数日前は少し暑かったものの、今日はむしろ肌寒いくらいで、思わずフード付きのトレーナー+ヒートテックの長袖シャツを着込んでしまったくらいです。
…でも、考えれば、今は7月も中旬。日本のニュースを見れば、猛暑・猛暑・猛暑!
そもそもクーラーが部屋についていない家が普通(うちも当然そうです。)のこの国では、全く無縁の言葉ですね、まったく。季節感が全く感じられません。
夏至を過ぎて日が短くなりつつあるはずではあるものの、今(イギリス夏時間21時40分ころ)は、薄暮からやや暗くなってきたくらいで、まだ明るいと言えるレベル。これが強いて挙げれば「夏の季節感」なのでしょうか?!
季節感、というと、日本人はとかく伝統行事やら食べ物やらでそれを感じるわけですが、中国しかり、イギリスしかり、そういった日本的意味での「季節感」ってのはなかなか得がたいような気がします。
例えば食べ物などにしても、「よっしゃ初鰹!」とか、「そろそろさんまの季節だねぇ」とか言っていた自分が妙に懐かしくもあり、逆にそれがなかなかいえない現状を心なしかさびしくも感じてしまうのです。
そして、自分自身が関西の影響を受けているからでしょうか、こういった季節感は、東京よりも関西の方がより敏感なようにも思われます。それは、「伝統」の長さの差に起因しているのかも知れませんね。でも、僕は、そういったものが好きなので、東京生活をしていた時ですら、関西ほどの季節感のなさに、やっぱりぶーたれていたような気がします。今から思えば贅沢な話ですね、全く。
1月の若草山の山焼き。
3月の東大寺の修二会(俗に言うお水取り。僕は、二月堂の内陣と呼ばれるところで連行衆の行を見たことがあるのですが、すばらしいというのもおこがましいものでした。1250年前の世界を目の当たりにしたのです。)。
初夏の葵祭。
夏の鱧。
7月の祗園さん。
夏のPL花火大会(ある夏の夜、僕の住んでいた場所(奈良県)から大阪方面をふと見たら、二上山の向こうの空が赤いのにびっくりしたことがあります。ちょうどその日がPLの花火大会だったのでした!)
8月の大文字送り火。
など、など、など!数えてたらきりがなくなってしまいます。でも、こういったもので季節を感じることは、自分たちの歴史と伝統に思いを致すことができるのと同時に、人間の営みが自然とともにあることをも再認識させられるわけで、そういったものは僕らの心を豊かにしてくれるのではないか、と思うんですよ。
京都在住のいとこがやっているブログで、祇園祭の話が出ていたことに触発され、そしてとても懐かしく感じられたことからふと綴った雑感でした。
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