2011年11月15日火曜日

桃夭

月曜日は、授業が午前と午後の2コマある上に、特に午前の授業の予習が結構大変なこともあり、加えて翌日は授業がないということも相まって、夕方7時頃帰ってきたら気分は完全に週末モードです(その代わり、日曜日は勉強をせざるを得ないので、「週末」という感覚もいまいちとなっています。)。

ともあれ、今夜は夜に勉強する気がなくなったので、雑談を少々。

桃夭。
高校の漢文の教科書で出てきた、詩経のなかでも特に有名な詩です(しかし、漢文ネタを書くとき、ネタ元が高校の漢文に由来してしまうのは、自分自身の教養と発展のなさをさらけ出していて恥ずかしいのですが。)。
僕自身は、「老子」、「荘子」(これらは、僕の思想のバックボーンになってます。)に加え、詩なら唐詩が好きなのですが、この桃夭をはじめて読んだとき、思わずハッとしたことを今も覚えています。

この大らかさは何なんだ!
この桃(=嫁ぐ娘)の瑞々しさは何なんだ!

って。

このような感覚は、万葉集の歌を読んだ時に感じたものに近いのかもしれません。
決して高度に洗練されていないけれども、人の心が素朴に素直に短い言葉で表されている。そして、それが美しい絵にすらなる…。
人、というのは、もともとこういうものだったのかもしれません。

というわけで、ちょっと2つを並べてみましょうか。
まずは、桃夭。

桃夭

桃之夭夭  桃の夭夭たる
灼灼其華  灼灼たり 其の華
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其室家  其の室家に宜しからん




桃之夭夭  桃の夭夭たる
其実  (ゆうふん)たり 其の実
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其家室  其の家室に宜しからん




桃之夭夭  桃の夭夭たる
其葉蓁蓁  其の葉 蓁蓁たり
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其家人  其の家人に宜しからん


じゃ、万葉集は、一番最初の雄略天皇の長歌にしましょうか。

泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代 大泊瀬稚武天皇
天皇の御製歌

籠(こも)もよ み籠(こも)もち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ座(ま)せ 告(の)らめ 家をも名をも

あと、ついでにもっと有名な柿本人麻呂のこの短歌も。

東(ひむかし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ


うーん、どちらも劣らず美しい!
歌(詩)の世界に心が解き放たれる感じすらします。現代人がすでに失ってしなった「何か」を、彼らは持っていたのでしょう。

…2001年から2002年、僕が北京に留学していたとき、中国は大ジャンプをする直前だったような気がします。そして、僕がそのとき出会った中国人は、みんな自分たちの未来を信じて前に進もうとしており、それが僕にはまぶしかった…。「日本人が失った『何か』をこの人たちは持っている」ってね。

そして時は過ぎ、2011年。チャイニーズ・ドリームを実現した人たちは、日本じゃ想像も付かないような豪華な家を建て、外車を乗り回し、海外旅行に出かけてブランド品を漁っています。
…でも、僕が10年前に見た「日本人が失った『何か』」は、「そういった人たち」には見られなくなっています。これじゃ、中国は、日本が通ってきた道をただ後追い(ま、それもド派手な形で、ではありますが)しているだけじゃないか、と感じずにはいられません。とすれば、その先にあるものは推して知るべしです。きっと「そういった人たち」は、もはや桃夭を読んでも何にも感じなくなっているのかも(中国の中学生や高校生は、この詩の何たるかよりもこれを丸暗記することに熱を入れてそうだし…。それは、いわば「『そういった人たち』予備軍」ともいえるでしょう。)。

これが社会の発展のモデルならば、人間として余りに悲しいではありませんか!
とはいえ、このような時代に生まれてきてしまった以上、そういった時代の流れにシンクロさせていかなければならない面があることも事実。それでも、その一方で、こういったものを美しく感じることのできる「感性」、ないしは「心」を決して失いたくはない(そして、それがいつかきっと新しい価値観の源になるはず)、と改めて思ったのでした。

4 件のコメント:

  1. おぉ、いいね。私が好きな人麻呂はこれ。

    「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

    現代人には、もうこういう歌は作れないんだろうけど、千年の時を超えて、同じものを美しいと思えることにも、不思議というか、ロマンを感じます。

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  2. これまたスケールの大きい歌ですね。
    それにしても、技巧的になると「木を見て森を見なく」なるものなのでしょうか。

    僕は、奈良時代に良く使われる助詞or活用語尾の「ゆ」の響きが何となく好きで、この歌にも効果的に使われているな、と感じました。

    …ところで、亀さんまだ東京?

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  3. まだ東京です・・

    年明けを目途?

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  4. あれま、あれは相当手ごわいようですね。
    成功の暁には是非ご連絡を!

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