なんか立て続けの投稿になっちゃってます。
ブログのネタのようなものは、日々結構頭をよぎっているのですが、日頃は何やかやとで書く暇がなく、このBank Holidayをいい機会に、頭にたまっているものを吐き出しておこうかと思って。
最近、なんとなくyoutubeを検索していたら、ユーミンの歌にヒットして、それからとても懐かしくなって、これを書きながらも耳にしています。実は、中高生のころから大学生前半くらいまで、ユーミンにどっぷりはまっていたんです。時期にしてバブル絶頂を境に前後3年間、足掛け6年くらいでしょうか。あのころは、それこそレンタルCDショップでユーミンのアルバムを借りてはせっせとカセットテープにダビングしていたものです。そして、真夜中に勉強しながらウォークマンで聴いていました。というわけで、そのころ僕が集めていたユーミンのアルバム、具体的には荒井由実時代の「14番目の月」から「Cowgirl Dreamin'」までならば、松任谷由実初期のアルバムのいくつかの歌を除いては今でも大体歌えるんじゃないかな、多分。
僕は音楽の専門的な素養が特にあるわけではありませんので、あくまでも感性的なものに過ぎませんが、僕が音楽がらみではまるときには、大体、「あ、音の重なり方が面白い」とか、「ベースラインの動きが面白い」とか、「編曲がマニアック」とかいうのがきっかけなのですが、正直、ユーミンの音楽に関していえば、音も編曲もおしゃれではあるものの、僕の中の「変わった物好き」を刺激するものでは決してありません(そうそう、「あ、このバックコーラスかっこいい」と思って聴いていたユーミンの「真冬のサーファー」って曲があるんですが、このバックコーラスをやっているのがかの音楽オタクの山下達郎。むべなるかな。)し、アルバムの中の楽曲構成パターンがなんとなく似たり寄ったりのところもあって、いくつか聴いているとそれが読めてくるという「単調さ」も否定できません。
なのに、どうしてあれほどはまったんだろう、ということをつらつら考えながら聴きなおしているうちに、自分は、そういったデメリットに替わって余りある「可視性」に魅かれていたのではないか、と思うようになりました。つまり、歌詞と音楽が一体となって、その世界がリアルに目の前に現れてくるような感覚に引き込まれていたではないかと。それは、ヒット曲に見られがちな「(歌詞への)共感」とか、「感情移入」とかとはまた違うもので、かつ、ユーミンの曲以外で余り感じたことがないものです。
まあ、そんな内省的な分析はここまでにして(いや、書こうと思えば書けるけど、きっと長すぎてつまらなくなっちゃいます。)、話を次に。
僕のユーミンはまり時代は、上記のとおり、大体1990年前後ということになるわけですが、このころは、ユーミン的には「ダイヤモンドダストが消えぬまに」から「天国のドア」に至る(セールス的には)絶頂期に当たります(かの有名な「リフレインが叫んでる」とか「ANNIVERSARY」とかは、この時代のものです。)。まあ、この時代の曲が決して嫌いなわけではありませんが、打ち込み過多で聴いてて疲れて(飽きて)しまいやすいのもまた事実。一方、荒井由実時代をリアルで知っている人からすれば、荒井由実時代を真っ先に挙げるのでしょうが、僕にとっては、見える「絵」が繊細な水彩画のようで、それに楽曲自体も「四畳半フォーク」のアンチテーゼとはいえ、共通の「根」が見える気がして、決してしっくり来るものではありません。
というわけで、僕が一番好きなのは、「時のないホテル」から「NO SIDE」辺りまでの80年代前半のアルバム群かな。結婚後の暗い時代から一気に見える世界が観念的な「絵」からリアルな「写真」になったような。そして、「時のないホテル」と「SURF & SNOW」という、全く対照的なアルバムが同じ年に出た、というのに至っては、もう「参りました」としかいいようがありません。
で、多感な時期であったからでしょう、それぞれのアルバムが、僕のいろいろな思い出と結びついてもいます。
例えば、「SURF & SNOW」。僕は、当時小倉に単身赴任していた親父の家に行くのに、独り大阪から出雲市に抜けて、そこから山陰本線の鈍行を乗り継いだことがあるのですが、その時このアルバムをウォークマンに入れていました。そして、このアルバムの中の「まぶしい草野球」のリズムがちょうどディーゼル機関車に引かれる客車のガタンゴトンという音にマッチしていました。なので、このアルバムは、車窓から見た美しい日本海の風景を思い出させるのです。
次に「VOYAGER」。ちょうど高三の春だったかなあ、吹田の万博記念公園で大英博物館展がやっていて、どうしてもそれを見たくて出かけたのですが、その時聴いていたのがこのアルバム。未来的・都会的な曲の「絵」が「大阪万博の夢の跡」と妙にマッチしていました。このアルバムを聴くと、今でもあのときの春の温かい光と風と日本人が描いた「未来」を思い出させます。
「PEARL PIERCE」。これは、東京に引っ越した後だと思うのですが、何かの用事で関西に行くときに、また気まぐれで東京から夜行で新潟に抜け、北陸周りで行ったことがあり、その際に聞いていました。朝早い新潟の駅で(新潟を舞台にしたものらしい)「私のロンサム・タウン」を聴くのもまた一興でした。
「TEARS AND REASONS」。92年11月発表のアルバム、ということは、僕のまさに大学受験準備真っ最中のときのアルバムです。それだけに、このアルバムもとてもとても思い入れが深いです。
…この時は、ちょうど家が奈良から東京に引っ越すことになっていて、CDデッキが既に梱包済みとなっていたなかなか聴けなかったところ、同じくユーミン党の友人(Nとしましょう)が自分がダビングしたのをくれて感激したっけ(高三の夏休みに肺炎で入院して夏休みをほぼ棒に振って以来、僕は大スランプに陥っていたのですが、これで立ち直りました。)。
そして、白眉は大学入試の当日。試験第1日目の国語の試験のあと、件のNが、ある論評形式の記述問題でこのアルバムの曲の1つを元ネタに書いたと、誇らしげに僕に言ってきたんです。そう言われて激しく対抗意識を燃やした僕は、第2日目の英語の試験で、指定語句付きの自由英作文を、「ユーミンのCDを買ってうんたらかんたら」というネタで書き、Nに自慢し返してやりました。幸いにして二人とも合格しましたが、この時のことは、今でもNと僕との間では語り草となってます。大学入試でユーミンネタを張り合った受験生もそうおらんやろ、って。
「THE DANCING SUN」。発売の翌年阪神大震災があって、その後もいろいろなことがあったことを思い出させます。特に、西宮の住宅街から見た(普段見えることの決してないはずの)六甲山のふもととか、京都の四条大橋とか。「Hello, my friend」が妙に哀しく心に響いていたなぁ。
…とまあ、それ以外にもいろいろあるのですが、多すぎて書けないや。
最後に、僕が一番好きなユーミンアルバム、といえば、「水の中のASIAへ」です。僕の越し方を振り返ってみると、結局、このアルバムの描いた4つの世界に一部は既に現実に飛び込み、また、他の一部はこれから飛び込むことになるのでしょう、きっと。
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