習という側面からは比較的面白い話なのかもしれません。つまり、外国語を複数やると、当初は、外国語相互間に絶対的な優劣がつきます。なので、劣勢の外国語から優勢な外国語にコンバートすることはさほど難しいことではなく、逆に優勢から劣勢へのコンバートはほとんど不可能になる(優勢外国語がほぼ完全に支配する)わけです。ところが、当初劣勢であった言語に次第になじんでくると、その優劣のギャップが小さくなり、そうなってくると、相互に相手の言語が侵入しあったり、「どっちの言語で考え、話しているのか」分からない状態になってしまったりしてしまうわけです。おそらく僕は今中国語と英語に関してはそんな感じの状態で、これを抜ければトライリンガルへの明るい世界が待っているのでしょう。
でも、それは難しいんだろな…。
つか、もっと英語を話さないと(今僕に一番かけているのは、スピーキング!)…。

で、2つ目。
家では普段日本語を使っているのですが、小鴨との間で単発的に出てくる中国語の語彙は、往々にして(冗談で言い合っていることもあり)四川語のアクセントが多いんですよね。それに加えて、小鴨が電話で誰かと話す場合でも、まず四川語なわけで、どうも僕の中国語がどことなく四川語のアクセントっぽくなっているらしいのです。
それが証拠に、この間の春節の日、小鴨が上海時代の同僚(僕も知っている人です。)にあけおめコールをしたのですが(相手は西安人なので、普通話での会話です。)、その後電話を替わって僕が行った第一声「新年快楽!」が、どうも四川っぽいアクセントになって不自然だと自分で感じたとともに、その友達も「Mimakiirihikoの中国語、なんだか四川っぽい」といわれてしまいました。

うーん、いかんいかん。

2012年1月11日水曜日

方言萌え

東男に京女、とは昔からよく言われるわけですが、京女を語るときには、京ことばが重要なファクターとなっていることはだれもが認めるところでしょう。それも、「萌え」ファクターとして。

そういえば、京都在住の友人(女性)が、「京都弁使っておけば、おっちゃんたちは妙に喜ばはる」なんてことを言ったことがあるのですが、これもおっちゃんたちが京都弁に萌えていると言い換えて差し支えないのでしょう。なお、当人は、実は京都在住歴の長い但馬人というのは内緒の話。

ともあれ、方言を話す女の子に萌える、というのは少なからぬ男性において共通認識のようで、僕も結構賛成派です。前にも書いたけど、愛媛にいたときに、かわいい女の子が「~しようわい」と言っているのを初めて聞いた時は結構びっくりしましたが(だって、「わい」って言葉は、僕にとっては「ちゃうわい!」というように、男が強い口調で使うのになじむ語尾ですから)、この「わい」は、実際には優しい感じで発音されるので、「おー、かわいいじゃん」となるわけです。まあ、これも一種の「萌え」なのでしょう。

というわけで、youtubeをブラウズしていたら、日本のU局ネットで放送されていた「方言彼女。」という番組の「方言講座」というコーナーの動画がヒットしました。方言+美少女というコンセプトで、「美少女」という要素が「方言」の萌え度をより増大させているわけですが、見ていて方言も面白いものだなあ、とつくづく感心するやら笑うやら。

なかんずく、僕の中で特に秀逸だったと思うのは、親父の故郷でもある岐阜弁バージョン。これです。


共通語の浸透が激しい昨今、全てのボキャブラリーを方言にするというのは、方言話者本人にとっても至難の業でしょうし、それゆえ出来上がったものは往々にして「無理っぽい、古風な」ものになりがちで、これももしかしたらそうなのかも。でも、「買いからかす」、「買わなかん」、「ちょ」というのは、今でもごく自然な言い回しなのでしょうし、アクセントの位置の説明もナイスです。
そして、極めつけは、最後の「えか!」。これは、親父も良く使う念押しの言葉なので、岐阜で岐阜弁を使っている上では何てことのない言い回しなのでしょうが、この子は、共通語のニュアンスを正確に把握した上で、この「えか!」を「訳語」として当てており、かつ、それにより岐阜弁臭さをものすごくアップさせていることに感心することしきり。きっと、頭のいい子なんでしょうね。

ちなみに、中国語でも方言萌えがあるようで、上海辺りでは、女の子の話す蘇州方言は最大の萌えなのだそうです。僕にゃ、どちらもほとんど分からないのですけど。

上のような方言がらみの動画を見ていて、結構僕のツボにはまったのは、鹿児島弁でした。イントネーションもさることながら、「…がよ」という言い回しに思わず萌え殺されたのでした。薩摩おごじょはかくありなん、という感じでしょうか。


…そういえば、我が家にも「方言彼女」ならぬ「方言鴨」がおります。
実家に電話したり、シンガポールのX嬢とスカイプで話すときなどには方言丸出しになるわけですが、これが全く萌えなくて。

聴いてて面白いんですけどね…四川方言。

2012年1月2日月曜日

慶祝、そしてスイスの写真

ここロンドンでも、2012年が明けました。
僕たちは結局行かなかったのですが、ロンドン中心部では12000発の花火が打ちあがり、最前列の人はそのために8時間待ちをしていたとか。BBCで見ていたのですが、なかなか見ごたえがありました。

そして今日。ささやかに正月の真似事をしました。
久しぶりのお餅やお雑煮も悪いものではありません。特に、この2週間の旅行で基本洋食だった分、和食のあっさりした味は本当にほっとするものです。

…考えれば、日本人が一番伝統に忠実な日本人になるのって、この正月前後のような気がしてなりません。特に、クリスマス・イブまでは、なんかきれいなイルミネーションの中で、音楽も洋風のクリスマス・ナンバーが流れているくせに、クリスマスを過ぎると途端に和風モードに急転換!まあ、コマーシャルサイドにはそれなりの思惑があるのでしょうが、我々の気持ち自体もやっぱり「お正月」ってのは、何かこう、日本人を「日本人」に回帰させる不思議な雰囲気があるんじゃないかな、って。

そして、僕は、そういったものを全く感じなくなって3年、また、余り感じにくくなって7年ほどになるでしょうか。「余り感じにくくなった」とは、上海駐在を始めて、帰国が12月30日頃、上海戻りが1月3日頃ということが続いたからです。昨日も少し触れましたが、やっぱり何かこう、さびしいな、という感じがしないわけではありません。でも、それは自分で選んだ道だし、その代わりになかなか得がたい経験も(おそらく)しているだろうし、ということで自らを慰めるしかないのでしょうね。

===
夕べ、旅行の写真をブログ用に編集しておこうと思い、スイスの部分だけをピックアップして圧縮したのですが、それでも50枚ほどになり、トホホ…といった感じです。
でも、この際ですので、一部をここでアップしておきましょう。

12月25日。僕たちは、ロイカーバート(フランス語:レーシュ・レ・バン)という、プレ・アルプスに抱かれた温泉町に出かけました。

ヌーシャテルは、それはそれはいいお天気で最高のドライブ日和!E嬢も、こんな天気はラッキーだというほどの真っ青な空です。


スイスの高速道路は無料かつなかなかよい整備状況。雰囲気は、坂のきつくない中央道か上信越道か、といった感じでしょうか。何となく日本の長野県辺りを走っているような感覚にもなりました。

車は、ヌーシャテル湖岸を南西に進んだ後、更に南に進路をとります。


正面の二つのこぶのような山は、E嬢の説明では「双子山」(←相撲とは関係ないよ!)というそうな。

…と、レマン湖が右手に見えてきました。雪を頂くスイス(orフランス)の山に抱かれた湖の色は、コート・ダジュールを髣髴させるほどの青さで、山の白のコントラストと相まって、絶景としか表現しようのない美しさです。こういったものが高速道路のサービスエリアから見えるのですから、贅沢きわまりありません。




その後、車は今度は西方向に進路を取り、シオンというところに入りました。E嬢によれば、ここら辺がスイスでももっとも豊かな場所の1つだとのこと。確かに日当たりもよく、ワイン用のぶどう畑もあたり一面に広がっています。


で、高速道路の終点からは、次第に上の写真にあるような山を登っていきました。と、道路標識がそれまでのフランス語からドイツ語一色に。そうです、我々は、スイスのフレンチ・パートからジャーマン・パートに入ったのでした。

そして、雪に覆われた森の中を元気に駆け上がってゆきます。


…そしてたどり着いたロイカーバート。あたり一面雪・雪・雪!!
まずは駐車場で車を止めて村はずれのレストランに足を運びます。車は入れず、雪道を歩くことに!




で、一応場所を確かめようと、クロスカントリースキーのいでたちで上ってきたおばちゃんにE嬢がフランス語で尋ねます。と、このおばちゃん、怪訝そうな顔をした後、"Non francais"と一言(※ほんとは、cの下にひげのようなものが付きます。)。果たしてこのおばちゃん、スイス・ジャーマンの人のようでした。で、E嬢は英語に切り替えて質問。おばちゃんも無愛想な英語で返します。九州ほどの大きさの国で、こんな状況があるってのも非常に興味深く思いました。


前を歩いているのが件のおばちゃんです。

で、たどり着いたレストランで、僕と小鴨は、地元のソーセージ料理を食べました。これがでかくて、かつ、美味!!ちなみにE嬢夫妻は、チーズフォンデュをチョイス。一口ご相伴に与りましたが、やっぱり本場はちゃうわー、と思ってしまいました。


ちなみにこのレストランのウエイトレスのおばちゃん、おそらくドイツ人だと思うのですが、E嬢がフランス語で話しかけたら完璧なフランス語で対応し、僕たちには僕たちより上手な英語でも話しかけてきました。観光地ゆえ必要に迫られてなのかもしれませんが、思わず脱帽です。これもスイスの奥の深さか?

お腹を満足させた僕たちは、いざ、ロイカーバートの街中を通り、温泉へ向かいます。



そして、温泉。
残念ながらカメラを持ち込めなかったので写真はないのですが、もう、これがすばらしいの一言に尽きます。
ヨーロッパの温泉は水着着用で、ここには屋内・屋外それぞれにプールのような温泉設備があるのですが、特に屋外のそれは、本当にプレ・アルプスの峰峰に抱かれ、ちょうど夕暮れの時間に当たっていたこともあり、言葉では言い表せないほど幻想的な風景でした。西から東にかけて赤から青へと変化する空のグラデーション、西日を最後まで浴びて赤く染まる雪の峰の頂、西に見える宵の明星と新月…。ハイジがフランクフルトであこがれていたスイスの景色はかくあるものか、とも思いつつ、日本を出て以来7年めったに入れず、特にヨーロッパに来てから全く入ることができなかった温泉を心の底から堪能したのでした。

温泉を十二分に楽しんで外に出ると、そこは、雪深いスイスの田舎の夜の風情。これもまた格別の興趣でした。




…そして、僕たちは、来た道を戻る格好で、夜の9時半、ヌーシャテルに戻ったのでした。
本当に楽しいスイス温泉紀行でした。

===

というわけで、最後になりましたが、今年も本ブログにお付き合いのほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます!
そして、震災の復興にいろいろな形で尽力されている皆様に、心よりの敬意と応援を表したいと思います。

2011年12月31日土曜日

ゆく年くる年

29日の夜、ロンドンに帰ってきました。
とても疲れた、という感じではありませんが、やっぱり少しは疲れているのでしょう、この2日間は、起床時間が遅くなっています。

で、ロンドンは、今まさしくバーゲンシーズン!当然足を運んだわけですが、うん、確かに50%引きなどがざらで、普段高くて買えないものでも手が出る価格になっています。というわけで、僕も少し買ってしまいました。

そして今日31日。
あわてて日本食材の店に足を運んだのですが、あまりたいしたものはなく(というか、行ったのが遅すぎて売れ切れてしまったのでしょうか)、白豆、黒豆とお雑煮用の餅などを少々(我が家のお雑煮は、親父の故郷の岐阜スタイルなので、材料が至ってシンプルなのが幸いしています。)。まあ、仕方ありませんね。

上海時代であっても年末年始は日本に帰省を心がけていたのですが、2010年の新年以来正月の日本を味わっていません。これで3年連続。日本のTVのチューナーをつけていないので紅白も見ることができず、なんとなーく心さびしい気分でもあります。ま、時差の関係で、紅白の時間はこちらのお昼頃となるので、仮に見たとしてもあまり気分は出ないかもしれませんけどね。

去年の年末は、ボーンマスで、そのときたまたま短期間いざるを得なかったアゼルバイジャン人を交えて簡単な正月のまねごとをしたことをふと思い出すと共に、この年越しがイギリス生活最後の年越しとなることに、不思議な感慨を覚えずにはいられません。

今は、スイスで買ってきたヌーシャテル産のピノ・グリのハーフボトルを飲みつつ、そして、本当にいろいろあったこの1年を思い返しつつ、このブログを書いています。後もう少ししたら、年越しそばを食べる予定です。もっとも、小鴨の場合には、そばがそもそも嫌いなので、結婚以来毎年恒例の「年越しタンタンそば」なわけですけどね!

ともあれ、これをもって今年のブログの書き納めといたしましょう。
いろいろな理由でこのブログにたどり着かれたと思いますが、ともあれこのブログを読んでいただいた方に心からの感謝を申し上げると共に、来るべき年(否、アジアではもう既に「来た年」か!)の皆様のご健康とご多幸をお祈りする次第です。




2011年11月27日日曜日

マカオのカジノ

大王製紙の前会長が特別背任で逮捕された、というニュースは、僕にとってもいろいろ興味深いところがあります。

もちろん、それは法的意味においてもそうなんですが、そんな堅苦しいことはこのブログにはなじまないですよね。
それよりはむしろ、借りたカネの使い道。


マカオのカジノで90億円!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111126-00000994-yom-soci


いや、非常に他人事として考えれば、この前会長、実に「男前」ですよ。
いまどきギャンブルにここまでつぎ込むなんてこと、普通の感覚じゃじゃなかなか思いつきませんからね。
一晩に5億ぶち込んだことがある、っていう話に至っては、そもそもどうやったらそこまでぶち込めるのか、とむしろ不思議にすら思うくらいです。


僕も、マカオには何回か行ったことがあり、そうなれば、カジノはもう「必然」のコースなわけです。
特にここ数年は、大規模なカジノがいろいろできたこともあり、そんなカジノのはしごなんてのも乙なものです。おまけに24時間営業!いつでもギャンブルができちゃいます。
そんなマカオの爛れた雰囲気というか、堕落した人間の欲望が街に漂っている雰囲気が、僕は好きなんです。

ま、こんな偉そうなことをいうものの、カジノでは、もっぱら大小とブラックジャックばっかりです。つまり、堅実にやれば勝率を五分五分に持ち込める「安全」なギャンブルです。実際、2009年の年末に大小でバカヅキした以外は、ほぼ収支トントンですし、投下資本自体も大したことありません(たとえ全部すったとしても、「あー、1日この雰囲気で適度に遊ばせてもらったな」と納得できる程度の額です。)。

でも、カジノの中には、そんな「お遊び気分」ではない人たちがいるのもまた事実。
特にバカラ(百家楽)のテーブルには、そんな「マジ」な雰囲気が濃厚なように感じます。

話によれば、バカラが一番ギャンブルとして面白いのだそうですね。でも、僕は、幸か不幸かバカラのルールを良く知らないので、ギャンブラー(もはや「博徒」!)たちが真剣なまなざしでカードを見つめる濃厚な雰囲気を横目に、ただ通り過ぎているだけです。

ところで、大王製紙の前会長殿は、マカオではバカラの高額テーブル(つまり、賭け金の最低額が高額に設定されているところ)におられたとのこと。これはもう、前会長殿が遊びを越えた「マジ」なギャンブラーであったことを如実に示すものではないか、と思うのです。

高額テーブルの賭け金最低額がいくらかちょっと忘れましたが(HK$500とかHK$1000とかかな?いや、本当のVIP席ならそんなはした金ではないかもしれませんね。)、僕などは、賭け金最低額がHK$100(まあ、1000円ちょっとくらいかな。今だと。)の「普通の」テーブルでチップを出してベットするだけでも「おえー、このチップHK$100なんだよな。成都ではタンタン麺30杯は堅いよな」なんて考えてしまうわけです。

…いや、これは、やっぱり小市民的発想なのかなぁ。特にタンタン麺換算をしてはいけませんな。

でも、実際問題恐ろしいのは、カジノにしばらくいると、HK$100のチップが次第に1円以下の価値に思えてくることです。つまり、チップは、それが表章するべき金銭的価値を失って、単なるプラスチックの円盤に見えてきてしまうのです。ちょうど、パチンコ屋でいうパチンコ玉のようなものですね。なので、負けが込んでもその場では余り痛みを感じず、更にお金をつぎ込んでいってしまう人の気持ちも分からないわけではありません。カジノのあの雰囲気は、確実に人間をそういった堕落の世界に導いてくれます。
僕は、そこをタンタン麺換算法を駆使することにより、なんとか理性を保っているわけです。なので、やっぱり1杯3元ほどの成都のタンタン麺に感謝をしなければなりませんねちとしつこいか?


タンタン麺はさておき。

それにしても、帝王学を学んだ大企業の創業者一族の御曹司ともあろう人が、何でマカオのカジノだけで90億!と思うかもしれませんが、もしかしたらそういう御曹司だからこそ、あの堕落した雰囲気に身も心もどっぷり飲み込まれてしまったのかもしれませんね。まあ、そうだからと言って、彼をかばうつもりも全くありませんけど。

一方、御曹司ではない僕としては、昔水戸黄門で見た、風車の弥七が堵場のシーンで見せた粋な姿(「うーん、今日はついてねぇや、ここで切り上げるぜ!」的なセリフと共に)を見習いたいものだな、と感じたのでした。適度に遊んで適度に切り上げる、ってやつですな。

「男前」な遊びは、決して「粋」ではないわけで。
僕の目指すべき方向は、「男前」な遊び人ではなく、「粋」な遊び人!

2011年11月15日火曜日

桃夭

月曜日は、授業が午前と午後の2コマある上に、特に午前の授業の予習が結構大変なこともあり、加えて翌日は授業がないということも相まって、夕方7時頃帰ってきたら気分は完全に週末モードです(その代わり、日曜日は勉強をせざるを得ないので、「週末」という感覚もいまいちとなっています。)。

ともあれ、今夜は夜に勉強する気がなくなったので、雑談を少々。

桃夭。
高校の漢文の教科書で出てきた、詩経のなかでも特に有名な詩です(しかし、漢文ネタを書くとき、ネタ元が高校の漢文に由来してしまうのは、自分自身の教養と発展のなさをさらけ出していて恥ずかしいのですが。)。
僕自身は、「老子」、「荘子」(これらは、僕の思想のバックボーンになってます。)に加え、詩なら唐詩が好きなのですが、この桃夭をはじめて読んだとき、思わずハッとしたことを今も覚えています。

この大らかさは何なんだ!
この桃(=嫁ぐ娘)の瑞々しさは何なんだ!

って。

このような感覚は、万葉集の歌を読んだ時に感じたものに近いのかもしれません。
決して高度に洗練されていないけれども、人の心が素朴に素直に短い言葉で表されている。そして、それが美しい絵にすらなる…。
人、というのは、もともとこういうものだったのかもしれません。

というわけで、ちょっと2つを並べてみましょうか。
まずは、桃夭。

桃夭

桃之夭夭  桃の夭夭たる
灼灼其華  灼灼たり 其の華
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其室家  其の室家に宜しからん




桃之夭夭  桃の夭夭たる
其実  (ゆうふん)たり 其の実
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其家室  其の家室に宜しからん




桃之夭夭  桃の夭夭たる
其葉蓁蓁  其の葉 蓁蓁たり
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其家人  其の家人に宜しからん


じゃ、万葉集は、一番最初の雄略天皇の長歌にしましょうか。

泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代 大泊瀬稚武天皇
天皇の御製歌

籠(こも)もよ み籠(こも)もち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ座(ま)せ 告(の)らめ 家をも名をも

あと、ついでにもっと有名な柿本人麻呂のこの短歌も。

東(ひむかし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ


うーん、どちらも劣らず美しい!
歌(詩)の世界に心が解き放たれる感じすらします。現代人がすでに失ってしなった「何か」を、彼らは持っていたのでしょう。

…2001年から2002年、僕が北京に留学していたとき、中国は大ジャンプをする直前だったような気がします。そして、僕がそのとき出会った中国人は、みんな自分たちの未来を信じて前に進もうとしており、それが僕にはまぶしかった…。「日本人が失った『何か』をこの人たちは持っている」ってね。

そして時は過ぎ、2011年。チャイニーズ・ドリームを実現した人たちは、日本じゃ想像も付かないような豪華な家を建て、外車を乗り回し、海外旅行に出かけてブランド品を漁っています。
…でも、僕が10年前に見た「日本人が失った『何か』」は、「そういった人たち」には見られなくなっています。これじゃ、中国は、日本が通ってきた道をただ後追い(ま、それもド派手な形で、ではありますが)しているだけじゃないか、と感じずにはいられません。とすれば、その先にあるものは推して知るべしです。きっと「そういった人たち」は、もはや桃夭を読んでも何にも感じなくなっているのかも(中国の中学生や高校生は、この詩の何たるかよりもこれを丸暗記することに熱を入れてそうだし…。それは、いわば「『そういった人たち』予備軍」ともいえるでしょう。)。

これが社会の発展のモデルならば、人間として余りに悲しいではありませんか!
とはいえ、このような時代に生まれてきてしまった以上、そういった時代の流れにシンクロさせていかなければならない面があることも事実。それでも、その一方で、こういったものを美しく感じることのできる「感性」、ないしは「心」を決して失いたくはない(そして、それがいつかきっと新しい価値観の源になるはず)、と改めて思ったのでした。

2011年10月25日火曜日

本当にすごい人って。

ここ数か月、同窓生のメーリングリストへの招待が立て続けにいくつかあって、新たに参加しています。
1つ目は、今の大学(LLM)の日本人留学生のもの。まあ、これは流れで僕が立てたものですが。
2つ目は、中学・高校の同期のジェネラルなもの。これまでも、近しい友達同士で作っているメーリングリストがもう10年以上続いているのですが、それとは別に。
3つ目は、大学の合唱団の比較的近い年次のOBのもの。

…というわけで、わたくし、現在4つのメーリングリストに入っている、ということになります。

こういったMLを見ていると、かつての仲間は本当にいろいろな進路を進んで、30台も後半となれば、いっぱしのものも出てくるわけです。

で、JR最年少の駅長(松江駅)となった僕の合唱団の1つ上の先輩などは、失礼を省みずに言えば、そういった「いっぱしのもの」の一例なのでしょう。
この先輩、大学時代は、やはり同じく合唱団のメンバーとセミプロで漫才をやっていたりするなど、非常にバイタリティがある方なのですが、そういった華やかな表の顔だけでなく、学業もきっちりと修めていたようです。ちなみに、漫才の相方をやっていた方も、その実とても勤勉で、今では(その後の経緯により)在学時代の学部とは異なれど、社会に出てからのキャリアを生かす分野で母校の准教授に就任しているわけですから、やはりただ者ではありません。


…考えてみれば、本当にできる人、というのは、往々にしてそういった「両方の顔」をしっかり持っているように思うんですよね。だから人間としてバランスも取れているし、かつ、面白い。


そう思いつつわが身を振り返ると、僕自身は、「両方の顔」を持とうといろいろ努力したけど、結局中途半端な顔しか持てずにいるような気がしてなりません。まあ、それでも何とかやってはいけるのだけど、人間的な「輝き」はいまひとつだなあ、と思わずにはいられないのです。

ある時点で、「自分」を捨てきれなくなって、いつしか自分が心地よい領域に自己を規定してしまったような気がしてならない。そしてそれが自分自身の新たな「脱皮」を阻害している。そして、そういったことが頭では分かってはいるのに、「自分が規定してしまった枠」から抜け出すことができないでいる、そういったもどかしさにしばしばさいなまれてしまうのです。

…いや、そりゃ自分自身エキセントリックなところはありますよ。リスクの高い国家試験を受けたり、仕事でも普通とは違う特殊な分野を選択したり、海外に飛び出したり、外国人と結婚したり。どれもこれも、決して多くの人が好んですることじゃあありません。でも、僕から言わせれば、これらのいずれもが、対人関係において自分が規定した「枠」とは全く関係なく、結局この枠自体は変わらず維持されているんですよね。

まあ、自分自身の成長過程におけるいろいろな内的・外的要因がそうさせたのでしょうし、その中のいくつかの要素は僕自身も簡単に思い当たるところがあります。ともあれ、とにかく自分自身の「キャラ作り」に失敗したかも、という現実を受け入れつつ、それでもより人間として魅力が出るように自分を高めていかねば、とも思うのでした。


まあ、それはそうと、松江駅をこれからもよろしく!

2011年10月8日土曜日

韓食のグローバル化、という話

この間、家からバスで15分くらいの場所にある韓国料理屋に出かけたのですが、レジの横に「ロンドンの韓食マップ」が置いてありました。これがそのマップの表紙です。


で、その発行元の1つとして、「韓食世界化推進委員会」とハングルで書かれていました。おそらく韓国政府の肝煎りでできた委員会なのでしょう。
韓国が国を挙げて韓国料理、つまり「韓食」の世界化を推進している、という話を聞いたことがありましたが、このマップも、そういった「韓食の世界化」キャンペーンの一環なのでしょうね。

韓国料理、僕も好きですよ。特にスープものが。例えば、スントブ(=純豆腐。おぼろ豆腐のようなものなのでしょうね。)チゲとかキムチチゲとか。四川料理や湖南料理を普通の日本人よりも多く食べている僕とすれば、韓国料理に特徴的といわれる辛さも、僕にはむしろ適度な甘みのある辛さに感じられ、それもまた魅力なのだと思っています。

それにしても、韓国政府は、なぜ国を挙げて自国の料理を「世界化」すべくPRするのだろうか、とふと考えてしまいます。そんなことをしなくても、おいしければ確実に受け入れられるはずだし、そうなる力が韓国料理にない、とは思えないのに(たとい広く受け入れられなくても、コアなファンはできることは間違いないと思います。)。実際、以前住んでいたボーンマスには、韓国人も認めるおいしい韓国料理屋があったのですが、もとハウスメイトのスペイン人のA嬢などは、そこの韓国料理の味が忘れられず、一旦帰国してまたボーンマスに戻ってきた時に、早速その店に行ったとか。このA嬢は、その韓国料理屋によって確実に韓国料理ファンになったはずです。
もちろん、何らかの理由で韓国料理が嫌いな人、というのもいるはずですが、それは全く自然な話で、単に「口が合わない」だけのこと。こと味覚は主観的要素が強く、「万人に好かれる」ものなどないんじゃないか、と思います。

なので、韓国料理も、何も無理して国を挙げてPRせずとも、草の根で十分広まっていけばいいのに、と他人事ながら思ってしまうんですよね。
もっとも、韓国人ではなく、かつ、韓国の外に住んでいる僕の超個人的見解としては、次のようなことに配慮する必要はあるのかな、と思いますが。

(1)無理に気取らない。
・・・宮廷料理のような高級感で攻めるよりは、むしろチゲ、チャプチェ、トッポギなどの家庭料理で攻めた方が確実。高級感を前面に出さずとも世界で広まりうるのは、例えばタイ料理、ベトナム料理、そして四川料理などが実証していると思います。

(2)無理に他国の料理と「抱き合わせ」をしない。
・・・イギリスでも、例えば韓国料理屋が日本料理を併せて出すケースがまま見られますが、あれは日本料理としてダメダメなのはいうまでもなく、韓国料理自体もだめにしているんじゃないかな、と思うんですよ。韓国人が韓国料理に真にプライドがあるならば、韓国料理一本で戦うべきと思うのは、僕だけでしょうか?

(3)無理に進化させない。
・・・現地人の口になじむように自然に「進化」することはありでしょうが、まずは基本に忠実なもののほうがかえってウケが良いのではないでしょうか? どんな国の料理でも、食べ慣れると、結局、最もスタンダードなものに回帰するように思うんですよ。僕の場合には、四川料理だと魚香肉絲とか、麻婆豆腐とか。日本料理だと、出し巻き玉子とか、煮物とか、焼魚とかかな。あとはお茶漬け(この間親が、僕の好きなブランドのなめ茸を送ってくれて、気分は最高!!)。

まあ、急いては事を仕損じる、というところでしょうか。

2011年9月24日土曜日

パラダイムの動揺

今日は、ちょっと「微妙」な話。

この間、youtubeのある動画を見ていたら(これ自体は台湾のものだったような。ちなみに、僕の知る限り、youtubeは中国大陸(HK、マカオを除く)からは原則見ることができません。)、「台湾」に関して台湾人と大陸人(おそらく留学生?)とが激しくコメント上で罵り合っていました(使用する文字が簡体字と繁体字なので、どちらがどちらかは一目瞭然なのが面白いところです。)。

まあ、端的に言えば、台湾のユーザーが「台湾は台湾だ、大陸とは違う」と主張するのに対し、大陸側が「中国が1つなのは常識過ぎるほどの常識であり、今更台湾がさも独立したような言い方をしても、大陸では常識はずれと笑われるだけだ。」と言い返す、という、まあ、定番といえば定番の罵り合いです。

まあ、政治やイデオロギー的な問題はさておいて、この議論、「グローバル」かつ「一般人」の目線で見たときに、どちらが本当に「笑われる」と思いますか?

…僕は、自分の経験からすれば、大陸側だと思うんですよ。大陸人には申し訳ないのですが。

僕もここに来て驚いたのですが、少なからぬヨーロッパ人は、台湾が独立国家であることを当然の前提として話す人が少なくないのです。それに、台湾人自身も自らをChineseとは言わず、Tiwaneseと言いますしね。とにかく、「中国は中国語だよね。台湾も中国語を話すの?」なんていう質問を受けたことは1度や2度ではないのです。

このような状況に遭遇した大陸人が、たとい自らの立場を主張したとしても、相手は、「うーん、何か難しい問題があるようだね(心中:うざ~。でも、結局政府は2つあるんだから、やっぱ違う国じゃん※)」と反応するのが関の山だと思うんですよ。加えて、僕の経験した限り、西ヨーロッパ人は、「共産主義」とか「社会主義」に対するアレルギーが僕が予想したよりも強いようですので、それが確かならば、そもそもの部分で大陸人の国家やイデオロギーに対する主張にはディスアドバンテージが伴いやすいように思うのです。

※「国家」という概念をいかに解するか、というのは、国際公法の最初の論点のように記憶していますが、ここでの「国」は、そういった議論は全く踏まえておりません。

で、僕はと言えば、そういったヨーロッパ人の反応と台湾人のアイデンティティーに配慮しつつ、それでもどこか小鴨が感じるであろうところも慮り、英語でも(台湾人と話す)中国語でも、必要があれば「大陸(人)」と「台湾(人)」と表現する一方で、むやみに「中国(人)」という表現を使うのを避けることが、ここに来てから多くなったような気がします。

===
歴史や教育、というのは、往々にして政治の影響を受けがちになるのですが、それでも自ら批判的に検証できる機会があれば、自分なりのスタンス、と言うのを得ることができるように思うのですが、そういう機会がない環境で生まれ育った人がいきなりそれとは異なる環境に行けば、そこにパラダイムの動揺が生ずることは否めません。

例えば、最近ある中国人(大陸人)とフルシチョフの話題になったのですが、なんでも中国ではフルシチョフは大悪人と位置づけられているとのこと。西側の評価はそれとは異なるわけで、相手はびっくりしてました。中国との関係では、いろんな人物、いろんな事件について、そういった状況が出てくることが少なくないような気がします。

そして、そのときにどう対応するべきか、というのが問題になるわけですが、新しいパラダイムをそのまま鵜呑みにしたり、もとのパラダイムに理由なく固執したりすることは、ある意味「楽」な選択肢なのかもしれませんが、最終的にはその人にとって不幸なことだと思うんですよね。だって、それって、「考える」というせっかくのチャンス(それは、自らを成長させるチャンス、と言ってもよいのでしょう。)をみすみす逃してしまっているわけなんですから。

まあ、先の例でも、双方の主張に基づくその人物や事件の功と罪と評価しなおして、「自分なり」の意見を持つことが大切なのでしょうね。それが外に現れるか否かは、「ひとまず」別問題として。

うーん、つまらない話、かつ、いろんな状況に配慮してややオブラートに包んだような言い回しでごめんなさい。まあ、眠いついでの戯言なので、適当に流してくださいな。

…あー、むずかし!

2011年9月1日木曜日

世界のあちこちから

今こうやって使っているブログスペースは、googleがやっているものなんですが、その管理画面では「統計」というタブがあって、どの国からこのブログにアクセスしているのか、っていうのが分かるようになっています(あくまでも「国」までしか分かりませんので、この点ご安心を!)。

で、それを見ると、ハイ・フリークエントなのが日本とイギリス(=小鴨と僕)っていうのは全くもって当然な話。中国からのアクセスがたまに見られますが、これもまあ知り合いがいるだけに仕方ありません。アメリカから、っていうのも、(少なくとも7月くらいまでのものについては、)おおよそ誰か察しがつくところです。

ただ、知り合いに全く心当たりのない国からのアクセス、ってのもあるんですよね、ごくたまに。この間など、ラトビアから1日に立て続けに8回のアクセスがありました。ラトビアには、ボーンマス時代のハウスメイトが住んでいることは住んでいますが、僕の知る限りでは、彼女は日本語は全く分からないので、彼女がアクセスしたとは到底考えられず、これは1つのミステリーですね。他の国でも、単発的なアクセスがちらほらありますが、これは、おそらく何かのキーワードでググった時にヒットしちゃったんだろうな、ってことも大方想像できます。

そういった中で、唯一、知り合いに心当たりがないにもかかわらず、(インターバルの長短はあるものの)定期的にアクセスのある国があるんですよ。

…それは、ドイツ。

もしかしたら、ドイツ在住のどなたかが、何かの折にたまたまこのブログにアクセスし、そのまま読者になっていただいているのかもしれません。

このブログは、積極的なPRをしていないという意味において、「閉じた」空間として運営していますので、知り合い以外が定期的に読者となっていただくということは、基本的に想定していませんでした。でも、もし、一人の方が継続的にアクセスしてくださっているのであれば、僕にとっては非常に励みになることでもありますし、思わず襟元を正さずにはいられない気持ちにすらなります。

ともあれ、このブログ、日頃思ったりしたことをだらだら書いているに過ぎない代物ですが、このペースを崩さずに、気長に続けていこうと思っていますので、これからも、よろしく!

2011年8月21日日曜日

カウンターテナー

今日は、気晴らしにカウンターテナーにまつわるつれづれを。

カウンターテナーという男声パートは、日本では米良美一が「もののけ姫」を歌って一躍有名になったので、「ああ、あれね!」とピンと来る方も多いことでしょう。で、これを使えば、女声のアルトに対応する声域が出せるという、至って便利なものなのですが、合唱の世界でなかなかメジャーな地位が得られないのは、いささか残念なことです(特に日本では、いわゆる「典型的な」男声合唱の曲や声にはカウンターテナーの音が合わないからなのかもしれません。これはあくまでも憶測ですが。)。

ところがどっこい、僕が大学生のころに入っていた男声合唱団では、団員はそれぞれ実声パートで4声いずれかの「本籍」を持ちつつ、カウンターテナー対応可な団員については、それを必要とする曲(例えばミサとか)のときにカウンターテナーを歌う、というシステムがあったんですよね。で、僕も一時期カウンターテナーをやったことがありました。
まあ、この声、僕にとってはやっぱり実声とは違う難しさがあったような気がしましたね。僕の発声方法が悪かったのでしょうが、例えば夏合宿で連日10時間近く練習するなんてことがあった場合には、カウンター声は数日で簡単につぶれてしまったりするんですよ。その上、音域に合わせて胸声や頭声をより意識して使い分ける必要が(僕には)あって、その方法論などを先輩から教えてもらったり、また、仲間と情報共有したりしたものでした。で、「頭のてっぺんの髪の毛3本を真上に引っ張る感覚」の発声でEs辺りの音がするっと出せたときの快感ってのは格別なものでした。

カウンターの音域は、普通は大体EsやEまでかな。遊びでクレマン・ジャヌカンのあるシャンソン(「女のおしゃべり」っていう下ネタ満載の面白い歌です。シャンソンとはいっても、三輪明宏が歌うようなやつじゃなくって、小気味のいい合唱曲です。)を歌ったときにFまで出す必要がありましたが、これはきつかったですね。おそらくちゃんとした発声にはならなかったと思います。まあ、これはあくまでも「遊び」だったからよしとして。
あと、僕の問題は、実声パートがトップテナーだったこと。だから、カウンターで出すべき低めの音は、僕にとってはもともと実声で対応可能なものなんです。なので、ファルセットを下まで出せるようにするのと同時に、実声からファルセットへの移行を自然にする方法などを自分で探したりしたっけ。

でもねぇ、大学卒業以後は、カラオケ行ったときのネタで「もののけ姫」や「天城越え」をやるときくらいしか使わなくなりました。それ自体のウケは決して悪くなかったのですが、そのおかげか逆に必ずそれを歌わされることが多くなったりして、僕は、すっかりカラオケ嫌いになってしまいました。で、歌うとしてもマイクのエコーなどを使ってごまかすような声を出していたこともあり、今では発声もすっかりさび付いちゃいました。大学のころ感じた「頭のてっぺんの髪の毛3本を真上に引っ張る感覚」などどこにもありゃしません。せいぜいその辺りの毛100本位をあちこちに引っ張られるような声かな。何かのども詰まっているような感覚もあるし。

まあ、もはやまともに出せることもなくなったカウンターテナーですが、聞くのはやっぱり懐かしくもあり、また楽しいものです。おまけにここイギリスは、カウンターテナーの歴史を細々と伝えてきて20世紀に復興させた国。きっとどこかでカウンターテナーを使った演奏会などやっているはずなのですけどね、僕が探すのに不精気味で。でも、機会を見つけて聴きに行きたいなぁ、本場のカウンターテナーを。




2011年8月14日日曜日

プータロー生活最後の日

明日から、とうとうサマースクール(プリセッショナル)の英語コースが、僕の行く大学で始まります。
1か月半に及んだプータロー生活も、今日が最後です。

まあ、この間、本当はもっと英語の勉強をしなければならなかったのですが、甘きに流れるのが人の常、とりわけ僕はとりわけ「尻に火がつかないと動かない」タイプ。英語の本を読んだり新聞を読んだりニュースを聞いたりは折に触れてしていたものの、体系だった勉強はうーん…といった感じ。
特に8月に入ってからは、よく考えれば昨日のNの帰国まで、入れ替わり立ち代り友達が来て、連日何やかやとアテンドしていたので、疲れていないといえばさすがに嘘になります。

というわけで、今日は、心静かに明日を迎えるべく、食料品の買出し以外は家にじっとしていました。

昨日、同業者で同じ大学に行く予定で、既にプリセッショナルに参加している人から連絡がありました。聞くに、ほかにも同業者の日本人留学生の知り合いがちらほらいるとか。
そういった状況は当たり前の話ですし、職業柄、人脈を広げるというのも、いわば留学中の重要なミッションの1つであるわけですが、その一方で、人と交わるのもなんだか億劫だなあ(特に日本人と)、とも思ったりしました。正直な話。

でも、どうしてそう思っちゃったんだろう?
この業界、目立ったもの勝ちというところがあって(特に渉外的分野において)、ガツガツとしたタイプの人が多いんですが、あいにく僕はそういうタイプではない(たとえそういう世界においても、「ささやかな幸せ」のようなものを求めるタイプ)こともあり、ステレオタイプ的同業者に対する本能的な防衛本能なのかもしれません。
…まだ見ぬ人々なのに、失礼な話ですよね、これって。

まあ、いままでもそうであったように、僕はそれでもそれぞれの集団の中でマイノリティながら親しい友人は作ることができているので、それを信じつつ、このような失礼な「先入観」を抜きに飛び込んでいかないと、と思う次第です。
そして、それと同時に、やっぱり今までの自分のスタンス(特に大人になってから以降)というのに固執してもいけないんだろうな、とも思うんですよ。子供のころの自分自身がそうであったように、(決してガツガツはしないものの)いろんなことに積極的になっていかないと、ってね。何につけてももっともらしい理由をつけて、実は面倒臭がりになっている自分を変えなければなりません。

そうでなければ、卒業してからの「次のステップ」に進めなくなるはずだから。もし変わらなければ、「終わりなき日常」を過ごすことを余儀なくされそうだから。

今、こうやって、基本的には閉じた空間であるものの、フリーアクセス可能なこの場所でこのように述べた限り、これまでのだらりとした生活をこれきりにしたいと思います。

明日からの僕、ニューバージョンでいきますので、そこんとこ夜露死苦!

2011年7月27日水曜日

ワインつれづれ

昨日、家にある酒が完全になくなってしまったので、近所のスーパーに買い出しに行きました。
ビール(エール)はお気に入りの銘柄の1つの、Old Speckled Hen。まあ、僕がIELTSのスピーキングのテストの際にお世話になった(?)Greene King IPAと同じ会社が出している別のタイプ(アルコール少し強め)です。
イギリスのパブは、大体どこか特定のビールメーカーの系列というか、つながりがあるのですが、僕がボーンマスでよく通ったパブがGreene King系列だったので、その製品を好んで飲むようになった、というだけなんですけどね。


そうそう、この間、ヨーク(まあ、ニューヨークの名前の由来ですな)へショートトリップに出かけたのですが、そこで見たパブの名前がヨークシャーテリア。ヨークはヨークシャー州(county)ですので、まさにドンピシャなネーミングです。この店は、10数年前に醸造を始めた地元のブルワリーの系列で、一押しはその名もずばり「ヨークシャーテリア」!(イギリスには珍しく?)ピルスナーっぽい味わいがなかなか良かったです。



上の写真は、このパブにおいてあったコースター。

閑話休題、昨日はそのOld Speckled Henを買ったついでに(?)、ワインを2本買いました。
僕自身は実は赤ワインよりも白ワインが好きなこともあり、また、温度は日本の比じゃないとはいえ一応季節は夏なのでさわやかなタイプがほしいところ。というわけで選んだのが、オーストラリア産の白(シャルドネ)とスペイン産のロゼ。こちらではワインは日常消費用であれば5ポンド程度でそれなりのが手に入ることは実にありがたいことです。

ところで、日本語のネットを見ていたら、「働く女子が選ぶ『好きなワインの産地』」の第1位は、フランスであったとの由。まあ、順当過ぎるくらい順当な「模範解答」なわけですが、なんかこう、面白くないと感じてしまうのがひねくれ者のmimakiirihiko。大体、「フランス」という名前(or雰囲気)だけで選んでへんか?と訝ってしまうんですよね。で、おそらく好きなワインのタイプは「赤ワイン!」というのがおそらく9割以上なんだろうな、とも。そういう場合には、「知ってるワイン」っていうのは往々にして高級ワインになりがちでしょうから、「ワイン好き」な「働く女子」と付き合う野郎どものお財布も決して生易しいものではありません。

僕は、ワインの知識が大してありませんので、「うーん、○○の△△年は云々」とかいうことは全く分かりません。また、日常的に飲みたいという気持ちが強い僕としては、「希少価値のある高級ワイン」よりも「安くて(主観的に)うまくていつでも手に入る」のが最大の選考基準。このブログでも時々現れた元ハウスメイトのSwiss-FrenchのE嬢なども、そういった感じでお手頃なワインを毎日飲んでいました。彼女は赤派で、そんなに重くないのが好みのようです。で、ちょっと暑い季節にはちょっと冷やしたロゼをたしなんでいました。そういう自然なワインのチョイスは、きっと遺伝子的に組み込まれているんでしょう。僕にはとてもまぶしく見えました。

で、僕がワインを選ぶときは、既にお話したように、「赤よりも白」、「希少価値よりも得やすさ」が大事な考慮要素になるのですが、5月にプロヴァンスに行ったときに、街のビストロで飲んだロゼのさわやかさが忘れられず、最近はロゼも結構買うことが多いです。そういったことが昨日のワインのチョイスにもつながったのかな、と。
そして、最近のマイブームは、スペインワイン。リオハの赤はもとより、白についてもお手頃価格でなかなか僕好みのやつが買えるのでついつい手を伸ばしてしまいます。そしてシェリー!イギリスでは、僕の好きなアモンティリャードというタイプが意外にも簡単に手に入るのがうれしいところ。

なお、働く女子が好むらしいフランスワイン(それも赤)ならば、僕の好みは、ラ・キュヴェ・ミティークにシャトーヌフ・デュ・パプ(まあ、後者は日常消費用とは必ずしも言いがたいですが、ラトゥールとかマルゴーとかよりははるかにまし!)。
あれ?どちらも南仏のワインだ。つか、リオハに味が似てる?
ま、赤ならそういう味が好きなんでしょうね、きっと。

2011年7月18日月曜日

上海での演奏会に寄せて

日曜日は、僕が上海で所属していた合唱団の演奏会がありました。
基本的に駐在員で成り立っているこの合唱団は、金融危機以後の「本社側の事情」のあおりをまともに受け、2009年から後、単独での演奏会が開けない状態が続いており、今回も上海の別の日本人合唱団の1ステージを拝借してのオンステージとなったようです。

参加者らのメールを見る限り、演奏は、成功裏に終わったようです。現在の団員の皆さんには、心から祝福を申し上げたいと思います。

それにしても、この合唱団では、合唱の技術面でもいろいろなことを教えてもらいました。今まで感覚でやっていたり、別の方法でおぼろげながら理解していたことがより理論的に理解できるようになったことも少なくないような気がします。また、合唱の発声に中国語を乗せることがとても難しい(僕にとっては、中国語の調音方法と合唱の発声方法とが正面からぶつかってしまうことが少なくなかった…特に中国語のeの発音!!)ことは大きな驚きでした。それに加えて、仕事の上では接点のない色々な日本人の(それもそのほとんどが上の世代の)方と交流できた、ということも、非常に大きな財産であることはいうまでもありません。

ともあれ、上海の合唱団の活動は、これからも精力的に続くようですので、帰国組のメンバーを含めた大きな発展を心から祈念したいと思います。

そして、僕は、この合唱団のメンバーと歌う日がまた来るのでしょうか…?
それは、まずもって僕がアジア圏(少なくとも上海に数時間で行ける場所)に戻ることが前提条件ですし、加えてその時に僕自身に合唱をする気持ちがまだ残っているか、がキーとなるのでしょう。

...でも、後者については、「分からない」、というのが本音かなぁ。今のところ。

2011年7月13日水曜日

季節感

数日前は少し暑かったものの、今日はむしろ肌寒いくらいで、思わずフード付きのトレーナー+ヒートテックの長袖シャツを着込んでしまったくらいです。
…でも、考えれば、今は7月も中旬。日本のニュースを見れば、猛暑・猛暑・猛暑!
そもそもクーラーが部屋についていない家が普通(うちも当然そうです。)のこの国では、全く無縁の言葉ですね、まったく。季節感が全く感じられません。

夏至を過ぎて日が短くなりつつあるはずではあるものの、今(イギリス夏時間21時40分ころ)は、薄暮からやや暗くなってきたくらいで、まだ明るいと言えるレベル。これが強いて挙げれば「夏の季節感」なのでしょうか?!

季節感、というと、日本人はとかく伝統行事やら食べ物やらでそれを感じるわけですが、中国しかり、イギリスしかり、そういった日本的意味での「季節感」ってのはなかなか得がたいような気がします。
例えば食べ物などにしても、「よっしゃ初鰹!」とか、「そろそろさんまの季節だねぇ」とか言っていた自分が妙に懐かしくもあり、逆にそれがなかなかいえない現状を心なしかさびしくも感じてしまうのです。

そして、自分自身が関西の影響を受けているからでしょうか、こういった季節感は、東京よりも関西の方がより敏感なようにも思われます。それは、「伝統」の長さの差に起因しているのかも知れませんね。でも、僕は、そういったものが好きなので、東京生活をしていた時ですら、関西ほどの季節感のなさに、やっぱりぶーたれていたような気がします。今から思えば贅沢な話ですね、全く。

1月の若草山の山焼き。
3月の東大寺の修二会(俗に言うお水取り。僕は、二月堂の内陣と呼ばれるところで連行衆の行を見たことがあるのですが、すばらしいというのもおこがましいものでした。1250年前の世界を目の当たりにしたのです。)。
初夏の葵祭。
夏の鱧。
7月の祗園さん。
夏のPL花火大会(ある夏の夜、僕の住んでいた場所(奈良県)から大阪方面をふと見たら、二上山の向こうの空が赤いのにびっくりしたことがあります。ちょうどその日がPLの花火大会だったのでした!)
8月の大文字送り火。
など、など、など!数えてたらきりがなくなってしまいます。でも、こういったもので季節を感じることは、自分たちの歴史と伝統に思いを致すことができるのと同時に、人間の営みが自然とともにあることをも再認識させられるわけで、そういったものは僕らの心を豊かにしてくれるのではないか、と思うんですよ。

京都在住のいとこがやっているブログで、祇園祭の話が出ていたことに触発され、そしてとても懐かしく感じられたことからふと綴った雑感でした。

2011年6月24日金曜日

ジャポニズム

時は19世紀。フランスを中心に、ジャポニズムが(特に芸術界で)一世を風靡したとか。

この話自体は世界史の教科書でも出てくるほどの有名な話ですので、当然予備知識はあったわけですが、(カーディフだったっけ?それともルーブルだったっけ?それともどちらとも?!)実際にゴッホか誰かのジャポニズムの影響を受けた絵を見た時、そして、ここボーンマスでも、Russell-Cotes Art Museum(これが意外と見ごたえがあった!)なるところに行ったところ、しょっぱなの展示コーナーが日本コーナーだったのを見た時、なんかとても不思議な気持ちになりました。
だって、確かに当時ヨーロッパでジャポニズムが受け入れられたのは、一種の異国趣味的な部分も多々あったのでしょうけど、「ヨーロッパ社会自らが日本文化(そしてそれはおそらく当時の日本人が文明開化の名の下に進んで捨てようとしていたもの)を進んで受け入れ、吸収したと」いう紛れもない足跡を目の当たりにしたわけですから。

文化の伝播、というのは、こういうものなのでしょうね。つまり、文化の伝播のキャスティングボードは、文化を伝える側にはなく、むしろ受け入れる側にあるんでしょう。
だから、いくら「うちの文化は最高でっせ~~」と一生懸命PRしたところで、受け入れる側が受け入れなければそれはせいぜい「一時の流行」になれば上出来で、文化の伝播したことにはならない(ともすれば、「いらんものを勝手に押し付けるな!」と反発を招いてしまうんじゃないかな。)。
逆に、たとえ伝える側が何にもしなくても、受け入れる側が「あ、これいいじゃん」と思えばそれは持続的なブームになり、最終的には受け入れる側の文化の一部を構成することになるわけです。

別に僕は日本文化を何かことさら礼賛する意図は全くないものの、日本文化はおそらくジャポニズムの時代から、(おそらく戦争時代の中断はあったにせよ)連綿と自然な形でヨーロッパ文化に受容されているのではないか、と思えてならないのです。言い換えれば、僕にそう言わせるくらい、日本文化がヨーロッパの中で自然に根付いていることに驚かされてきたんですよ。

例えば芸術品。
例えば生活用品(例えば、ちょっと形は違うけど、布団は、Futonという名の下に寝具の一種として受け入れられています。)
例えばカラオケ(まあ、ここではカラオケボックスじゃなくて、例えばパブが金曜日にカラオケデーになるとかいったものですが。)。
例えば食品(アジアで広く使われる食材でも、Tofuはもとより、ShiitakeとかEnokiとかいう標記をみれば、おそらく日本経由で人口に膾炙されるようになった可能性が高いですし、日本料理自体、正統なものからヨーロッパ風に改造されたものまで、広く受け入れられていることは周知のとおりです。)
そして、言うまでもなく、アニメetcのソフトコンテンツ。

でも、次のようなことに思いを馳せると、文化の伝播に関する上のような考え方は、僕が日本人だからなのかもしれません。
…以前学校の授業の一環でプレゼンテーションをやった時、僕は、「日本の変な習慣」をテーマにしたのですが、その後の質疑応答の流れの中で、「日本というのは外来の文化を容易に受け入れる傾向にある」という説明をした時、韓国人の学生が、「それでは、自分の固有の文化がなくなってしまわないの?」という質問をしてきたんです。その時、日韓間の文化の本質的相違を感じずにはいられませんでした。
つまり、日本文化というのは、「受け入れ⇒自分たちにフィットするように消化(or昇華)」の繰り返しにその本質がある(それが本質であるゆえに、本質的部分での固有性の喪失を懸念する必要性に乏しい)一方、韓国文化は、(僕は余り歴史的に詳細に検討したことがありませんが、)少なくとも「光復」後においては、国民国家を形成する上での不可欠のイデオロギーとしての「民族の固有性」が強調された結果、「文化」も「民族の固有性」につらなる「不変の価値観」と位置づけられやすい(それゆえに外来文化の流入に対する「防衛本能」が働きやすい)のではないか、と。

これを敷衍すれば、おそらく日本と韓国とでは、「文化を伝える」ことに対する考え方もきっと違うんだろうな、とも思うんですよ。つまり、日本の場合には、自らがそうであるように、相手方にも「ワタシこんな者ですけど、お暇なら来てよね♪」的な発想にある一方、韓国の場合には、「民族性に裏打ちされたこのすばらしき文化、他の者にも教えてくれよう!」的な発想になりやすいんじゃないか、ってね。

そして、そう考えると、日本における「韓流」にかかわる各種の様相について、自分なりにストンと落ちるるところがあったのでした。

…まあ、僕は文化論の専門家でも何でも全くありませんので、これはあくまでも僕の経験に基づいた主観的意見ですし、文化の優劣を論じたものでもありませんので、この点ご了解のほどを!

2011年6月16日木曜日

鴻鵠の志、ならばよいのだけれど。

留学をするに当たっては、お金の問題が一番のネックになるわけですが、これが「物価の高いイギリス」かつ「2年計画」かつ「ヨメ連れ」かつ「完全自費」ともなると、相当の額を覚悟しなければなりません。
というわけで、僕は留学の数年前から何とかお金をためるのに腐心し、(たいしたことはないですが)ちょっとした資産運用の真似事などをしてきたわけです。例えば利回りのいい外貨建ての商品を買ってみたり、国内の株を持ってみたりと。

でも、特に2008年の金融危機以降、思ったようには資産は増えませんし、外為相場に至っては2006年ころのあの円安はどこへやらという円高状態が続いています。最近の動向にしたって、大地震もあり、日本がこれほどズタボロなのに、なんでこんなに円が高いのか(せめて1ドル=100円程度になれば色々楽なのに)、と思うことしばしばです。

そんな矢先、(僕にとって)ある偉い方から電話があり、近況報告がてらそんな話を振ってみました。
曰く、日本もひどいけど、他のハードカレンシー圏(特にユーロとドル)はもっと悲惨。加えてエマージング国の通貨は軒並み自由な流通が許されておらず、本来そこに入っていくべきだぶついたマネーが「まだまし」な日本円買いにつながっているんじゃないか、との分析。

僕も前者については、ユーロ圏ではないもののイギリスの経済がいまひとつなのは肌で感じていますし、ユーロ圏自体は所属国の経済破綻でやっぱりズタボロなのは容易に推測できます。スペイン人の友人が、ポルトガルが飛んだ時に「次はうちなんだけど、うちが飛んだらユーロ自体が飛ぶよなあ。でも、そうだからこそ回避に走ると思うんだけどねぇ」とぼやくくらいの綱渡り状態のようです。アメリカに至っては、日本のマスコミはなぜか余りはっきり言わないようですが、破壊力満点の債権のデフォルトの危機があるといううわさを聞いたことは1度や2度ではありません(ここのところ、僕も間接的な情報しかないので、あくまでも噂の域を出ない話ですが、少なくとも、日本がここまでひどい中で円ドル相場が円安方向に振れないのには、ドルの側にも何らかの深刻な問題があると考えるのが合理だと思いませんか?)。
また、後者については、僕は考え付かなかった分析の視点で、なるほどなあ、と思いました。その方からは面白そうな本を紹介されたので、機会があればボーンマスの本屋をあさってみようと思っています。

…そう考えると、今という時代は、いろいろな意味で世界史に残るべき歴史の大転換点なのではないか、と思ってしまうんですよ。それはきっと、冷戦終結よりもはるかに大きいくらいの。だって、経済のグローバル化という歴史上例を見ない状況下において、世界のほぼ共通の認識となっている「既存の(自由主義)市場経済」が終焉を迎えようとしているのですから。かつ、それに替わる新しい秩序が一体何であるのかが誰にも分からない。僕も色々考えてみたのですが、当然分かるはずもなく。
…結局、世界の多くが感じているであろう時代の閉塞感は、出口のないトンネルを進んでいることに原因があるんじゃないか、と思わずにはいられません。

でも、ある意味、そういう時代だからこそ、今一度仕切りなおしがてらこうやって留学できていることは、とても幸せなことなのかもしれません。だって、日々のしがらみから離れて、思考を純化することができるのですから!
なので、僕は、この留学を通じて、「夜明けのない夜」に夜明けがあることを指し示すことに少しでも貢献できる人間になれればなあ、と壮大なことをふと考えてしまうのでした。

…とは言いつつも、それが同時に「円安になってくれ!」という私的願望にもかかわってくるよな、と思うと、僕の志もまだまだ燕や雀のレベルなのかもしれません。

2011年5月31日火曜日

芍薬

いや、前回は、ユーミンネタで余りにアツく書きすぎたなあ、と少し反省しています。
というわけで、気分を一新!

例のSwiss-FrenchのE嬢は、必ず居間に花を飾るのですが、最近、芍薬を買ってきました。
花の様子などが牡丹に似ているので、一瞬「あれ?」と思ったのですが、小鴨に「これは芍薬」と言われてああなるほどと。で、今Wikiで調べてみたら、果たして芍薬はボタン科の植物とのこと。いや、恥ずかしながら知らなかった…。

ところで、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」とは、大和撫子を美しく称えるときの言い回しですが、うん、芍薬の花は、華やかながらどこかしら凛とした雰囲気もあるよなあ、と改めて見て妙に納得。

以下は、この言葉からの随想です。

(1) 凛
…そういえば、去年の上海万博のとき、日本館のイベントホールで日本の伝統芸能の紹介(なお、司会進行役はかのデーモン閣下でした。)をしたことがあり、僕もそれを見に行ったのですが、そのときに琴を演奏した女性の方(確か有名なお琴のお師匠さんだったと思います。)が、演奏自体はもとより、着物の着こなしといい、演奏する姿といい、解説するときの話し方といい、とてもすばらしいものでした。僕は、それを見ながら「ああ、きれいな人だなあ」と思いつつ、「きれい」とか「美しい」という言葉が必ずしもこういった日本人女性の美を表すのに十分ではないのではないか、と思ってしばらく頭をめぐらせていましたが、はたと「凛」という言葉に至ったのでした。そして、まさにその方は、「凛として」いたのでした。

それからというもの、僕自身は、この「凛とした」という表現こそが、日本女性への最高の賛辞なのではないか、と思うようになったのです…。

(2) 牡丹
で、芍薬は確かに凛とした美しさがあってすばらしい花なのですが、僕が一番好きな花は、むしろ牡丹です。奈良の当麻寺のボタン園で初めて咲き誇るたくさんの牡丹を見たときの感激は、未だに忘れられません。静かに、でも華やかに、そして落ち着いて咲くその居住まいを見るにつけ、「座れば牡丹」という表現もむべなるかなといった感じでしょうか。
でも、牡丹を育てるのは難しいような気がします。一度、それこそ件の当麻寺で買ってきた牡丹を地植えにして挑戦したのですが、どうも冬の時の世話の仕方を間違ったのでしょう、春に花を咲かせることができず、結局枯らしてしまいました。またいつか日本に住むようになったら、また挑戦してみたいなあ…。

(3) 米朝一門、そして鶴瓶
中高のころ、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」をパロって、「立てば雀雀 座れば枝雀 歩く姿は小米朝」と言ってみたところ、妙に語呂がええなあ、と友達と言い合っていました。
でも、もう枝雀は世を去って久しいし、小米朝も今や米團治。もうこのギャグ(?)も通用しなくなっちゃったんですね。
そうそう、だいぶ前、youtubeで米朝の特集をやっているNHKのドキュメンタリーを見たのですが、かの米朝すら寄る年波に抗えなくなっていることに少なからずショックを受けました。一門、どうなって行くんかいなぁ…。

米朝一門とは全く関係ないけど、僕は個人的に鶴瓶は好みかも(いや、容姿とかじゃなくて、落語家として。)。まあ、それほど聞き込んだわけじゃないけど、昔見た「らくごのご」の三題噺などでは、ざこばの力技的な攻め方(いや、それはそれでいい味出しているんですよ)に比べて(比較の対象が悪いかもしれませんが)意外とスマートに纏め上げていたのがとても印象的で。うーん、日本に住んだら鶴瓶の落語もしっかり聞き込んでみたいなあ…。

ま、今日はそんなところで。芍薬にまつわるエトセトラでした。