2011年10月31日月曜日

LSO for 10 quid

既に昨日になってしまいましたが、ともあれ、日曜日の夜、バービカン・センターにロンドン交響楽団のコンサートを聴きに行きました。
これまでにこのブログでも何度もお話していますが、イギリス、とりわけロンドンは、文化・芸術へのアクセスがとても容易なところで、今回のチケットも、一番安い席で一人10ポンドと、この交響楽団を日本で聴くならばおよそ考えられない価格でゲットです。

今回のコンサートは、若手のヴァイオリニストとしても活躍しているニコライ・ツナイダーという指揮者のロンドンデビュー公演なのですが、プログラムが、

・ニュルンベルクのマイスタージンガー
・シューマンのピアノ協奏曲
・ブラームス第4番

といったメジャーどころだったこともあり、余りクラシック音楽を聴いたことのない小鴨と行くのにはちょうどいい曲目と思ったわけです。

…こう書くと、僕がなんだかクラシック音楽に造詣が深いと思われてしまうかもしれませんが、そのようなことは口が裂けても言えません。ただ、子供の頃、群馬の高崎に住んでいて、母親が高崎を本拠地とする群馬交響楽団の定期演奏会にたびたび姉と僕とを連れて行っていたこと、その当時のコンサートマスターをされていた先生に縁あってヴァイオリンを習っていたことがあることがあって、クラシック音楽に関しては、何も分かっていないものの、そういったものが比較的身近にある環境に育ったことは間違いありません。たとい、コンサートの最後ではいつも飽きて眠り込んでいたり、練習を全くせずにレッスンのたびにヴァイオリンの先生を怒らせていたとしても(この先生のその後のご活躍を見るにつけ、何ともったいないことをしたものだと思わずにはいられません。)。

閑話休題。

ともあれ、学校の授業でしょっちゅうバービカンの駅は使っているものの、バービカン・センターには今回が初めてのこと。少し遅めにバービカンの駅についた我々は、しっかりとおしゃれした人たちがバービカン・センターに向かって歩いているのを目にしました。僕たちも、10ポンドの席でばっちり決めるのはおかしいけれど、せめてスマートカジュアルといわれる程度の服装をしておいて正解でした。


バービカン・センターの入口


ホワイエに向かう通路


ホワイエでは、既に大勢の人が、演奏会前の軽食を楽しんだりしていました。


10ポンドの客席から舞台を望む(もちろん公演前に、でもちょっとこっそりと撮影)
そもそも幅広な会場ということもあり、とてもゆったりとしていて、この席でも端っこのコントラバス以外は十分にオケを見ることができます。

で、さて、本番。
考えてみれば、このツナイダーさん、ロンドンデビュー公演にこういったプログラムを持ってくるのはとても大胆なことではないでしょうか。だって、有名な曲であるだけに、聴衆もそれなりに耳が肥えているはずだから…。

そして、僕の感想。
マイスタージンガー: ツナイダーさんにとっては、この曲は、自分自身のデビューに対するファンファーレでもあったはず。なので、最初の一振りがどう来るのかとても期待していましたが、意外とあっさりしていたかな。オケ自体も、割とあっさり、というか、僕がワーグナーに対して持っている「おどろおどろしいまでの重厚さ」は余り感じられませんでした。それは、指揮者のせいなのか、オケのせいなのか、ホールの音響/僕の席のせいなのか、それとも僕の耳が悪いのか。

シューマンのピアノ協奏曲:どんな曲か聞く前はピンと来ませんでしたが、ピアノ独奏が始まったとき、「あ、どこかで聴いたことがある」と感じました。それはきっと、子供の頃の記憶なのでしょう。
ともあれ、ピアニストの演奏に結構引き込まれました。でも、指揮自体は楽譜に忠実な感じがして、やや退屈になりかけました。でも、おそらく第2楽章と第3楽章の間なのでしょう(この曲は、これら2つの楽章が事実上つながっています。)、音が徐々にフェードアウトし、一旦完全に休符となった部分には、聴衆全員が確かにそれに引き込まれていきました。そして、その休符を経て新たな曲が始まってからは、不思議と勢いを取り戻して終わりまで持って行きました。これが指揮者の狙いならば、大成功だったと思います。

ブラ4:ツナイダーさんのパッションが一番感じられたのはこの曲でした。オケもこの曲が一番音が飛んでいたように思います。特に第3楽章と第4楽章の間は、普通よりもかなり短い間隔で入っていったのが印象的でした。きっと、第3楽章の緊張感を失うことなく第4楽章に入りたかったのでしょうね。オケも良く応えていたように思います。特に木管系とティンパニが僕にとって印象的でした。

それにしても、ワーグナーで始まりブラームスで終わるとは、有名な曲という側面以外でも興味深いです。だって、この二人、滅茶苦茶不仲だったんでしょ?曲の方向性も(僕にとっては)ぜんぜん違うように感じられるし。
そして、ツナイダーさんの指揮は、決して老獪なものとは言えませんが、僕としてはそれはむしろ好意的に受け止めています。今後彼の世界がどのように広がっていくか楽しみです。

ともあれ、久しぶりに聞いたオーケストラということもあり、とても満足して家に戻ってきたわけです。
そして、まがりなりともこういった音楽の世界に親しみを覚えるような環境を作ってくれた母にも心の中で感謝したのでした。

今日は、腰の手術をして約1か月入院していた母の退院日。

2011年10月30日日曜日

ウィンザー城

今日朝目が覚めると、時計は午前の10時前!
最近なぜか妙に疲れているのですが、それにしても少し寝坊しすぎでした。

で、ちょっとメールチェックしようとパソコンを立ち上げると、パソコンの示す時間はちょうど午前9時。

…あれ??

そうなんです。今年のサマータイム(BST)は夕べの真夜中に終了して、時間はグリニッジ標準時(GMT)に戻っていたのでした。
なんか寝坊したのに1時間得した気分になってしまいました。


それはさておき、昨日は、久しぶりにちょっと郊外に行こうということになり、計画して久しくも何度も立ち消えとなっていたウィンザーに行こうということになりました。
ウィンザーというのは、今のイギリス王家がウィンザー家ということからも分かるように、イギリス王室の居城として現在も使われており、女王は週末の多くを実際ウィンザー城で過ごしているとか。

でも、このウィンザー城、確か1992年かに大火災を起こしてしまい、その再建資金に窮した結果、城の一部公開を行うようになったということで、王室にとっての災難は、我々にとってはありがたい事となってしまったわけで。

さて、このウィンザーに行くには2通りのルートがあるのですが、今回は、多くの人が選ぶであろうパディントン駅から向かうこととしました。
でも、ロンドンの地下鉄は、週末になると工事をやって運休する路線が増加します。そして折り悪く僕らがパディントンに向かう最短ルートの路線は見事に運休していました。で、しゃーないので、乗り換えの回数を1回増やしたわけですが、その乗り換え駅とはBaker Street、つまり、「ベーカー街」です。
で、ベーカー街といえば…!



連絡通路の壁一面、このシルエットで覆い尽くされていました。これはこれでおしゃれですね。

で、パディントンからSlough(スロウ…まあ、イギリス英語なのでむしろスラウと聞こえるわけですが)まで都市間連絡列車で行き、そこからウィンザー行きの支線の2両編成のディーゼルカーに揺られること6分、ウィンザー&イートン・セントラル駅に到着です。パディントンからの総旅行時間は40分弱かな(乗り換え時間込み)。

ロンドンからちょっと離れただけなのに、とてものどかな雰囲気です。でも、さすがに王室とゆかりが深いということもあるのでしょうか、どことなく品があり、観光客相手のショッピングモールなども決してごちゃごちゃしていません。小鴨が「なんか軽井沢みたい」と言ったのは、蓋し至言でしょう。

で、駅を出てしばらく歩くと、すぐに目に飛び込んでくるのがウィンザー城の外郭。


うーん、こんなに近くにあるとは思わなかった…。

で、入場料を支払い(大人16ポンド、学割15ポンド、でも1年間は何度でも再入場可能)、安全検査を通って中に入るわけですが、歴史的には1000年前にまで遡る城ということもあり、決して豪華絢爛というわけではありません。むしろ、「現代まで最良の状態で残っている古城」といったほうが正確なのでしょう。
考えてみれば、イギリス人っていうのは、古い建物を改修しながら使い続ける性質があるので、ウィンザー城などは、まさにそういったイギリス人気質の権化のようなものかもしれませんね。


エントランスから中心部を臨む。
真ん中の大きい建物は、いわば本丸のようなもので、ここは非公開。

で、内装なんですが、これはロイヤル・コレクションの絵画や、それが飾られているもろもろの内装を含めてとても豪華で見事です。ルーベンスやヴァン・ダイクといった名匠たちの絵画が普通に飾られているのは圧倒です。でも、決して必要以上にゴテゴテしていません。そう、どこかの国のように…。


うーん、おフランスのこの宮殿は、確かに見事なのですが、とにかくいろんな意味で凄過ぎて、お腹一杯になってしまいました。そりゃ、一説によれば、そのせいで財政難になって、これがフランス革命につながったくらいなのですから。その一方、ウィンザー城は、その腹八分目感がちょうど心地よいようにも思えました。

なお、ウィンザー城のもろもろの建物の内部は撮影禁止でしたので、興味のある方は是非足をお運びください。見る価値は十二分にあります。

そうそう、ウィンザー城は、もともと(戦争に備えた)城郭として出発していることもあり、立地条件は日本で言う平山城と同じようなものです。ということは、城からの見晴らしはなかなかのもの。加えて季節は秋真っ盛り。色づいた木々がとてもきれいでした。




で、ロンドンに帰ってきて今一度パディントン駅を見返すと、これはこれでなかなか風格のある駅です。今にも蒸気機関車が入ってきそうな感じすらします。これが、ダックが誇っていた大西部鉄道の風格なのでしょうか(パディントン駅は、かつての大西部鉄道のターミナル駅で、いまでもFirst Great Western鉄道のターミナル駅として機能しています。)。

2011年10月25日火曜日

本当にすごい人って。

ここ数か月、同窓生のメーリングリストへの招待が立て続けにいくつかあって、新たに参加しています。
1つ目は、今の大学(LLM)の日本人留学生のもの。まあ、これは流れで僕が立てたものですが。
2つ目は、中学・高校の同期のジェネラルなもの。これまでも、近しい友達同士で作っているメーリングリストがもう10年以上続いているのですが、それとは別に。
3つ目は、大学の合唱団の比較的近い年次のOBのもの。

…というわけで、わたくし、現在4つのメーリングリストに入っている、ということになります。

こういったMLを見ていると、かつての仲間は本当にいろいろな進路を進んで、30台も後半となれば、いっぱしのものも出てくるわけです。

で、JR最年少の駅長(松江駅)となった僕の合唱団の1つ上の先輩などは、失礼を省みずに言えば、そういった「いっぱしのもの」の一例なのでしょう。
この先輩、大学時代は、やはり同じく合唱団のメンバーとセミプロで漫才をやっていたりするなど、非常にバイタリティがある方なのですが、そういった華やかな表の顔だけでなく、学業もきっちりと修めていたようです。ちなみに、漫才の相方をやっていた方も、その実とても勤勉で、今では(その後の経緯により)在学時代の学部とは異なれど、社会に出てからのキャリアを生かす分野で母校の准教授に就任しているわけですから、やはりただ者ではありません。


…考えてみれば、本当にできる人、というのは、往々にしてそういった「両方の顔」をしっかり持っているように思うんですよね。だから人間としてバランスも取れているし、かつ、面白い。


そう思いつつわが身を振り返ると、僕自身は、「両方の顔」を持とうといろいろ努力したけど、結局中途半端な顔しか持てずにいるような気がしてなりません。まあ、それでも何とかやってはいけるのだけど、人間的な「輝き」はいまひとつだなあ、と思わずにはいられないのです。

ある時点で、「自分」を捨てきれなくなって、いつしか自分が心地よい領域に自己を規定してしまったような気がしてならない。そしてそれが自分自身の新たな「脱皮」を阻害している。そして、そういったことが頭では分かってはいるのに、「自分が規定してしまった枠」から抜け出すことができないでいる、そういったもどかしさにしばしばさいなまれてしまうのです。

…いや、そりゃ自分自身エキセントリックなところはありますよ。リスクの高い国家試験を受けたり、仕事でも普通とは違う特殊な分野を選択したり、海外に飛び出したり、外国人と結婚したり。どれもこれも、決して多くの人が好んですることじゃあありません。でも、僕から言わせれば、これらのいずれもが、対人関係において自分が規定した「枠」とは全く関係なく、結局この枠自体は変わらず維持されているんですよね。

まあ、自分自身の成長過程におけるいろいろな内的・外的要因がそうさせたのでしょうし、その中のいくつかの要素は僕自身も簡単に思い当たるところがあります。ともあれ、とにかく自分自身の「キャラ作り」に失敗したかも、という現実を受け入れつつ、それでもより人間として魅力が出るように自分を高めていかねば、とも思うのでした。


まあ、それはそうと、松江駅をこれからもよろしく!

2011年10月22日土曜日

魚醤万歳!

この間、小鴨がタイのグリーンカレー作りに挑戦しました。
これ自身なかなかおいしかったのですが、そこではじめて知ったのが、グリーンカレーのグリーンはコリアンダー由来のものであることと、味付けにナンプラーを入れること!なるほど、あの風味はナンプラーのものだったのか、と驚くやら感動するやら。

実は、僕は結構魚醤好き。
きっかけは、2000年のベトナム旅行でした。
ベトナムでは、ヌックマムという魚醤を多用するわけですが、到着の翌日に食べた朝ごはんのフォー(ライスヌードルですな。)にヌックマムを入れたときに「!!」と感じて、その後は、ヌックマムにドはまりになってしまいました。特にフォーやブン(中部で食べられるライスヌードル)には「これを入れな始まらへん」とばかりに振りかけていました。

もっとも、これまでは、タイ料理やベトナム料理で口にすることはあっても、家の料理で魚醤を使うことはありませんでした。それは、魚醤を使う料理のレパートリーがなかったことにもあったわけですけど。

…でも今回、上記のような事情で買いましたよナンプラー。「イカ印」のナンプラーです。




で、においといえば、日本人好みないい香り。そうだな、スルメのようなにおいかもしれません。
味わいは、というと、塩味もさることながら、旨みがとてもしっかりしているので、言ってみれば、塩+化学調味料の替わりになるのかな、とも思ったり。ともあれ、最近は、食事のたびに、ナンプラーを振りかけてみて、相性を試しています。

そして今日、余った食材でスープを作ろう、ということになり、5月にフィレンツェに行ったときに買った「魚スープの調味料(多分そういうカンジの意味だと思います。)」を使うことにしました。



でも、これ、前回小鴨が使ったときに、あまりうまく使いこなせず、まあ、ありていに言えばあまりおいしくできなかったため、しばらく放置していたんですよ。で、今回は、できるだけレシピに忠実にやってみよう、ということで、袋の裏のレシピを読んだところ(英語も書いてあるのが幸いしました。)、加える材料として、貝・魚・トマトとのご指示が。

ところが、手元にはトマト缶はあるものの、海鮮モノと言えばイカのすり身団子が7個しかなく、あわててタラの切り身を近所のスーパーで買ってきたものの、おそらくそれだけじゃあ味が頼りないんじゃないか、と思いましたし、実際、最初の段階では、トマト缶のトマトの酸味が妙な自己主張をしていました。

そんな時、ナイスアイディアが!


そうだ、魚醤、使おう。


考えてみればイタリア風といえども魚スープです。海鮮を入れるのは、そこから旨みを取り出すことを狙っているはず。それならば、海鮮の旨みがぎっしりのナンプラーを使うのがどこが悪い!

というわけで、味を見ながらナンプラーを足していったのですが、これが思った以上の効果を発揮。
入れた海鮮ものが少ないハンデを見事に補ってくれて、トマトの妙な酸味も程よくなったのには本当に驚きでした。

付け合わせには、少しかりっと焼いたパン。妙な自己満足に浸った夕食でした(現物、写真取るの忘れちゃいました。ごめんなさい。)。

そして、飲み物は、僕がマカオのマカオ料理屋(=ポルトガルと中国の折衷のようなもの)で飲んで以来気に入ったポルトガルの「緑ワイン」(白ワインですが、緑がかった色調なのでこういうようです。)。今回買った「緑ワイン」は、思った以上にフルーティーな味わいでしたが、そこはさすが(テスコが輸入したものとはいえ)ポルトガルもの。海鮮スープとの相性はなかなかのものでした。

ともあれ、魚醤万歳!


2011年10月16日日曜日

f**kin' tax office!

いきなりお下劣なタイトルですみません。でも、正直なところ、これが心の叫び。

イギリスには、(所得の如何にかかわらず、また、国籍の如何にかかわらず)居住の事実により課税されるカウンシル・タックス(まあ、強いて言えば住民税みたいなものですね。)というのがあります。
このカウンシル・タックス、上記のとおり所得の如何にかかわらず課税されるのですが、その額たるや決して馬鹿にはならない額でして、僕の住んでいる場所では年間にして20万円くらいとなってしまいます。

もっとも、この点学生に対しては優遇措置があり、
① フルタイムの学生及びその外国籍配偶者に対しては状況に応じて25%から50%の割引があり、
更に、
② 当該住居がフルタイムの学生(及びその外国籍配偶者)によってのみ占有される場合には、完全に免除される
ということになっているようです。

で、僕たちは、引っ越してからというもの、このカウンシル・タックスの減免手続と悪戦苦闘してきました。まあ、こちらの引っ越してきたタイミングと減免手続に必要な証憑が整うタイミングとにずれがあって、それが事態を複雑化させたことは事実なのですが、それを差っぴいても、とにかくオフィスの対応が絵に描いたようなダメ公務員ぶりを発揮してくれました。

つまり、
・メールで申請しても何のリアクションもない
・電話で何度も何度もせっついても、明らかに状況を把握していない
・仕事は怠慢かつ緩慢
なんですよ。

そして、8月に最初に減免申請を行った時には、小鴨が電話をしてせっついたにもかかわらず、「あと少し待ってくれ」とか、「担当の者が今いないが、戻ってきたら話をしておく」などといわれて結局1か月近く放置された挙句、封書が1通ひょろっとやってきて、急いで開けてみたところ…


「あきまへん」




ガ━━(゚Д゚;)━━ン!




いや、そりゃあむかつきましたよ。これだけ待たされて、かつ、要件は完全に充足するはずなのに、まさかこんな通知がなされるとは!!!
まあ、理由としては、非常に形式的なもので、とにかく大学からの24週間以上のフルタイム在籍証明がないということだけでした(もっとも、これについては、そもそも申請時点で大学側の事情により出せなかったことに加え、他の資料でそれは証明可能なはずなのですが、きゃつめ、とにかく形式を求めてきたわけです。)。そこで、僕らは、奴らが要求する証明を早速送りつけ、かつ、小鴨にオフィスまで電話をかけてもらいました。


で、小鴨がその電話の際、手続中に支払期限を迎える分の税金についてはどうすればいいか、ということを聞いたところ、「払わなくてもいい」といわれ、とりあえず保留してきました(まあ、絶対間違いないはずなので払う気もなかったのですが。)。
そして、そんな矢先、1通の役所からのレターがポトンとポストに。開いてみると…


「9月分のカウンシル・タックスを滞納しているのですぐ支払え。さもなくば全額について支払わせるぞ」




ムカ


ムカ


ムカーーーーーーーーー!!!!!


お前らが払わんでええ言うたさかいはろて(=払って)へんねんやろがこのボケカス!!!


…てな具合に思わずののしってしまいましたよ。家の中でだけど。
もっとも、英語でこんな風に自由にののしることはできませんので、役所に対しては、「こんなひどい取扱いは、日本でも中国でも受けたことがない!!」という怒りのメールを送りつけた上で、小鴨にも電話をしてもらったのですが、小鴨曰く、役所は、「うん、滞納通知を送ったよ。でも、申請中なのは分かったから、とりあえず保留しといて」というのんきなもの。
その上、結局更に2週間ほどまたなしのつぶてとなってしまいました。


その後、またまた郵便受けがカタンと鳴ってやってきた役所から1通のレター。さすがに今度こそ免除されただろう、と思ってみると…。


「50%免除するから、残額を支払ってね£」


これまでのやり取りに疲れきっていた僕らは、この通知を見た瞬間、「ああ、よかったよかった。50%減額されたんだ。じゃあ、払わないと」と言い合いましたよ。


でも、よーく考えてみると、なんだか少しおかしいような…。だって、今までいろんな人の話を聞いてきたけど、学生は全額免除されるという話ばっかりだったから。
というわけで、僕たちはもう1度役所のHPで調べて見たのです。すると、果たして、


上記の①の他、②にもとづく免除が明らかに存在するではありせんか!


…それも、小賢しいことに、①が記載されている場所と②の記載されている場所が別なんですよ。これじゃあ、②に該当するはずの人も、①だけ見て「ああ良かった」と勘違いしてしまう人も出てくると思いますよ。これはもう、詐欺的だ!と思いましたよ。まったく。


で、僕らは明らかに②の要件を充足するはずですので、証拠に賃貸借契約の写しをくっつけて


「コラ免除せんかい!!」 


というメールを送りつけた上で(もちろん、文面は慇懃なものですよ。慇懃無礼かどうかはさておき。)、またもや小鴨に電話してもらいました。小鴨曰く、「応対に出た人は余り状況分かっていない感じだった」という、なんとも頼りない対応だった模様。でも、50%減額でも年間10万円くらいは払わなくなるわけなので、二人とも、ここは1つの頑張りどころだと思いました。


そして、先週の木曜日、ようやく次のようなレターがやって来ました。




まあ、見難いですが、カウンシル・タックスについては全額免除、かつ、大事をとって申請前に支払った8月分のカウンシル・タックスについては還付(還付用の小切手がついてます。)となったわけです。
僕たちが早速銀行に行き、小切手を呈示して還付手続をしたのは、いうまでもありません。ついでに夜に家からそう遠くない場所で、お寿司まで食べちゃいましたよ。


まあ、終わりよければ全てよし、なのかもしれませんが、役所の対応の悪さには、ほとほとあきれ果てました。


さて、お口直しに、小鴨の第1週目の作品を貼り付けておきましょう。
…昨日のブログを見た小鴨が、「何で第1週目の作品を貼り付けないのか」と言ったもので、はい。
まあ、見てやってくださいな。



2011年10月14日金曜日

フラワーアレンジメントスクール

小鴨は、10月の頭から、コヴェント・ガーデンにあるフラワーアレンジメントスクールに週2日のペースで通いだしました。
コヴェント・ガーデンというのは、まあ、雰囲気的に例えれば青山みたいな場所で、このスクールもそれはそれはきれいです。ほんと、なんとも贅沢な空間と時間でしょう!

ともあれ、小鴨はこのスクールで8か月みっちりフラワーアレンジメントを勉強することになるわけですが、そこは花を材料としためくるめくアートの世界。いままで「アート」的なものに憧れが強かった小鴨が今度は本格的に(そしておそらく初めて)自らがクリエイトする側に立ったわけです。なので、その興奮たるや推して知るべしでして、第1日目など、夜になってもなお花のことを考え続けて眠れず、僕までたびたび起こされる始末…

で、今週も元気に水曜日・木曜日に学校に通いました。とても楽しくて仕方がないようなのですが、その一方で、本格的に美術の勉強をしたことがない小鴨にとっては、色彩やデザインのセンスが他の生徒と比べていまいちなのがショックなようです。まあ、こういったことは一定程度天性のものもあるのでしょうが、そもそもこれまでまともに勉強したことがないのだからだめでもともとのはず。にもかかわらず、自分自身それなりにセンスに自信があったのに…とやや凹み気味。
でも、ここはロンドン。アートに関してはクラシックなものから現代までタダで見放題な場所。加えてガーデニングや植物学についても世界のトップクラスなところ。なので、僕は小鴨に「とにかく見て吸収しろ」と言っているのですが…。


で、今週は通い始めてまだ2週目ですが、(少なくとも大きさだけは)大作を持ち帰ってきました。まだまだ初心者の作品かもしれませんが、努力のあとは感じられますし、実際に現物を見ても、そんなに悪い出来じゃないような。こんな具合です。


彼女がこれからここで得られるものをどう吸収していくのか、僕も楽しみであります。

2011年10月13日木曜日

夢の生活がここに?

僕がイギリスに留学しよう、と思った時にロンドンを選んだ理由の1つは、「大英博物館の近くで勉強したかった」からなんです。

1日の大部分を大英博物館の近くの図書館で過ごし、ちょっと勉強に飽きたらふらっと大英博物館に出かける自分の姿…。それは、仕事のストレスで押しつぶされそうになっていた僕にとって、夢のような世界に思えたものでした。

ところが、僕が選んだ大学は本部が東ロンドンのMile Endにあり、その周囲の環境は決して日本人の知るようなロンドンではありません。大学関係者も、「ここは昼と夜とは違う。夜はできるだけ出歩くな」と言っていたっけ。

というわけで、僕の夢は一旦遠ざかったかに思えましたが、なんとまあ、法学部の大学院だけはホルボーンにあるんですよ。ホルボーンといえば、大英博物館の最寄り駅の1つ。この時点で、僕の夢の生活はほぼかなったに近いと言ってよい、と思ってました。

だが、しかーし!!

この大学院、実際はとても小さい建物で、図書館も附設されていません。教室ですら、バービカンにある医学部系の教室を間借りしているという始末なのは、この間もブログで触れたとおりです。「図書館がない」というのは、大学院の施設としてはありえないほど信じられないことなのですが、そこは心配ご無用。ロンドン大学の本部エリアには、IALSという機関があって、そこは、「ロンドン大学を構成するカレッジの法学部の大学院生以上のみが使用可能な図書館」としても機能しているのです!で、ロンドン大学の本部というのは、な、なんと、


大英博物館の真裏!!


かくして、僕の夢に描いていた学生生活は、まさにドンピシャで僕の目の前に現れたのでした。
ただ、まだ「大英博物館を見に行く」ほどの時間的余裕、又は「大英博物館を見なければやってられない」ほどの勉強疲れはありませんが。

ある日のスナップをここに。



ホルボーンにある大学院から図書館までの途中の道。
写真では、少しさびしそうに見えますが、実際は車の往来も結構あります。


しばらく歩くと、ラッセル・スクウェアです。
既に秋めいた雰囲気を漂わせています。都会のど真ん中なのに、リスを見ることができます。
僕はいつも、この中を横切って図書館に向かいます。


これがIALS(図書館)。
このコンクリートむき出しの建物は、1970年から80年代に建てられたものでしょうか。無機質といえばそうかもしれないけど、みんなが未来を信じていたあの時代の臭いが残っているような気がして(そのにおいは、どこか大阪の万博記念公園をも髣髴とさせるような…)、僕は結構好きかも。


図書館の窓から(その1)。
奥の大きい建物は、ロンドン大学の本部の建物の一部です。
ここからははっきり見えませんが、画面左手奥に大英博物館があり、博物館の裏口とロンドン大学の本部とは、道路を隔てて向かい合わせです。


図書館の窓から(その2)。
ロンドン大学を構成する機関の1つ、SOAS(東洋アフリカ研究学院)が見えています。
ここのLLMにも結構心惹かれてたんだよな…。

ともあれ、今の時間を本当に大切にしなければならない、と思うのでした。

2011年10月8日土曜日

ウェールズ魂

ラグビーのワールドカップも、準々決勝が始まったようです。
僕自身は、(子供のころ「スクール・ウォーズ」は見たけれど)ラグビーに特に興味があるわけではないのでそれほど気にはかけていないのですが、最近街に出るとイングランド代表のユニフォームを着た人(サポーターなんでしょうね)を多く見かけたり、パブで試合を見ている人もいたりすることを考えれば、やはり注目されているんでしょう。そういえば、開幕直前に読んでいた「タイム」紙では、出場国のプロフィールを特集していましたっけ。

ともあれ、イングランド(←「イギリス」じゃありません!)は、ラグビー発祥の地ということもあり、世界ランキングも第4位にあるようなのですが、やはりフットボール(サッカー)に比べたらそれほど熱くはなっていないようです。なので、今日、イングランドはフランスに負けたものの、別にロンドン中が落胆しているということもありません(ただ、今日の夕方、ピカデリー・サーカスのキューピッド像の周りにいつも以上の人だかりができていたのは、もしかしたら今日の敗戦と関係しているのかもしれません。)。これがフットボールなら、もっとすごい騒ぎになっていたことでしょう。

でも、イギリスの中には、おそらく今、とても熱くなっている国があるはずです。

それは、ウェールズ。

ちょうど昨日イングランドが負けた一方で、ウェールズは、アイルランドを下して、20何年か振りの準決勝進出を決めました。で、ウェールズといえば、他のイギリスの構成国とは(多分)異なり、ラグビーがフットボールを上回る人気で、もはや国技というべきお国柄。そして、ウェールズのラグビーファンは、ラグビーファンであることにとても誇りを持っているようで、以前訪れたカーディフのゲイの宿のオーナーは、「パブで飲んだくれて暴れたりするのはフットボールファンのやることさ。ラグビーファンはそんなことはしない」と言って憚りませんでした。
ウェールズのラグビーは、産業革命後に発展した炭鉱業の鉱夫のレジャーとして発達したものという話を聞きましたが、ともあれ、ラグビー独特の「精神」がウェールズ人の誇り高いアイデンティティにマッチしたんじゃないかな、と思わずにはいられません。

そういったことを考えれば、今、ウェールズ全体が熱くなっていることは想像に難くありません。カーディフなども、おそらく一種独特なムードになっているのでしょう。

カーディフに行って、ウェールズ、そしてウェールズ人の誇りの高さを垣間見た僕としては、ことラグビーに関してはイングランドよりもウェールズに肩入れしたくなってしまいます。そして、それゆえに、今、カーディフに行って、そういったムードにちょっと浸ってみたいな、ともふと思ってしまったのでした(まあ、きっとできないけれど。)。

韓食のグローバル化、という話

この間、家からバスで15分くらいの場所にある韓国料理屋に出かけたのですが、レジの横に「ロンドンの韓食マップ」が置いてありました。これがそのマップの表紙です。


で、その発行元の1つとして、「韓食世界化推進委員会」とハングルで書かれていました。おそらく韓国政府の肝煎りでできた委員会なのでしょう。
韓国が国を挙げて韓国料理、つまり「韓食」の世界化を推進している、という話を聞いたことがありましたが、このマップも、そういった「韓食の世界化」キャンペーンの一環なのでしょうね。

韓国料理、僕も好きですよ。特にスープものが。例えば、スントブ(=純豆腐。おぼろ豆腐のようなものなのでしょうね。)チゲとかキムチチゲとか。四川料理や湖南料理を普通の日本人よりも多く食べている僕とすれば、韓国料理に特徴的といわれる辛さも、僕にはむしろ適度な甘みのある辛さに感じられ、それもまた魅力なのだと思っています。

それにしても、韓国政府は、なぜ国を挙げて自国の料理を「世界化」すべくPRするのだろうか、とふと考えてしまいます。そんなことをしなくても、おいしければ確実に受け入れられるはずだし、そうなる力が韓国料理にない、とは思えないのに(たとい広く受け入れられなくても、コアなファンはできることは間違いないと思います。)。実際、以前住んでいたボーンマスには、韓国人も認めるおいしい韓国料理屋があったのですが、もとハウスメイトのスペイン人のA嬢などは、そこの韓国料理の味が忘れられず、一旦帰国してまたボーンマスに戻ってきた時に、早速その店に行ったとか。このA嬢は、その韓国料理屋によって確実に韓国料理ファンになったはずです。
もちろん、何らかの理由で韓国料理が嫌いな人、というのもいるはずですが、それは全く自然な話で、単に「口が合わない」だけのこと。こと味覚は主観的要素が強く、「万人に好かれる」ものなどないんじゃないか、と思います。

なので、韓国料理も、何も無理して国を挙げてPRせずとも、草の根で十分広まっていけばいいのに、と他人事ながら思ってしまうんですよね。
もっとも、韓国人ではなく、かつ、韓国の外に住んでいる僕の超個人的見解としては、次のようなことに配慮する必要はあるのかな、と思いますが。

(1)無理に気取らない。
・・・宮廷料理のような高級感で攻めるよりは、むしろチゲ、チャプチェ、トッポギなどの家庭料理で攻めた方が確実。高級感を前面に出さずとも世界で広まりうるのは、例えばタイ料理、ベトナム料理、そして四川料理などが実証していると思います。

(2)無理に他国の料理と「抱き合わせ」をしない。
・・・イギリスでも、例えば韓国料理屋が日本料理を併せて出すケースがまま見られますが、あれは日本料理としてダメダメなのはいうまでもなく、韓国料理自体もだめにしているんじゃないかな、と思うんですよ。韓国人が韓国料理に真にプライドがあるならば、韓国料理一本で戦うべきと思うのは、僕だけでしょうか?

(3)無理に進化させない。
・・・現地人の口になじむように自然に「進化」することはありでしょうが、まずは基本に忠実なもののほうがかえってウケが良いのではないでしょうか? どんな国の料理でも、食べ慣れると、結局、最もスタンダードなものに回帰するように思うんですよ。僕の場合には、四川料理だと魚香肉絲とか、麻婆豆腐とか。日本料理だと、出し巻き玉子とか、煮物とか、焼魚とかかな。あとはお茶漬け(この間親が、僕の好きなブランドのなめ茸を送ってくれて、気分は最高!!)。

まあ、急いては事を仕損じる、というところでしょうか。

2011年10月3日月曜日

地下鉄の乗り換え

これまでに地下鉄に乗ったことのある街といえば、東京、札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡、北京、上海、香港、台北、ソウル、パリ、そして今住んでいるロンドンと指折り数えられるのですが、どうも僕はロンドンの地下鉄の乗り換えが大嫌いなんです。

なぜか、といえば、往々にして乗り換えに手間がかかるから。

ロンドンの地下鉄の駅設備というのは、決してお年寄りや体の不自由な方に親切にできているわけではなく、INとOUTの人の流れを分けていることが多いものの、ホームにダイレクトにつながるエスカレーターはまず見られず、階段は狭く、都心部では地下深いところを通るのでエスカレーターが異様に長い上に連絡通路のそれなりの長さがあったりする、といった具合です。

乗り換えのしにくい駅、というのは、例えば東京の場合であっても、かの悪名高い赤坂見附―永田町とか、高低差がえげつない国会議事堂前(千代田線―丸の内線)や後楽園(丸の内線―南北線)といったものがありますし、上海にしても人民広場の1号線と2号線の乗り換えは人の多さも相まってうんざりです。でも、東京の場合には他の乗り換えのチョイスがあったり、少しでも不便さを感じないようにエスカレーターがしっかりしているし、上海の人民広場も数年前の駅改造で大分使いやすくなりました。
一方、ロンドンの場合には、路線が古い+おそらく路線敷設の歴史的経緯が相まって、どうしようもない、というのが実態なのかもしれません。でも、乗り換えがとても不便なことが多いことには、とにかくうんざりなんです。

というわけで、プリセッショナルの頃は、Bankでの乗り換えが必要で(これもまた狭い通路をてくてく歩き、狭い螺旋階段を上下するというものでした。)、それを思うだけでもストレスに感じました。なので、大学院が始まった時には、最寄り駅(ホルボーン)は別にあるものの、あえて乗換えを要しないように、レスター・スクエアで降りて歩くこともできることがとてもうれしく思えたのでした(ついでに言えば、僕は、どういうわけか、レスター・スクエア界隈がロンドンで一番好きなんです。)。

…でも、それは最初の1日だけ。

僕の通っている大学院は、場所が狭いこともあって、他の学部の教室を間借りすることも少なくなく、そういった中で、僕は、バービカンにある医学部の教室に足を運ぶことが多くなりそうなことが判明!
で、僕の使うノーザン線では、バービカンまでらくらくアクセスということはできず、結局、キングズクロス・セントパンクラス駅で乗換えを余儀なくされることがしばしばとなってしまいました。嗚呼、僕のレスター・スクエアよ…。

ただ、キングズクロス・セントパンクラス駅を使ってみて分かったこと。
この駅に限って言えば、ノーザン線とホルボーン駅のあるピカデリー線の乗換えが他と比べてとても便利にできていて、乗り換えが苦痛ではないんです。
というわけで、最近は、ホルボーンの校舎に行く時は、来た電車に応じてレスター・スクエアで降りたり、キングズクロス・セントパンクラス駅で乗り換えたりといった具合に、フレキシビリティが高まったのでした。

ムール貝

今日は小鴨がパエリアを作ると言い出し、僕は近所のスーパーに買出しに出かけました。
で、パエリアといえば付き物なのがムール貝なわけですが、ここエゲレスではパエリア1回分のムール貝など売っているわけがなく、結局活けムール貝1ネット(おそらく1キロ近い?)を買わざるを得ない羽目に。でも、安かったですよ。4ポンドしなかったかな。

で、出来上がったパエリア自体については、味は決して悪くはなかったものの、まだまだ改善の余地がある、ということにしておきましょう。パエリアには意外と塩気が必要で、塩気がサフランの味を引き立てるものなんだなあ、と思いました。

ところが、このパエリアにはムール貝を15個くらい使用したのですが、それでもまだまだ大量の活けムール貝どもが冷蔵庫の中でとぐろを巻いています。相手は生物でもありますし、せっかく買ったものだから何とかせねば・・・と考えたところで・・・

「そうだ、ワイン蒸しつくろう!」

そうです、僕らが5月にパリに行った第1日目、夕食を食べようと偶然入った店がムール貝専門店で、桶のような鍋にどっさり入ったムール貝とフライドポテトと白ワインを堪能したあのすばらしい思い出が頭をよぎったのです。

というわけで、夕食は、ムール貝の白ワイン蒸し。
レシピはインターネットを検索すれば簡単に手に入るのがありがたいですね。
今回は、
・ムール貝
・たまねぎ
・バター
・白ワイン
・タイム
・パセリ
・ローリエ
という、至ってシンプルな材料。インターネットでのレシピでは、これにホイップクリームを少々入れるとよいと書いてありましたが、これはないので省略。

でもね、ムール貝ってのは、下準備が結構大変なんですよ。殻の汚れ(中にはフジツボがくっついているものも!)を貝同士で削り落としたり、貝から出ている海草のようなもの(これは、ムール貝の体の一部で、自分の体を何かに固定させるためのものとのこと。)を取ったりと悪戦苦闘すること30分ほど(何せ、かなりの数―50個以上?)、ようやく「まあええやろ」というレベルに。
で、下準備さえ終わればあとはあらかじめバターで炒めたたまねぎに白ワインやハーブを混ぜたものにムール貝を入れて蒸すこと数分でできあがり!これはあっけないほど速いです。

そして、試食。
うーん、蒸し具合も(運よく)具合良く、なかなかの味わい。これでフライドポテト(イギリスの「チップス」ではなく、あくまでも「フレンチフライ」。つまり、マックのフライドポテトのようなやつ)さえあれば気分はすっかりパリの街です。もちろん、僕は白ワインを飲みましたよ。本当に貝と白ワインの相性はすばらしいですね(ただ、欲を言えば、もっと辛口の白ワインにしておけばよかったかな?)。で、貝を全部平らげた後、貝のエキスを一杯吸ったスープを残しておくのはもったいない、ということで、パンをトーストしてそのスープに浸して食べました。これもトレビヤ~ン。

で、お腹もすっかり満足したところで、小鴨の一言。
「あ、写真撮るの忘れた! 今から撮る?」

・・・しかしそこには貝殻の山とスープが残った鍋とパンくずだけ。
こんなの撮っても見苦しいだけなので、あきらめました。