2011年12月31日土曜日

ゆく年くる年

29日の夜、ロンドンに帰ってきました。
とても疲れた、という感じではありませんが、やっぱり少しは疲れているのでしょう、この2日間は、起床時間が遅くなっています。

で、ロンドンは、今まさしくバーゲンシーズン!当然足を運んだわけですが、うん、確かに50%引きなどがざらで、普段高くて買えないものでも手が出る価格になっています。というわけで、僕も少し買ってしまいました。

そして今日31日。
あわてて日本食材の店に足を運んだのですが、あまりたいしたものはなく(というか、行ったのが遅すぎて売れ切れてしまったのでしょうか)、白豆、黒豆とお雑煮用の餅などを少々(我が家のお雑煮は、親父の故郷の岐阜スタイルなので、材料が至ってシンプルなのが幸いしています。)。まあ、仕方ありませんね。

上海時代であっても年末年始は日本に帰省を心がけていたのですが、2010年の新年以来正月の日本を味わっていません。これで3年連続。日本のTVのチューナーをつけていないので紅白も見ることができず、なんとなーく心さびしい気分でもあります。ま、時差の関係で、紅白の時間はこちらのお昼頃となるので、仮に見たとしてもあまり気分は出ないかもしれませんけどね。

去年の年末は、ボーンマスで、そのときたまたま短期間いざるを得なかったアゼルバイジャン人を交えて簡単な正月のまねごとをしたことをふと思い出すと共に、この年越しがイギリス生活最後の年越しとなることに、不思議な感慨を覚えずにはいられません。

今は、スイスで買ってきたヌーシャテル産のピノ・グリのハーフボトルを飲みつつ、そして、本当にいろいろあったこの1年を思い返しつつ、このブログを書いています。後もう少ししたら、年越しそばを食べる予定です。もっとも、小鴨の場合には、そばがそもそも嫌いなので、結婚以来毎年恒例の「年越しタンタンそば」なわけですけどね!

ともあれ、これをもって今年のブログの書き納めといたしましょう。
いろいろな理由でこのブログにたどり着かれたと思いますが、ともあれこのブログを読んでいただいた方に心からの感謝を申し上げると共に、来るべき年(否、アジアではもう既に「来た年」か!)の皆様のご健康とご多幸をお祈りする次第です。




2011年12月27日火曜日

ヌーシャテル

スイス、と言えば、どんなことを思い浮かべますか?
マッターホルン? ユングフラウ? それともハイジ?

…考えてみれば、これらはいずれもドイツ語由来のものですよね。
そう、日本人にとって、スイスはいわばドイツ語圏のイメージからしか語られていないような気がしてなりません。そして、僕もこれまでそうでした。まあ、実際、国民の65%がドイツ系なので、それが間違っているとはいえませんが。

でも、考えてみてください。スイスといって思い浮かべるものに、「レマン湖」、「チーズフォンデュ」、「ジュネーブ」、「ローザンヌ」といったものがありませんか?これらはいずれもフランス語が含まれているわけで…。
…そうです、スイスにはもう1つの大きな部分、French Partというのがあるんです(正確には、それ以外にもイタリアンパート等があるのですが。)。

というわけで、23日にパリからTGVに乗ってやってきたここヌーシャテルは、スイスのFrench Partの一都市です。このブログでもたびたび出てきた件のE嬢とそのご主人のJさんが住んでいて、今回も、彼女の「ここに来なければ許さない」的な勢いで招待されてやってきました。

ヌーシャテル。人口は3万ちょっとの、ヌーシャテル湖を望む坂の街。街自体の歴史は1000年くらいになるようで、町の中心もどことなく中世の面影を漂わせています。

E嬢とJさんが、それはそれは手厚くもてなしてくれていて、今日に至るまで本当に内容ぎっしりの日々を過ごしていますが、今日の記事では、まずはヌーシャテル自身を写真でご紹介としましょう。


23日のパリ・リヨン駅。
クリスマス休暇で帰省する人が多いからでしょうか、本当にたくさんの人でごった返していました。

…そしてたどり着いたヌーシャテル。




ヌーシャテルの中心部附近です。ほんと、坂が多い!


24日は土曜日のため、町の中心には市が立っていました。ここの野菜はとても新鮮!お惣菜系もなかなかおいしそう!ただ、スイスは物価高で、お得感といったものはありません。それでも、クオリティはイギリスよりも明らかに上です。




こんな市には、こんなトラディショナルな秤がよく似合います。


ヌーシャテル湖岸。鴨のつがいが元気良く泳いでいました。我々はどうでしょうか・・・?



この夜は、E嬢の友達を招いてのクリスマスディナー。ご主人のJさんが料理好きで、本格的なコースメニュー仕立て。この夜は結局夜中の2時まで飲み、食べ、そして語らったのでした。





…それから僕らは、更にスイスのFrench Partの魅力を知ることになるのですが、それはまた後ほど。

2011年12月23日金曜日

芸術の街角で

パリといえば、いわずと知れた芸術の都。
絵だけに限っても、ルーブル美術館をはじめ、その充実度はそれはそれは見事なものです(ロンドンも確かにすごいのですけど、ロンドンのアドバンテージはむしろテート・モダンに代表されるような現代アートなのかな、とも思います。)。でも、ルーブルには5月の旅行で行ったこともあり今回はパスして、オルセー美術館に行ったのがパリ2日目の昼です。ここも、特に印象派の絵の充実度がハンパではなく、もちろん昔世界史の教科書で見たことのある絵もちらほらと。加えて、アール・ヌーヴォーの工芸品もなかなかの見ごたえです。

で、そういった芸術の気風は、この街のいたるところで見受けられるわけでして、そういった場所を目的もなくそぞろ歩くのもまた風流ってなものですよね。
そんな街のスナップをまずは少々。


街の通りの表示です。これだけでも風情があるなあ、と思うのは買いかぶりすぎでしょうか?


どこかの何かのエントランス。上には廃材を利用したオブジェが!


ぱっと見では気付かなかったのですが、ペットボトル製クリスマスツリーです。


日本でも人気(らしい?)のマカロン。僕自身は熱狂するほど好きではありませんが、こうやって色彩を楽しめるのはいいですよね。


何気ない街角のカフェ。
いろんな芸術家が、こんな感じのカフェで芸術談義に花を咲かせていたのでしょう…。

***

さて、我々は、その後モンマルトルに出かけました。
もしかしたら、ここが僕にとって一番好きなパリなのかもしれません。ふもとのピガール駅の辺りはややごちゃごちゃしているものの、ちょっと上がればいまでもユトリロの絵を髣髴とさせる路地裏や階段が。そして、サクレ・クール寺院の近くの広場では、絵描きたちが実際に自分の絵を売っていたりします。そういった風情を周りのカフェから眺める、というのも、また格別の興趣があるわけです。



実は今回モンマルトルに来た目的の1つは、こういった絵描きから絵を買うことにありました。
芸術の薫りが一杯の場所で絵描きから自分の気に入った絵(それもいわば一点モノ!!)を買うなんて、なんかとっても贅沢な感じがしませんか?前回5月に来た際には貧乏性が災いして買えなかった分、今回こそは買うと腹を括ってのモンマルトル入りなのでした。

…僕は、いずれアジアに戻った時に自分の家に飾るための、ユトリロっぽい色彩の、飽きが来にくい絵を探していました。それも、できればこの界隈を描いたもので。でも、自分のお目当てのものってのは、なかなか見つかりにくいものでして、小鴨とああだこうだ言いながらこの広場を2周か3周ぐるぐるした結果、香港出身のアーティストから水彩画を買いました。ユトリロのような、というわけには行きませんでしたが、柔らかい線に優しい色調で描かれた、春から夏にかけてのモンマルトル界隈の絵。

さて、肝心のお代なのですが、これが50ユーロ。これが高いか安いか、というのは、なかなか難しいと思いませんか?だって、原価は(本人の人件費を除外すれば)、紙と若干の絵の具代でおそらく10ユーロはしないものですよ。とすれば、50ユーロというのは、結局、「その画家の芸術性」という、目に見えず、かつ、そもそも価格計算の根拠のないものへの対価なわけです。でも、芸術家にとっては、たとえ50ユーロであっても、自分の芸術性が(金銭的にも)評価されたということは、やっぱりうれしいことなのでしょうね。実際、このおじさん、僕らが50ユーロを出した時とてもうれしそうでしたし、隣の仲間の絵描きから、「おー、売れてよかったじゃないか」みたいな事を言われてましたから。もしかしたら今日は、絵描き同士でどこかで飲みに出かけているのかもしれません。

そして、僕自身も、形こそ違え、「サービス」という目に見えないものを売る職業であるがゆえ、その金銭的価値評価の難しさ(言い換えれば、どうすればお客様が満足してお金を払ってくれるか)にはいつも苦しめられてきました。だから、この50ユーロというのは、自分がそれだけの価値があると判断して出したんだ、と、ともすれば貧乏性になりやすい自分自身を得心させたのでした。

…とまあ、話が逸れましたが、ともあれ「モンマルトルで画家から絵を買う」という目的を達成して満足して広場から離れようとしたら、横で小鴨が何か後ろ髪を引かれているようです。なぜか理由を尋ねると、「絵描きたちのうちに、全く商売っ気がない風で自分のモダンアート作品を売っている一人のおじいさんがいた。ここじゃあモダンアートはお土産にはなりにくく人気がないだろう。なので、このおじいさんがこんな寒い冬の日に1日座り続けたとしても、全く売れてないんじゃないか。そう思うとかわいそうで見捨てられない。せめて何か安いものでも買ってあげて助けてあげたい」というじゃありませんか!
僕自身は、既に50ユーロも出していたこともあり、「まあまあ、ここにいる人たちは、みんな売れようと売れまいと、そういう生活をしたいからいるのであって、売れなくたって別にどうってことないはずだよ」となだめたのですが、小鴨はどうしてもおじいさんがかわいそうで気になって仕方ないと言い続けます。
そこで、僕は、ちょっと散策した後、「じゃあ、今から広場に戻ってそのおじいさんがまだ売っていたら買ってあげよう」という提案をしたところ、小鴨が「うん」と言って広場にカムバック。果たしておじいさんはまだ自分の作品を広げていました。なので、比較的安そうな作品(壁飾り)を手に取りつつ、おじいさんや隣の絵描きのおばさんからいろいろ説明してもらった後、そのおじいさんが使う典型的な色調である金と赤のものを買いました。お代35ユーロなり。

その後僕らはカフェに入ったのですが、小鴨はかわいそうなおじいさんを助けてあげたという気分で大満足。買った作品を見ながらそれにもだんだんと愛着が湧いてきたようです。僕自身も、その色調は、ちょうど春節のころなどさりげなく飾るのもおしゃれだな、と思いました(日本の場合だと、春節に外にべたべた中国風の飾りを貼り付けるのもなんですしね。)。

…と、僕はふと思いました。せっかくだからこのおじいさんと写真を撮れば、と。
その時点で既に買ってから1時間ほど経っていたのですが、やはり「まだ売っていたら」ということで広場にまたまた舞い戻ったところ、おじいさん、まだ頑張って自分の作品を広げているではありませんか!よほど生活に苦しいのでしょうか…。

さすがにちょっと気恥ずかしかったのですが、小鴨が勇気を振り絞って「一緒に写真とってくれませんか?」と言ったところ、おじいさんは快諾。小鴨とおじいさんは仲良く写真に納まったのでした。



その後、おじいさんは小鴨に一言。


「あれから、もう1つ大きい作品が売れたんだよ♪」


確かに上の写真でも、左側のボードの上半分に何もないでしょ?あそこにはその大部分を占める立派な作品があったのでした。
そして、小鴨の中で(きわめて主観的に)醸成されていた「かわいそうなおじいさん」のイメージが、音を立てて一瞬にして崩れ去ったのでした…。

さて、最後に我々のモンマルトルでの戦利品を、ここに。


写真中央:香港出身のアーティストから買った水彩画
写真左下:実際はあんまりかわいそうではないおじいさんから買った壁飾り

2011年12月22日木曜日

パリ(到着の日・写真編)

ブログに写真をアップする際には、アップロードをしやすくするために画像を圧縮する必要があるのですが、このプロセスは単純作業な割に結構面倒臭く、旅も9日目ともなれば疲れもたまってなかなか腰が重たくなってしまいます。なので、最近のブログはテキスト主体となってしまっているわけなのですが、先日、僕の知り合いから「もっと写真を!」とのご指摘を受けたこともあり、一念発起で画像加工をしました。

それでは、パリに着いた日の写真を。


ミラノからパリへのフライトは、やっぱり格安イージージェット。
これで二人で手荷物料込みで1万円ちょっとくらいかな。ちなみに空港アクセスもできるだけケチりましたので、ミラノ都心―パリ都心のトータルコストも上記にプラス2000円弱くらい?


パリの地下鉄の入口。ここは、僕らのホテルの最寄り駅のオデオン駅です。
この辺りは、ソルボンヌ大学などがある文教地区のカルチェ・ラタンです。落ち着いたいい雰囲気ですが、夜には薄暗いところにホームレスが出てくるのは、まあ、仕方ないですね。


同じくオデオン駅附近。小鴨がいまいちこの地名を覚えにくいようで、「おでん」とか言い出して困ります。


先の記事でも書いたように、到着日は、モンパルナスに行ってからシャンゼリゼ通りを散策。見えるかな、凱旋門。


シャンゼリゼの両脇にはさまざまなイルミネーション、夜店、そして遊具が出ています。これは豆汽車。


そしてそれを見る子供たちの顔。子供は世界どこでも純真でかわいいものです。逆に言えば、それだけ自分が大人になり失ってしまったものが多いのでしょう。


これらはそういったアトラクションのほんの一部。


そして、シャンゼリゼを凱旋門に向かって左側をふと見れば、エッフェル塔!
夜のエッフェル塔は、今年の5月の旅行で上りましたが、あのイルミネーションに彩られた鉄塔の中の階段を夜に上り下りするのは、まるで夢のトンネルを潜り抜けているようでとてもロマンチックです。


街路樹のイルミネーション。至ってシンプルですが、なぜか味わい深く感じるのは気のせい?
そして、このイルミネーション、時間を追って色が変わります。例えば、こんなふうに。



…とまあ、パリの1日目の夜は、こんな感じで。
次のブログでは、今日の出来事を。

…ミラノの写真はどこって?
ごめん!!それは、また!(タイミングを逸してしまって)

2011年12月21日水曜日

パリに着きました!

今日は、飛行機でミラノからパリに飛びました。
それにしても驚きなのはその距離!今google earthで計ったら、ミラノ(リナーテ空港)からパリ(オルリー空港)までが直線距離で約640km。ちなみに羽田空港から松山空港までが約677kmです。なるほど、スチュワーデスが「飛行時間1時間10分です」と言ったわけです。

ミラノでは、少なくとも小鴨にとっては非常に充実していたことでしょう。とにかくドゥオーモに行った以外は観光的要素はほとんどなく、もっぱら買い物!買い物!!買い物!!!
ま、学生身分ゆえ超一流ブランドを買いあさったとかそんなことはしておりませんが、彼女なりに納得できる戦果であったようですので、よしとしましょう。
ちなみに僕は、どうしてもダヴィンチの「最後の晩餐」を見たくて月曜日に行ったのですが、なんとまあ月曜日はお休みでした(T_T) ま、その代わり、そこからトラム初体験をして、狭い道を進むその風情を楽しむことができたのでよしとしましょう。

そして、もちろん美食も!先の記事でもミラノの第一夜の食事に触れましたが、その後もはずれがなかったところは、さすがはイタリアです。

その中で、ある意味もっともインパクトが強かったのは、3日目の昼に出かけたカラブリア料理の店かな。カラブリア料理とは、南イタリアのカラブリア州の料理で、唐辛子をふんだんに使うことに特徴があります。となれば、四川人の小鴨にとっては攻略のしがいがあるということでの挑戦となったわけです(例のイタリア好きのいとこもかつて紹介してくれたほか、イタリア駐在員だった人のブログを見ていたらやっぱりおススメとあったことも、訪問の動機となってます。)。


Dongiò
Via Bernardino Corio, 3, 20135 Milano


http://maps.google.co.jp/maps/place?hl=ja&rlz=1T4ADBR_jaJP263JP286&um=1&ie=UTF-8&q=DONGIO'&fb=1&gl=jp&hq=DONGIO'&cid=757240828933082534

で、感想。
表通りからちょっと入ったところで、ロケーション的に分かりにくい感も無きにしも非ずですが、昼でも続々と人が入ってきて、間違いなく人気店であることが分かります。
で、出てくる食事は、実際辛いです。どういうんだろう、唐辛子の味が正面から出てくるような感じ(言い換えれば、生唐辛子をそのままかじったときに感じる辛さ)で、四川料理の辛さの演出方法とはかなり違うかも、というのが、四川人の小鴨の弁で、僕もこれに同意。でも、演出の違いこそあれ、その味はなかなかのもので、僕も小鴨も大満足。

特に白眉はデザート。「チョコレート&唐辛子のトリュフ」ってのを注文したのですが、これが見た目は普通のトリュフで、口に入れたときの味もおいしいチョコレートの味。「あれ?それじゃ唐辛子の意味がないじゃない?」と思って嚥下した時、唐辛子の存在を嫌というほど思い知ったのです。

…そう、喉が焼けるようにひりつくのです!!

これは初めての感覚。そしてそれゆえに面白くって!
何か面白いイタ飯をミラノで、という方には、ここを是非おススメします。

そして、僕らは、リナーテ空港で、カラブリア州の唐辛子の瓶詰めを買ってしまったのでした。

…移動続きで疲れてて、今日もなかなか筆が進みません。↑の内容は、ミラノで見聞したもののごくごくわずかでしかないのに。
その他トピックを掲げると、

・ドゥオーモ(ミラノのシンボル的教会)は、昼と夕方両方に行くべし!
・ドゥオーモ前には強引に握らせた鳩の餌をネタに金をゆすろうとする輩がいるので要注意(僕らもついつい引っかかってしまいましたが、金を払わずにトンズラかましました。)
・ミラノのイメージカラーは黄色…?
・日暮れ後のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガレリアは、まるで夢の世界!
・公共交通機関はロンドンと比べてはるかに安く済む!
・話に聞いていたけど、道を歩く人が男女ともおしゃれ!!特におばあさんが決しておしゃれを忘れておらず、(日本じゃきっと浮いてしまうような)毛皮のコートを粋に着こなしていることにびっくり!

===

そして、今はパリ。宿はカルチェ・ラタンのあたりで、オデオン座のすぐ近くです。
今日は投宿後モンパルナスまで散策し、その後地下鉄でシャンゼリゼ通りに。イルミネーションが点るシャンゼリゼ通りは見事の一言。小鴨は我を忘れて(おそらく旦那も忘れて)写真撮影です。もちろん、人も一杯、出店も一杯!

今回の旅行は、小鴨のビザの関係でフランス滞在を最長にしなければならない事情があり、ニースからミラノに出たあとフランスに戻ってきたわけですが、僕は、フランスに戻ってきてなぜかほっとする感覚を覚えずにはいられませんでした。それは、いろんな要素があるのでしょうが、きっと言語の面も大きいのだと思います。
恥ずかしながらこのMimakiirihiko、大学時代の第2外国語はフランス語でして(もちろん成績は低空飛行)、細かいことはすっかり忘れているのですが、まだ多少のボキャブラリーが残っているのです。もちろんイタリア語はフランス語に近い言語ではありますが、それでも基本的なボキャブラリーに違いがあったり(例えば、「ありがとう」のMerci とGrazie;「水」のeauとacqua)、似た表現でも僕にとってなじみがなかったり(例えば、イタリア語の「こんばんは」は、フランス語のBon soirとおそらく全く同じ表現を使っているのでしょうが、はじめ言われてもピンとこず、しばらくたって「ああそうか」となるわけです)して、そういったことは、意外と人を不安にさせるもののようです。なので、フランスに戻ってきたら、分からないなりにところどころ聞き覚えのある言葉が出てきたり、片言でもBonjour とか Au revoirとかが言えたりしたとき、「あーよかった」なんて思うわけです。

…今日の夕食はモンパルナスで食べたのですが、締めのコーヒーを注文する時に、ついついcafe latte(カフェラテ)と言いそうになり、あわててcafe au lait(カフェ・オ・レ)と言い直しました。でも、今はスタバとかのおかげて「ミルク入りコーヒー」はロンドンでもカフェラテなんですよね。
あ、そうそう、スタバとかでは、このカフェラテを更に省略させた「ラテ」で十分通用しますよね。これはロンドンでも同じなのですが、ミラノに来た第1日目、バル(イタリアのコーヒー屋)でついついカフェラテを注文しようとして「ラテ」といったところ、やってきたのはホットミルク。あちゃー、確かにこれ「ラテ」(=latte、つまり「牛乳」)だよな、と自らを反省しつつ、泡立つ白い液体を寂しく啜ったのでした。

2011年12月17日土曜日

ミラノに着きました!

今日は、ニースからミラノへの移動の日。
ニース―ミラノ間は、地図で見る限り決して遠くはないのですが、コート・ダジュールはモナコのロケーションを想像していただければ分かるように、(※)、急峻な崖が海にそそり立つような場所が多く、決して往来が容易ではありません。加えて、この季節、フランス国鉄様は線路工事をするとのことで、もし鉄道でミラノ入りするならばリヨン周りで10時間以上というふざけたことをのたまいましたので(これがどれだけふざけたルートかということについては、google earthをご参照くださいな。)、今回は、思い切って国際バス(ユーロラインズ)を利用することとしたのです。

お代しめて50ユーロ/人、時間6時間半の行程です。
しかしながら、ニース発が午前4時!ミラノについてからの時間が有効に使えるとはいうものの、決して若くはないMimakiirihiko夫妻には、余りうれしい話ではありません。

…とはいいつつも、これしか効率的な移動手段がないので、乗ったわけです。

ニースのバス停は、「○○通り5番地、眼鏡屋の前」という非常に不親切極まりない案内がeチケット上に記載されていたのですが、果たして事前にその辺りに下見してみても、ユーロラインズのバス停の表示は一切なし。その後ユーロラインズのオフィスに行って確認したところでも「バス停の表示はないが、そこで間違いない」とのことでしたので、腹をくくって3時45分頃その場所にたどり着いたのでした。乗客も何人か集まってきています。

そして定刻より遅れること約10分。スペインナンバーのバスがやって来ました。もしかしたらバルセロナ辺りから地中海沿岸経由でやってきたのかもしれません。非常に適当なチェックインの後、完全自由席で小鴨と僕が並んで座れる場所もなく、それぞれが離れて座ることを余儀なくされました。

ニースを発車したバスは、市街地から山に向かって走り出し、割と高い場所にある高速道路に入って一路東へ針路を向けました…



…約4時間後、ふと目を覚ますと、そこには整然と並んだ建物がある大都市。周りの人の口ぶりではトリノのようです。結局国境での検問などなくいつの間にかイタリアに入り、トリノまでやってきたようです。遠くには朝日を浴びて輝くアルプスの山々。ちょっと荘厳さを感じすらしました。

そして更に2時間後。ようやくミラノに着きました。長距離バスターミナルは市の外れにあるため、小鴨ははじめミラノに着いたとは気づかず、一向に降りようとしません。彼女の思う「ミラノ」がそこにはなかったからなのですが、放っておけば次のヴェネツィアまで行ってしまいそうな勢いでしたので、まずはめでたしめでたし。
ともあれ、地下鉄に乗ってホテルへ。チェックイン時間前だったのでトランクだけ預けてまずは市内を下見に。

…ま、それについては、またおいおい書きましょう。
あ、そうそう、夕食は、ホテルの近所でホテルの人が紹介してくれた場所に行きましたが、やっぱりイタ飯はいいわぁ~と小鴨共々感動(ニースは、食事に関しては決して感動できるものにめぐり合えなかったこともあり、イタリアでの食事を心待ちにしていたのでした。)。


でも、さすがに、今日はちょっと疲れました。長距離バスは便利かもしれないけど、やっぱり楽な移動手段ではありませんね。

それでは、また続きは後ほどに。

(※)ニースの最終日(バスに乗る前日)は、モナコ、そして、コートダジュールのいわゆる「鷹の巣村」の1つであるエズに行きました。これ自体もいろいろ書きたいことがあるのですが、これもしかるべきときにおいおいと!

2011年12月14日水曜日

青い海岸

今朝は、まだ暗いうち(と言っても7時なのですが)に家を出ました。いつもよりはやや暖かいかな?と思いつつも、やはり風は冷たく、空港行きのバスを待つ体も冷えてきます。

ようよう夜が明けてきた8時前、空港行きのバスに乗り込み揺られること約1時間。ロンドンの5つの空港の1つ、スタンステッド空港に着きました。向かうはニース。飛行機はやはりLCC(格安航空会社)のイージージェットです。

スタンステッド空港は、ヒースローなどとは異なり、基本的にLCC御用達の空港ということもあり、さぞかし簡素な空港なのでは、と思いきや、これがなかなか規模が大きく、また、施設もきれいで程よく充実しているのに驚きです。そうだな、規模的には中部空港くらいあるかも。もっとも、LCC向けということもあり、ボーディングブリッジはほとんどありませんが。


出発ロビーから外をパチリ。ここにはかのLCCの雄、ライアンエアーも幅をきかしております。

イージージェットはLCCであるがゆえに、もちろん簡素なチェックイン、預け荷物有料、完全自由席、機内サービス全て有料といった具合ですが、ライアンほどには露骨な徹底感は感じられず、まあ、「程よい感じ」なのかもしれません。


燦然と輝くイージージェットのロゴ入りウィングレット!

さて、飛行機は約2時間かけてロンドンからニースへ飛びます。この距離、上海―成田よりと同じかそれともやや短いわけで。

そしてニース。南に来た!という感じの開放的かつのんびりした雰囲気は、中国で言えばアモイかマカオに近いのかもしれません。
でも、そのどちらにもないのは、この青い海!


ほんと、ここまで青いとは思いませんでした。
コート・ダジュール(青い海岸)とは、よく言ったものです。

で、街の施設は、やっぱり青を基調としているようです。こんな感じに。

青のレンタサイクル。

青のベンチ。


青のゴミ箱。

…さすがは「青い海岸」の街!

チェックイン後、旧市街をしばし散策しました。それもなかなか興趣深いものでしたが、今日は移動も多く疲れたので、省略します。
ひとまず、青をご堪能あれ!

2011年12月13日火曜日

明日から旅行です

昨日は、ロイヤル・アルバート・ホールにクリスマス・キャロルを聞きに行きました。
ロイヤル・アルバート・ホールといえば、イギリスのクラシック音楽の総本山、と言えば大げさかもしれませんが、とにかく有名な音楽ホールであることは間違いありませんよね。

もっとも、相変わらずの学生身分ということで、買ったチケットは最安の12ポンド/人。指定した座席は最上階のステージ際でした。ところが、実際にその場所に行ったら、入り口にいた係のお姉さんが、「もしよければ別の席にお通しできますよ」といって示したのが1階席!迷わず替えてもらいました。おそらくその辺りが空席だったので埋めたかったのでしょうが、後で周りの人が持っているチケットをチラ見したら、約39ポンド/人でしたので、いや、本当にラッキーでした。

中の雰囲気は、うん、決して最新の音響設備を備えているわけではありませんが、積み重ねた歴史とそれに基づく格式のようなものは、なかなか追いつけるものではありません。大英帝国の遺産ってのはかくも生き続けるものなのか、と思わずにはいられません。

演奏会自体は、(まあ、大衆向けの演奏会ということもあるのでしょうけど、)いろいろ演出に趣向を凝らしたり、所々で聴衆も一緒に歌うなどして、舞台と客席の一体感のようなものが普通の演奏会とは異なる雰囲気でなかなかよかったです。また、伴奏にオケがはいっていたのですが、特にそのヴァイオリンの音の柔らかさがとても心地よかったです(そのかわり、時々出てくるソリスト用の指向性のやたら高いマイクがソリストのブレスその他の細かい音まで拾っていたのは気になりましたが。)。とにかく、あのホールの歴史と雰囲気に包まれることができたことがとてもすばらしく感じました。

・・・もっとも、小鴨は、この種の音楽には全く関心がないこともあり、大した印象もなかったようでした。正直ちょっと寂しいですが、まあ、B型の性格ってのはそんなところがあると俗に言ったりするよな、と諦めなければならないのでしょう。。。

ところで、明日からヨーロッパ大陸への旅行に出かけます。
明日は午前中にニースに向かいます。

ブログについては、今回はいろいろ考えましたがPCを持って行くことにしましたので、随時アップできるかな、と思ってますが、どうなることやら!?

ともあれ、今日はこのくらいに!
行ってきまーす!!

2011年12月11日日曜日

ありの実

僕の好きな果物は、梨と桃。
両方に共通する要素からすれば、「水分たっぷり」で、かつ、「甘い」果物が好きなんでしょうね(もっとも、梨については、親の知り合いが毎年送ってきてくれていたためもあるのでしょう、二十世紀が一番好きなので、決して「甘い」一辺倒ではないとは思うんですけど。)。

で、梨といえば、和なし、中国梨、洋梨とあるわけで、中国でも中国梨には結構お世話になりました。中国なしは、形は洋梨のような感じで不恰好ですが、味は和なしのような感じで、例のシャリシャリ感も十分です。漢方の世界では咳に効果があるとのことで、成都に行ったときに咳がひどくなった時などは、漢方医に処方箋を書いてもらった上で、附属の薬膳料理屋で梨ジュースを飲んだりしたものです。こんな薬なら毎日でも!

その一方、この不肖Mimakiirihiko、これまで、食べたことがあったのかなかったのか記憶が定かでないほど洋梨とは無縁の生活を送っておりました(少なくとも、生食はしたことがないような)。まあ、日本では和なしがあるし、和なしと比べりゃ洋梨高いですしね。そういうわけで、僕はずっと、「洋梨=柔らかい、においがきつい=(僕が知っている、という意味においての)『梨』ではない!」という、言ってみりゃネガティブなイメージしか持っておりませんでした。

とはいうものの、ここで一番簡単に入る梨は言うまでもなく洋梨です。ちょっと前からいろいろな種類の洋梨がスーパーや果物屋に並んでいます。というわけで、人生37年目にして(おそらく初)の洋梨に挑戦です。
お味は…

うん、おいしい♪

洋梨をこんなに気に入るとは、我ながら意外に感じましたよ。でも、良く考えてみれば、冒頭に書いたとおり、僕は梨と桃が好きな人。つまり、桃のような「しっとり、柔らかい」感覚(※)はそもそも嫌いじゃなかったのです。いやー、食わず嫌いはあきまへんな。
というわけで、それからというもの、スーパーに行くたびに洋梨に手が伸びるようになりましたし、好きな品種(TESCOでキロ1.95ポンドくらいで売られているBlush Pear!)も出てきたわけです。

ただ、やっぱり洋梨は、食べるタイミングが和なしのように簡単でないのは難しいところ。つまり、買った後もすぐ食べられることは多くなく(食べても香りがなく、余りおいしくない)、2,3日はビニール袋に入れて熟成させて少し柔らかくしなければなりません。でも、これもおいしい梨を食べるための投資です。

(※)でも、中国人の小鴨に言わせれば、桃というのは堅いものとのこと。確かに中国で普通に売られている桃は、日本のような水蜜桃ではなく、やや青臭く、堅いんです。食べる時に、「コリッ、コリッ」という音がするくらい。なので、僕は中国の桃は余り好きではないのです。

===
はてさて、話は変わって昨日のこと。
久しぶりにピカデリー・サーカスのジャパン・センターに行って見ると、和なしが1個1.99ポンドで売られていました。ちょっと高過ぎるな、とは思いつつも、あのシャリシャリした和なしの食感がとても懐かしくなり(これは小鴨も同じでした。)、ついつい2つ買ったのでした。

その後、僕と小鴨は、食材を買いに、チャイナタウンにある中国食材スーパーに行きました。
…と、そこで目にしたのは何とまあ中国梨!しかも、6個で1.65ポンド!!!

ガ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━ン!


帰宅後、1.99ポンド/個をはたいて買った貴重な和なしちゃんを食べました。
…でも、おいしくない…。大味でただ水っぽい代物でした。こんなもん、日本でも売れんぞ!!


つか、日本食材屋、なんでもかんでも高すぎです。
もう、これからどうしても他で手に入らない場合しか行かへんからな!!!(実際のところ、そういったものが少なくなかったりするのがつらいところですが(例:各種生魚、薄切り肉)、少なくとも野菜と果物はもうこりごり。)

2011年12月10日土曜日

ホームカミング・デイ

金曜日、1学期が終わりました。
前にも書きましたが、とにかくあっという間という言葉しか思いつきません。

…ま、大学院生活についてはまた別の機会に書くとして、今日は、6日に行ったボーンマスのお話。

7月の頭にボーンマスを離れてからなかなか訪れることができなかったボーンマス。週末に行っても語学学校は閉まっているだろうし、平日はやっぱりロンドンから出にくいということもあり、ずっと二の足を踏んでいましたが、今週は大学も1学期の最終週だし、ボーンマスの語学学校も今はオフシーズンで余裕があるだろうし、ということで、一念発起での「帰省」でした。

朝少し早く起きて、ヴィクトリアのコーチステーション8時発の長距離バス(コーチ)で一路ボーンマスへ。車中はほとんど寝ていたのですが、ウィンチェスターの辺りで一旦目が覚めると、そこには懐かしいカントリーサイドの風景!初めてイギリスに足を踏み入れた日の感動を再び思い出したのでした。あの時とは異なり、冬の風景だけど。

そして、コーチはサザンプトンをかすめ、ニューフォレストを通り、ボーンマス市に入りました。いつも見慣れた窓越しの景色。昔良く通っていた陸橋をくぐるとまもなくボーンマス駅に到着!

そこには、離れた時と全く同じ街の姿がありました。
そして、僕たちも、5か月ぶりのはずなのに、まるで数日ボーンマスを離れてまた戻ってきたような、不思議な感覚になっていました。

その後、僕たちはまずは通っていた語学学校に行きました。スタッフのほとんどは僕たちのことをまだ覚えていて、懐かしい人たちといろいろ話をしました。特に、住んでいたStudent Houseの掃除などもしてくれていたTさん(この人の人柄は本当に素晴らしい!)は、お昼前で学食の準備に忙しいのに、僕たちが来たことを本当に喜んでくれました。小鴨も、Tさんにと学校で作ったクリスマスリースを渡していました。

食堂で小鴨とチップスをつまんでいると、ここでもやっぱり不思議な感覚が…。そう、今もここで勉強しているような感覚に陥っていたのでした。

その後は、こんな感じで動きました。


学校からStudent Houseに向かう道。
毎日通った道です。犬の落し物に注意しなければならないのも変わりなく。


シャフツベリー・ロード。
僕たちのStudent Houseのある通りです。



Student Houseの前で記念撮影。
僕たちはこの写真でも見える2階の部屋に住んでました。


学生御用達だったパブ。
半年くらい前、こじゃれたワインバーのような感じもするパブに改装されました。

学校の辺りをこうやって散策した後、昼食を食べ、その後はTown Centre方面に向かいました。




ボーンマスといえば、海!(逆に言えば、それだけ!)
冬のボーンマス・ピア。逆光のアングルですが、何となく神々しさすら感じました。


ビーチ。ちょうど引き潮の時間ですね。


タウン・センターのスクウェアといわれている場所です。
クリスマスシーズンには、屋台のようなものやちょっとしたアトラクションのようなものも出ます。写真中央のサンタクロース(ロボットでただ棒をよじ登ったり降りたりの動作を繰り返すだけです。)を去年も見たというのが小鴨の弁。僕は忘れちゃってたけど。


これもタウン・センターの一角。何の変哲もないホコ天ですが、それでも僕らにとっては懐かしい街並み。


帰りのコーチの時間は、ボーンマスとロンドンとのいずれで夕食を食べるにも中途半端。なので、全国チェーンのアイリッシュ・パブでチョコレートケーキ(これがでかい!)を二人でシェア。僕はついでにギネスを1パイント。僕は、エール党で普段ギネスを飲まないのですが、今日は久しぶりに入るアイリッシュ・パブということで、あえてギネスをチョイス。


で、こんな感じ。

そうして、ロンドンに帰ったのでした。

ボーンマスは、外国人が観光旅行でちょこっと訪れるには全く適しない街ですが、イギリスでは非常に有名な保養地です。つまり、海以外に見るべき観光資源があまりなく、あえてボーンマスに海を見に行く必要が外国人にはない一方、ロンドンからも程よい距離+イギリス屈指の温暖な場所ということで、イギリス人にとってはちょうど良く「のんびりできる」場所なのでしょうね。

ロンドン生活に慣れてきた僕たちとしては、ロンドンのような刺激に乏しいことは否めませんが、逆にロンドン生活慣れしてきた分、イギリス人的視点からボーンマスの良さを感じるようになってきているのかもしれません。加えて、ここは、僕たちにとってイギリス生活の第一歩を踏み出した場所!

思えばここでいろいろな人とも出会ったわけで、この冬休みに企画している旅行でも、そのうちのスイスの1週間は、ここで出会った件のE嬢の家で過ごすことになっているのは、前回お話したとおり。

人とも、街とも、思いがけない縁ができるものなんだなあ、と思いました。