今日は、ちょっと「微妙」な話。
この間、youtubeのある動画を見ていたら(これ自体は台湾のものだったような。ちなみに、僕の知る限り、youtubeは中国大陸(HK、マカオを除く)からは原則見ることができません。)、「台湾」に関して台湾人と大陸人(おそらく留学生?)とが激しくコメント上で罵り合っていました(使用する文字が簡体字と繁体字なので、どちらがどちらかは一目瞭然なのが面白いところです。)。
まあ、端的に言えば、台湾のユーザーが「台湾は台湾だ、大陸とは違う」と主張するのに対し、大陸側が「中国が1つなのは常識過ぎるほどの常識であり、今更台湾がさも独立したような言い方をしても、大陸では常識はずれと笑われるだけだ。」と言い返す、という、まあ、定番といえば定番の罵り合いです。
まあ、政治やイデオロギー的な問題はさておいて、この議論、「グローバル」かつ「一般人」の目線で見たときに、どちらが本当に「笑われる」と思いますか?
…僕は、自分の経験からすれば、大陸側だと思うんですよ。大陸人には申し訳ないのですが。
僕もここに来て驚いたのですが、少なからぬヨーロッパ人は、台湾が独立国家であることを当然の前提として話す人が少なくないのです。それに、台湾人自身も自らをChineseとは言わず、Tiwaneseと言いますしね。とにかく、「中国は中国語だよね。台湾も中国語を話すの?」なんていう質問を受けたことは1度や2度ではないのです。
このような状況に遭遇した大陸人が、たとい自らの立場を主張したとしても、相手は、「うーん、何か難しい問題があるようだね(心中:うざ~。でも、結局政府は2つあるんだから、やっぱ違う国じゃん※)」と反応するのが関の山だと思うんですよ。加えて、僕の経験した限り、西ヨーロッパ人は、「共産主義」とか「社会主義」に対するアレルギーが僕が予想したよりも強いようですので、それが確かならば、そもそもの部分で大陸人の国家やイデオロギーに対する主張にはディスアドバンテージが伴いやすいように思うのです。
※「国家」という概念をいかに解するか、というのは、国際公法の最初の論点のように記憶していますが、ここでの「国」は、そういった議論は全く踏まえておりません。
で、僕はと言えば、そういったヨーロッパ人の反応と台湾人のアイデンティティーに配慮しつつ、それでもどこか小鴨が感じるであろうところも慮り、英語でも(台湾人と話す)中国語でも、必要があれば「大陸(人)」と「台湾(人)」と表現する一方で、むやみに「中国(人)」という表現を使うのを避けることが、ここに来てから多くなったような気がします。
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歴史や教育、というのは、往々にして政治の影響を受けがちになるのですが、それでも自ら批判的に検証できる機会があれば、自分なりのスタンス、と言うのを得ることができるように思うのですが、そういう機会がない環境で生まれ育った人がいきなりそれとは異なる環境に行けば、そこにパラダイムの動揺が生ずることは否めません。
例えば、最近ある中国人(大陸人)とフルシチョフの話題になったのですが、なんでも中国ではフルシチョフは大悪人と位置づけられているとのこと。西側の評価はそれとは異なるわけで、相手はびっくりしてました。中国との関係では、いろんな人物、いろんな事件について、そういった状況が出てくることが少なくないような気がします。
そして、そのときにどう対応するべきか、というのが問題になるわけですが、新しいパラダイムをそのまま鵜呑みにしたり、もとのパラダイムに理由なく固執したりすることは、ある意味「楽」な選択肢なのかもしれませんが、最終的にはその人にとって不幸なことだと思うんですよね。だって、それって、「考える」というせっかくのチャンス(それは、自らを成長させるチャンス、と言ってもよいのでしょう。)をみすみす逃してしまっているわけなんですから。
まあ、先の例でも、双方の主張に基づくその人物や事件の功と罪と評価しなおして、「自分なり」の意見を持つことが大切なのでしょうね。それが外に現れるか否かは、「ひとまず」別問題として。
うーん、つまらない話、かつ、いろんな状況に配慮してややオブラートに包んだような言い回しでごめんなさい。まあ、眠いついでの戯言なので、適当に流してくださいな。
…あー、むずかし!
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