いや、前回は、ユーミンネタで余りにアツく書きすぎたなあ、と少し反省しています。
というわけで、気分を一新!
例のSwiss-FrenchのE嬢は、必ず居間に花を飾るのですが、最近、芍薬を買ってきました。
花の様子などが牡丹に似ているので、一瞬「あれ?」と思ったのですが、小鴨に「これは芍薬」と言われてああなるほどと。で、今Wikiで調べてみたら、果たして芍薬はボタン科の植物とのこと。いや、恥ずかしながら知らなかった…。
ところで、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」とは、大和撫子を美しく称えるときの言い回しですが、うん、芍薬の花は、華やかながらどこかしら凛とした雰囲気もあるよなあ、と改めて見て妙に納得。
以下は、この言葉からの随想です。
(1) 凛
…そういえば、去年の上海万博のとき、日本館のイベントホールで日本の伝統芸能の紹介(なお、司会進行役はかのデーモン閣下でした。)をしたことがあり、僕もそれを見に行ったのですが、そのときに琴を演奏した女性の方(確か有名なお琴のお師匠さんだったと思います。)が、演奏自体はもとより、着物の着こなしといい、演奏する姿といい、解説するときの話し方といい、とてもすばらしいものでした。僕は、それを見ながら「ああ、きれいな人だなあ」と思いつつ、「きれい」とか「美しい」という言葉が必ずしもこういった日本人女性の美を表すのに十分ではないのではないか、と思ってしばらく頭をめぐらせていましたが、はたと「凛」という言葉に至ったのでした。そして、まさにその方は、「凛として」いたのでした。
それからというもの、僕自身は、この「凛とした」という表現こそが、日本女性への最高の賛辞なのではないか、と思うようになったのです…。
(2) 牡丹
で、芍薬は確かに凛とした美しさがあってすばらしい花なのですが、僕が一番好きな花は、むしろ牡丹です。奈良の当麻寺のボタン園で初めて咲き誇るたくさんの牡丹を見たときの感激は、未だに忘れられません。静かに、でも華やかに、そして落ち着いて咲くその居住まいを見るにつけ、「座れば牡丹」という表現もむべなるかなといった感じでしょうか。
でも、牡丹を育てるのは難しいような気がします。一度、それこそ件の当麻寺で買ってきた牡丹を地植えにして挑戦したのですが、どうも冬の時の世話の仕方を間違ったのでしょう、春に花を咲かせることができず、結局枯らしてしまいました。またいつか日本に住むようになったら、また挑戦してみたいなあ…。
(3) 米朝一門、そして鶴瓶
中高のころ、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」をパロって、「立てば雀雀 座れば枝雀 歩く姿は小米朝」と言ってみたところ、妙に語呂がええなあ、と友達と言い合っていました。
でも、もう枝雀は世を去って久しいし、小米朝も今や米團治。もうこのギャグ(?)も通用しなくなっちゃったんですね。
そうそう、だいぶ前、youtubeで米朝の特集をやっているNHKのドキュメンタリーを見たのですが、かの米朝すら寄る年波に抗えなくなっていることに少なからずショックを受けました。一門、どうなって行くんかいなぁ…。
米朝一門とは全く関係ないけど、僕は個人的に鶴瓶は好みかも(いや、容姿とかじゃなくて、落語家として。)。まあ、それほど聞き込んだわけじゃないけど、昔見た「らくごのご」の三題噺などでは、ざこばの力技的な攻め方(いや、それはそれでいい味出しているんですよ)に比べて(比較の対象が悪いかもしれませんが)意外とスマートに纏め上げていたのがとても印象的で。うーん、日本に住んだら鶴瓶の落語もしっかり聞き込んでみたいなあ…。
ま、今日はそんなところで。芍薬にまつわるエトセトラでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿