僕が通っていた大学では、法学部(の専門課程)は、「法学部砂漠」と呼ばれていました(ググってみると、いくつかの大学でも同じような言い方をするようですね。)。
これは、法学部というのは、大教室での講義がほとんどで、あとは図書館かどこかで勉強するだけという「個人プレイ」に終始することが多くなりがちで、ほかの人とのコミュニケーションが希薄になってしまう、という現象を「砂漠」になぞらえたもののようです。
僕の場合には、もともと法学部つながりの友達というのは(中途半端に「小賢しい」雰囲気がなんだかとてもいやで)ほとんどなく、普段は中学・高校時代からの友人や合唱団のメンバーとつるんでいたので、幸いにして、「法学部砂漠」を感じることはあまりありませんでした(というより、授業に出る以外、「法学部」から逃れようとしていたのかもしれません。)。加えて、資格試験を目指したダブルスクールもやっていたので(これはこれで最悪でしたが)、「砂漠」を感じる暇もなかったのかもしれません。
===
で、今、こちらの大学院では、今週から講義が始まりました。今週と来週は、科目登録前のお試し期間ということで、興味のある科目の講義にちょいちょいと顔を出しています。
でも、この大学(というか、どこのイギリスのLLMも基本的に同じなのかもしれませんが)では、少人数ゼミ形式の科目はなく、原則「教室での講義+試験が3科目、論文1科目」が学位取得の要件となりますので、気がつけば、「…あれ?誰とも話していない」ってことになってしまいます。
…そうです、「法学部砂漠」がここにも現れたのです。
まあ、僕自身は、これまでも勉強している姿を他人に見られるのが嫌で、個人プレイで通してきたこともあるので、それ自体は苦ではないのですが、英語を「話す」環境に乏しいのは、ちょっとなぁ、という気持ちにならないわけではありません。それでも、教室に知り合いがいれば雑談くらいはすることはできるのでしょうが。
ま、もう少し様子を見てみましょ。
2011年9月30日金曜日
2011年9月25日日曜日
オイスターカード
今は昔、1ポンド=250円という時代がありまして、ロンドンの地下鉄の初乗りが1000円もするという話が日本のニュースでも流れてました。今では円―ポンドのレートは、そのときから半値近くまで落ち込んでいるものの、初乗り4ポンドというのは全く変わっていません。
これだけ聞けば、ロンドンの地下鉄はなんて高いんだ、という話になりますが、この4ポンド、というのは、あくまでも初乗り切符を買う場合のお話で、僕たちは普段そんな高い料金を払って地下鉄には乗っていません。
それは、オイスターカードのおかげ。
オイスターカードというのは、まあ、日本で言うSUICAなどなどのようなICカードで、これを使うと初乗り運賃は1.9ポンドまで下がります。つまり、切符での初乗り4ポンドというのは、オイスターカード利用促進のためのいわば「嫌がらせ」のようなものです。まあ、1.9ポンドというのも決して安くないのですけどね。大阪の地下鉄の初乗りより高いし…。
で、オイスターカードは、必要に応じて1日/1週間/1か月/1年の定期券(トラベルカード)機能をくっつけることができます。これ自身は、無記名式ですので誰が使ってもかまわない(よう)ですし、これさえあれば、自分が買ったゾーン(※)内であれば、バスを含めて乗り放題となるのがありがたいところです。ただ、プレミアムがそれほどあるわけではなく、それほどおトク感を感じないのが頭の痛いところ。それでも、いろいろ計算したところ、毎日通勤時間に利用するのであれば確かに(若干)割安なので、プリセッショナル期間は、ゾーン1-4のトラベルカードを買っていました。お代しめて151ポンド30ペンスなり。日本円で20000円くらい、人民元で1513元くらいと考えれば、その高さを感じていただけるのではないでしょうか(※※)。なので、151ポンド30ペンスを支払った時は、そこはかとない罪悪感にさいなまれましたよ。たとえ、トータルで考えれば得であることが頭で分かっているとしても。
※ロンドンの地下鉄の料金体系は、中心から同心円状に設定されたゾーンをベースにしたゾーン制です。つまり、大阪の地下鉄になぞらえれば、1区料金、2区料金…といったものが、距離ではなくゾーンの移動によって決まるということになります。
※※なお、ゾーン1-4のオフピーク運賃とほぼ同じ料金と思われる小田急線の新宿―鶴川間の1か月通勤定期は、11540円とのこと。
ロンドンの交通運賃は、かくのごとく(ロンドン人も文句を言うほど)高いのですが、学期中の学生に対しては、記名式+顔写真付きのオイスターカードの発行を受けることができます。これは、トラベルカードが3割引になるというスグレモノ。なので、早速先週の月曜日にオンライン経由で申し込んだところ、なんとまあ金曜日には郵送されてきたではないですか!こんな感じにね。
で、昨日、出かけるついでがあったので、早速このカードにトラベルカード機能をくっつけることとしました。でも、ここでまた悩むのが、期間を1か月にするか、1年にするか、ということ(3か月とか6か月とかいうのはないようなんですよ。)。で、ああでもないこうでもないと電卓を叩いた結果、やはり1年を買ったほうが得なんじゃないか、という結論になり、払いましたよ1年分。お代しめて1100ポンドなり!!
お金を払うとき、先月の151ポンド30ペンス以上の罪悪感を感じてしまったのでした…
でも、これからは、自分の生活範囲内では地下鉄・バスが乗り放題となるので、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のでしょう。きっと。
これだけ聞けば、ロンドンの地下鉄はなんて高いんだ、という話になりますが、この4ポンド、というのは、あくまでも初乗り切符を買う場合のお話で、僕たちは普段そんな高い料金を払って地下鉄には乗っていません。
それは、オイスターカードのおかげ。
オイスターカードというのは、まあ、日本で言うSUICAなどなどのようなICカードで、これを使うと初乗り運賃は1.9ポンドまで下がります。つまり、切符での初乗り4ポンドというのは、オイスターカード利用促進のためのいわば「嫌がらせ」のようなものです。まあ、1.9ポンドというのも決して安くないのですけどね。大阪の地下鉄の初乗りより高いし…。
で、オイスターカードは、必要に応じて1日/1週間/1か月/1年の定期券(トラベルカード)機能をくっつけることができます。これ自身は、無記名式ですので誰が使ってもかまわない(よう)ですし、これさえあれば、自分が買ったゾーン(※)内であれば、バスを含めて乗り放題となるのがありがたいところです。ただ、プレミアムがそれほどあるわけではなく、それほどおトク感を感じないのが頭の痛いところ。それでも、いろいろ計算したところ、毎日通勤時間に利用するのであれば確かに(若干)割安なので、プリセッショナル期間は、ゾーン1-4のトラベルカードを買っていました。お代しめて151ポンド30ペンスなり。日本円で20000円くらい、人民元で1513元くらいと考えれば、その高さを感じていただけるのではないでしょうか(※※)。なので、151ポンド30ペンスを支払った時は、そこはかとない罪悪感にさいなまれましたよ。たとえ、トータルで考えれば得であることが頭で分かっているとしても。
※ロンドンの地下鉄の料金体系は、中心から同心円状に設定されたゾーンをベースにしたゾーン制です。つまり、大阪の地下鉄になぞらえれば、1区料金、2区料金…といったものが、距離ではなくゾーンの移動によって決まるということになります。
※※なお、ゾーン1-4のオフピーク運賃とほぼ同じ料金と思われる小田急線の新宿―鶴川間の1か月通勤定期は、11540円とのこと。
ロンドンの交通運賃は、かくのごとく(ロンドン人も文句を言うほど)高いのですが、学期中の学生に対しては、記名式+顔写真付きのオイスターカードの発行を受けることができます。これは、トラベルカードが3割引になるというスグレモノ。なので、早速先週の月曜日にオンライン経由で申し込んだところ、なんとまあ金曜日には郵送されてきたではないですか!こんな感じにね。
で、昨日、出かけるついでがあったので、早速このカードにトラベルカード機能をくっつけることとしました。でも、ここでまた悩むのが、期間を1か月にするか、1年にするか、ということ(3か月とか6か月とかいうのはないようなんですよ。)。で、ああでもないこうでもないと電卓を叩いた結果、やはり1年を買ったほうが得なんじゃないか、という結論になり、払いましたよ1年分。お代しめて1100ポンドなり!!
お金を払うとき、先月の151ポンド30ペンス以上の罪悪感を感じてしまったのでした…
でも、これからは、自分の生活範囲内では地下鉄・バスが乗り放題となるので、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のでしょう。きっと。
2011年9月24日土曜日
パラダイムの動揺
今日は、ちょっと「微妙」な話。
この間、youtubeのある動画を見ていたら(これ自体は台湾のものだったような。ちなみに、僕の知る限り、youtubeは中国大陸(HK、マカオを除く)からは原則見ることができません。)、「台湾」に関して台湾人と大陸人(おそらく留学生?)とが激しくコメント上で罵り合っていました(使用する文字が簡体字と繁体字なので、どちらがどちらかは一目瞭然なのが面白いところです。)。
まあ、端的に言えば、台湾のユーザーが「台湾は台湾だ、大陸とは違う」と主張するのに対し、大陸側が「中国が1つなのは常識過ぎるほどの常識であり、今更台湾がさも独立したような言い方をしても、大陸では常識はずれと笑われるだけだ。」と言い返す、という、まあ、定番といえば定番の罵り合いです。
まあ、政治やイデオロギー的な問題はさておいて、この議論、「グローバル」かつ「一般人」の目線で見たときに、どちらが本当に「笑われる」と思いますか?
…僕は、自分の経験からすれば、大陸側だと思うんですよ。大陸人には申し訳ないのですが。
僕もここに来て驚いたのですが、少なからぬヨーロッパ人は、台湾が独立国家であることを当然の前提として話す人が少なくないのです。それに、台湾人自身も自らをChineseとは言わず、Tiwaneseと言いますしね。とにかく、「中国は中国語だよね。台湾も中国語を話すの?」なんていう質問を受けたことは1度や2度ではないのです。
このような状況に遭遇した大陸人が、たとい自らの立場を主張したとしても、相手は、「うーん、何か難しい問題があるようだね(心中:うざ~。でも、結局政府は2つあるんだから、やっぱ違う国じゃん※)」と反応するのが関の山だと思うんですよ。加えて、僕の経験した限り、西ヨーロッパ人は、「共産主義」とか「社会主義」に対するアレルギーが僕が予想したよりも強いようですので、それが確かならば、そもそもの部分で大陸人の国家やイデオロギーに対する主張にはディスアドバンテージが伴いやすいように思うのです。
※「国家」という概念をいかに解するか、というのは、国際公法の最初の論点のように記憶していますが、ここでの「国」は、そういった議論は全く踏まえておりません。
で、僕はと言えば、そういったヨーロッパ人の反応と台湾人のアイデンティティーに配慮しつつ、それでもどこか小鴨が感じるであろうところも慮り、英語でも(台湾人と話す)中国語でも、必要があれば「大陸(人)」と「台湾(人)」と表現する一方で、むやみに「中国(人)」という表現を使うのを避けることが、ここに来てから多くなったような気がします。
===
歴史や教育、というのは、往々にして政治の影響を受けがちになるのですが、それでも自ら批判的に検証できる機会があれば、自分なりのスタンス、と言うのを得ることができるように思うのですが、そういう機会がない環境で生まれ育った人がいきなりそれとは異なる環境に行けば、そこにパラダイムの動揺が生ずることは否めません。
例えば、最近ある中国人(大陸人)とフルシチョフの話題になったのですが、なんでも中国ではフルシチョフは大悪人と位置づけられているとのこと。西側の評価はそれとは異なるわけで、相手はびっくりしてました。中国との関係では、いろんな人物、いろんな事件について、そういった状況が出てくることが少なくないような気がします。
そして、そのときにどう対応するべきか、というのが問題になるわけですが、新しいパラダイムをそのまま鵜呑みにしたり、もとのパラダイムに理由なく固執したりすることは、ある意味「楽」な選択肢なのかもしれませんが、最終的にはその人にとって不幸なことだと思うんですよね。だって、それって、「考える」というせっかくのチャンス(それは、自らを成長させるチャンス、と言ってもよいのでしょう。)をみすみす逃してしまっているわけなんですから。
まあ、先の例でも、双方の主張に基づくその人物や事件の功と罪と評価しなおして、「自分なり」の意見を持つことが大切なのでしょうね。それが外に現れるか否かは、「ひとまず」別問題として。
うーん、つまらない話、かつ、いろんな状況に配慮してややオブラートに包んだような言い回しでごめんなさい。まあ、眠いついでの戯言なので、適当に流してくださいな。
…あー、むずかし!
この間、youtubeのある動画を見ていたら(これ自体は台湾のものだったような。ちなみに、僕の知る限り、youtubeは中国大陸(HK、マカオを除く)からは原則見ることができません。)、「台湾」に関して台湾人と大陸人(おそらく留学生?)とが激しくコメント上で罵り合っていました(使用する文字が簡体字と繁体字なので、どちらがどちらかは一目瞭然なのが面白いところです。)。
まあ、端的に言えば、台湾のユーザーが「台湾は台湾だ、大陸とは違う」と主張するのに対し、大陸側が「中国が1つなのは常識過ぎるほどの常識であり、今更台湾がさも独立したような言い方をしても、大陸では常識はずれと笑われるだけだ。」と言い返す、という、まあ、定番といえば定番の罵り合いです。
まあ、政治やイデオロギー的な問題はさておいて、この議論、「グローバル」かつ「一般人」の目線で見たときに、どちらが本当に「笑われる」と思いますか?
…僕は、自分の経験からすれば、大陸側だと思うんですよ。大陸人には申し訳ないのですが。
僕もここに来て驚いたのですが、少なからぬヨーロッパ人は、台湾が独立国家であることを当然の前提として話す人が少なくないのです。それに、台湾人自身も自らをChineseとは言わず、Tiwaneseと言いますしね。とにかく、「中国は中国語だよね。台湾も中国語を話すの?」なんていう質問を受けたことは1度や2度ではないのです。
このような状況に遭遇した大陸人が、たとい自らの立場を主張したとしても、相手は、「うーん、何か難しい問題があるようだね(心中:うざ~。でも、結局政府は2つあるんだから、やっぱ違う国じゃん※)」と反応するのが関の山だと思うんですよ。加えて、僕の経験した限り、西ヨーロッパ人は、「共産主義」とか「社会主義」に対するアレルギーが僕が予想したよりも強いようですので、それが確かならば、そもそもの部分で大陸人の国家やイデオロギーに対する主張にはディスアドバンテージが伴いやすいように思うのです。
※「国家」という概念をいかに解するか、というのは、国際公法の最初の論点のように記憶していますが、ここでの「国」は、そういった議論は全く踏まえておりません。
で、僕はと言えば、そういったヨーロッパ人の反応と台湾人のアイデンティティーに配慮しつつ、それでもどこか小鴨が感じるであろうところも慮り、英語でも(台湾人と話す)中国語でも、必要があれば「大陸(人)」と「台湾(人)」と表現する一方で、むやみに「中国(人)」という表現を使うのを避けることが、ここに来てから多くなったような気がします。
===
歴史や教育、というのは、往々にして政治の影響を受けがちになるのですが、それでも自ら批判的に検証できる機会があれば、自分なりのスタンス、と言うのを得ることができるように思うのですが、そういう機会がない環境で生まれ育った人がいきなりそれとは異なる環境に行けば、そこにパラダイムの動揺が生ずることは否めません。
例えば、最近ある中国人(大陸人)とフルシチョフの話題になったのですが、なんでも中国ではフルシチョフは大悪人と位置づけられているとのこと。西側の評価はそれとは異なるわけで、相手はびっくりしてました。中国との関係では、いろんな人物、いろんな事件について、そういった状況が出てくることが少なくないような気がします。
そして、そのときにどう対応するべきか、というのが問題になるわけですが、新しいパラダイムをそのまま鵜呑みにしたり、もとのパラダイムに理由なく固執したりすることは、ある意味「楽」な選択肢なのかもしれませんが、最終的にはその人にとって不幸なことだと思うんですよね。だって、それって、「考える」というせっかくのチャンス(それは、自らを成長させるチャンス、と言ってもよいのでしょう。)をみすみす逃してしまっているわけなんですから。
まあ、先の例でも、双方の主張に基づくその人物や事件の功と罪と評価しなおして、「自分なり」の意見を持つことが大切なのでしょうね。それが外に現れるか否かは、「ひとまず」別問題として。
うーん、つまらない話、かつ、いろんな状況に配慮してややオブラートに包んだような言い回しでごめんなさい。まあ、眠いついでの戯言なので、適当に流してくださいな。
…あー、むずかし!
2011年9月18日日曜日
縁起だるまの少林山とジャパン・フェスティバル
タイトルを読んでニヤッとした方は、小学生時代を群馬県で過ごしたことがあることでしょう。
そう、群馬の子供の必須遊戯アイテム、「上毛かるた」の「え」。確か取り札には、だるまと夜空に輝く星(北斗七星のような?!)が描かれていたような…。
・・・
今日は、ジャパン・フェスティバルの日。
ロンドン・アイの近くで、日本のイベントが一日中行われています。
で、僕はと言えば、お昼ちょっと前に、大学で知り合った日本人(なんとまあ、この方も大学時代男声合唱をやっていて、卒業後も混声で合唱を続けておられるとのこと)のボイストレーナーの方(プロのオペラ歌手)のリサイタルイベントがある、ということで足を運びました。
時間にして20分ほど、日本の叙情歌をメゾソプラノで歌い上げていました。久しぶりにいいものを聞かせてもらった、という気分になりました。
で、オーディエンスは、日本人と外国人が半々といった感じかな。聞いていたある日本人女性は、思わず涙ぐんでいました。確かにいくら交通が便利になったとはいえ、イギリスと日本の往来は、上海と日本のように(時間的にもお金的にも)容易なものではありません。おまけに、聞くところでは、ここイギリスには、イギリス人男性と結婚して永住を選択した日本人女性が1万人以上いるとかいないとか。もしかしたら、この涙を流されていた女性も、そういった永住者なのかもしれません。
…ロンドンに住む日本人、といっても、決して一括りできないんだろうな。集まった人の数の分だけの人生模様があるのでしょう、きっと。僕も含めて。
それにしても、普段(学校以外では)日本人を見ない僕としては、ロンドンにこれだけ日本人がいるんだ、というのが新鮮な驚きでしたね。まあ、日本人学校のあるアクトン地区に行けば、全く違う世界があるのかもしれませんが。
さて、リサイタルが終わったのは12時。ちょうどお腹が空き頃ということで、テムズ川沿いに並んだ屋台をはしご。まずは目に留まった群馬県の屋台。食べ物は焼きまんじゅう…といいたいところですが、こんにゃくの田楽。まあ、定番の群馬名物ではありますが。
で、これを買った人にはもれなく群馬グッズをもらえるということで、僕は迷わず高崎だるまをチョイス。ついでに「僕、子供のころ高崎に住んでいたんですよ。だから懐かしくてね」と言ったら、売っていたお兄さんが妙に喜んでくれました。
その後は、焼き鳥⇒バッテラ⇒天むす⇒お好み焼きをはしご(どれも量は決して多くありませんよ。念のため。)。テムズ川やビッグ・ベンを背景にした日本の夜店、というのもまた格別の興趣を覚えずにはいられません。
このジャパン・フェスティバル、もう何年か続いているようなのですが、ともあれ日本人でない人たちもそれはそれはたくさん!中にはコスプレしている人や、はたまたこんな人も。
もし、これを中国でやったら大変なことでしょうね。
で、浴衣を着ている(見かけが日本人ではない)人も少なからずいました。今日は最高気温20度くらい。浴衣を着るにはやや肌寒いとは思うのですが…。
フェスティバル会場は、旧市庁舎を挟む2つのストリートでやっていたのですが、そのテムズ川側は、こんな感じ。この写真の左はそのまま橋になっていて、その先は、ビッグ・ベンです。
そして、買っただるまは、後でよく見たら何箇所か派手にへこんでいました。少しがっかりしましたが、そもそもだるまはハリボテなわけだし、それに、高崎からはるか海を越えてやってきたのだから、それも仕方ありません。
で、明日から始まる大学院生活の成功を祈念しつつ、家に戻って早速片目を入れました。
1年後、もう一方にも無事に目が入れられますように。
そう、群馬の子供の必須遊戯アイテム、「上毛かるた」の「え」。確か取り札には、だるまと夜空に輝く星(北斗七星のような?!)が描かれていたような…。
・・・
今日は、ジャパン・フェスティバルの日。
ロンドン・アイの近くで、日本のイベントが一日中行われています。
で、僕はと言えば、お昼ちょっと前に、大学で知り合った日本人(なんとまあ、この方も大学時代男声合唱をやっていて、卒業後も混声で合唱を続けておられるとのこと)のボイストレーナーの方(プロのオペラ歌手)のリサイタルイベントがある、ということで足を運びました。
時間にして20分ほど、日本の叙情歌をメゾソプラノで歌い上げていました。久しぶりにいいものを聞かせてもらった、という気分になりました。
で、オーディエンスは、日本人と外国人が半々といった感じかな。聞いていたある日本人女性は、思わず涙ぐんでいました。確かにいくら交通が便利になったとはいえ、イギリスと日本の往来は、上海と日本のように(時間的にもお金的にも)容易なものではありません。おまけに、聞くところでは、ここイギリスには、イギリス人男性と結婚して永住を選択した日本人女性が1万人以上いるとかいないとか。もしかしたら、この涙を流されていた女性も、そういった永住者なのかもしれません。
…ロンドンに住む日本人、といっても、決して一括りできないんだろうな。集まった人の数の分だけの人生模様があるのでしょう、きっと。僕も含めて。
それにしても、普段(学校以外では)日本人を見ない僕としては、ロンドンにこれだけ日本人がいるんだ、というのが新鮮な驚きでしたね。まあ、日本人学校のあるアクトン地区に行けば、全く違う世界があるのかもしれませんが。
さて、リサイタルが終わったのは12時。ちょうどお腹が空き頃ということで、テムズ川沿いに並んだ屋台をはしご。まずは目に留まった群馬県の屋台。食べ物は焼きまんじゅう…といいたいところですが、こんにゃくの田楽。まあ、定番の群馬名物ではありますが。
で、これを買った人にはもれなく群馬グッズをもらえるということで、僕は迷わず高崎だるまをチョイス。ついでに「僕、子供のころ高崎に住んでいたんですよ。だから懐かしくてね」と言ったら、売っていたお兄さんが妙に喜んでくれました。
その後は、焼き鳥⇒バッテラ⇒天むす⇒お好み焼きをはしご(どれも量は決して多くありませんよ。念のため。)。テムズ川やビッグ・ベンを背景にした日本の夜店、というのもまた格別の興趣を覚えずにはいられません。
このジャパン・フェスティバル、もう何年か続いているようなのですが、ともあれ日本人でない人たちもそれはそれはたくさん!中にはコスプレしている人や、はたまたこんな人も。
もし、これを中国でやったら大変なことでしょうね。
で、浴衣を着ている(見かけが日本人ではない)人も少なからずいました。今日は最高気温20度くらい。浴衣を着るにはやや肌寒いとは思うのですが…。
フェスティバル会場は、旧市庁舎を挟む2つのストリートでやっていたのですが、そのテムズ川側は、こんな感じ。この写真の左はそのまま橋になっていて、その先は、ビッグ・ベンです。
そして、買っただるまは、後でよく見たら何箇所か派手にへこんでいました。少しがっかりしましたが、そもそもだるまはハリボテなわけだし、それに、高崎からはるか海を越えてやってきたのだから、それも仕方ありません。
で、明日から始まる大学院生活の成功を祈念しつつ、家に戻って早速片目を入れました。
1年後、もう一方にも無事に目が入れられますように。
2011年9月17日土曜日
秋刀魚の歌
さんま、と聞くと、ふと思い出すのが、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」という詩。
「さんま さんま /さんま苦いか塩っぱいか」のフレーズで有名なやつですね。
この詩を始めて読んだのは、おそらく中学受験の前に通っていた塾のテキストなのだと思います。
その時は、この詩の背景などは知る由もなかったのですが。
時代は下り、さんまといえば、明石家さんまを連想することも少なくないわけですが、まあ、それもよしということで。あ、そういえば、さんまは僕が出た学校を受験したことがあったとかないとか。噂の域をでないけれども。
で、中国に行ったら、中華語圏のトップシンガーであるジェイ・チョウ(周杰倫)がそのヒット曲の「七里香」で「秋刀魚的滋味 猫跟你都想了解」(ここでは、「你」が「you」、「跟」が「and」、「都」が「all」をおよそ意味することさえ分かれば、漢文読みすることで、何を言っているかご理解いただけることと思います。)などと歌っていて、「おや、さんまがこんなところにも」と思ったこともあり。
あ、そうそう、この曲は、おそらく日本人駐在員の定番ソングでしょうし、実際いい曲だと思います(七里香=沈丁花は僕の一番好きな花の1つなこともあり、贔屓目もあるのでしょうが。)ので、ここにもMVをのっけておきましょう。このPV、どうも日本で撮影したもののようですね。まあ、中国(ないしは中華語圏)にいれば、誰もが一度は目にしたことのあるものですが。
さて、昨日presessionalが終わった僕は(まあ、成績も返ってきましたが、クラスの中では「中の中」といった感じでした。それよりも、今の自分の英語が大学にはどのように評価されるのが分かったことの方にむしろ価値があるのでしょう。)、今日は全く家から出る気がなく、逆に外に出たい小鴨は一人でヴィクトリア&アルバート美術館とノッティング・ヒルをはしごすると言って、昼ころ出て行きました。
で、昼飯は独りで食べることになったわけですが、昨日最寄の日本食ショップで買い込んできたのがさんまです。今年はさんまは安いのでしょうか、ロンドンですら1ポンド/匹というのは驚きでした。
ロンドンでさんまを焼く、というのは、さまざまな「妥協」を余儀なくされます。まず、魚焼きグリルなどはあるわけがなく、焼き網もBBQ用のごっついやつがありこそすれ、オール電化のこの家では使いようもありません。・・・というわけで、今回は、さんまをフライパンの上で焼くということになったのでした。
でも、さんまというのはご存知のとおり、脂が多くて煙が濛々と出やすい魚。においだってハンパじゃありません。なので、においが他の部屋に移らないようドアを閉め、窓を開け、かつ換気扇をMAXにするのはせめてもの努力。出来上がりは、こんな感じ。ありゃ、頭の向きが反対か?まあ、許してください。
フライパンで焼いたので、網目状の焼き目をつけることができず、皮が一様に焼けていること、フライパンの直径がさんまよりも小さかったので、丸めて焼いてしまった結果、さんまが猫背になってしまったのはご愛嬌。また、面倒臭くて味噌汁を省略したので、替わりに「米のエキス」で代用(?)。大根やレモンを買い忘れたのも若干痛いですが、これも妥協のしどころ。
それにしても、このさんま、十分脂が乗っていて、ロンドンで食べているのが信じられないくらいおいしかったです。加えて、さんまという魚は、日本酒との相性が絶妙なんですよね。
・・・結果、骨だけになったさんまと2合ほどの日本酒を流し込んで昼からほろ酔い気味になった僕とがいたのでした。
「さんま さんま /さんま苦いか塩っぱいか」のフレーズで有名なやつですね。
この詩を始めて読んだのは、おそらく中学受験の前に通っていた塾のテキストなのだと思います。
その時は、この詩の背景などは知る由もなかったのですが。
時代は下り、さんまといえば、明石家さんまを連想することも少なくないわけですが、まあ、それもよしということで。あ、そういえば、さんまは僕が出た学校を受験したことがあったとかないとか。噂の域をでないけれども。
で、中国に行ったら、中華語圏のトップシンガーであるジェイ・チョウ(周杰倫)がそのヒット曲の「七里香」で「秋刀魚的滋味 猫跟你都想了解」(ここでは、「你」が「you」、「跟」が「and」、「都」が「all」をおよそ意味することさえ分かれば、漢文読みすることで、何を言っているかご理解いただけることと思います。)などと歌っていて、「おや、さんまがこんなところにも」と思ったこともあり。
あ、そうそう、この曲は、おそらく日本人駐在員の定番ソングでしょうし、実際いい曲だと思います(七里香=沈丁花は僕の一番好きな花の1つなこともあり、贔屓目もあるのでしょうが。)ので、ここにもMVをのっけておきましょう。このPV、どうも日本で撮影したもののようですね。まあ、中国(ないしは中華語圏)にいれば、誰もが一度は目にしたことのあるものですが。
さて、昨日presessionalが終わった僕は(まあ、成績も返ってきましたが、クラスの中では「中の中」といった感じでした。それよりも、今の自分の英語が大学にはどのように評価されるのが分かったことの方にむしろ価値があるのでしょう。)、今日は全く家から出る気がなく、逆に外に出たい小鴨は一人でヴィクトリア&アルバート美術館とノッティング・ヒルをはしごすると言って、昼ころ出て行きました。
で、昼飯は独りで食べることになったわけですが、昨日最寄の日本食ショップで買い込んできたのがさんまです。今年はさんまは安いのでしょうか、ロンドンですら1ポンド/匹というのは驚きでした。
ロンドンでさんまを焼く、というのは、さまざまな「妥協」を余儀なくされます。まず、魚焼きグリルなどはあるわけがなく、焼き網もBBQ用のごっついやつがありこそすれ、オール電化のこの家では使いようもありません。・・・というわけで、今回は、さんまをフライパンの上で焼くということになったのでした。
でも、さんまというのはご存知のとおり、脂が多くて煙が濛々と出やすい魚。においだってハンパじゃありません。なので、においが他の部屋に移らないようドアを閉め、窓を開け、かつ換気扇をMAXにするのはせめてもの努力。出来上がりは、こんな感じ。ありゃ、頭の向きが反対か?まあ、許してください。
フライパンで焼いたので、網目状の焼き目をつけることができず、皮が一様に焼けていること、フライパンの直径がさんまよりも小さかったので、丸めて焼いてしまった結果、さんまが猫背になってしまったのはご愛嬌。また、面倒臭くて味噌汁を省略したので、替わりに「米のエキス」で代用(?)。大根やレモンを買い忘れたのも若干痛いですが、これも妥協のしどころ。
それにしても、このさんま、十分脂が乗っていて、ロンドンで食べているのが信じられないくらいおいしかったです。加えて、さんまという魚は、日本酒との相性が絶妙なんですよね。
・・・結果、骨だけになったさんまと2合ほどの日本酒を流し込んで昼からほろ酔い気味になった僕とがいたのでした。
2011年9月15日木曜日
なぜか上海
井上陽水の曲に「なぜか上海」ってのがあります。
この曲、僕の松山時代の友人がカラオケで(それはそれはインパクトのある声で)歌っていましたし、もしかしたら上海駐在員のカラオケの定番ネタなのかもしれませんね。
でも、この曲、実際に歌ってみるととても難しいんですよね。少なくとも僕にとっては。というか、全体に井上陽水の曲は難度が高いように思うんですが(その他カラオケでマジで難しいと思うのが宇多田ヒカルかな。)、「なぜか上海」は、陽水がこれまた飄々と歌ってしまうのでついつい歌いやすそうに思えてしまうところがまた厄介なところです。
うーん、どこが難しいといえば…
・「ちょうどいやらしい程度の高さ」の音が続いた後、サビ(「海を越えたら~」以降の部分)が更に高くなる(転調もしてるのかな?僕はあまりそういったことに詳しくないんだけど。)。
・「も、もそっと」とかいう、感覚的な歌詞についていけない(こういうのは、音符をイメージしつつ歌ったらだめなんでしょうね。)。
それでも、僕はこの歌、結構好きなんですよ。
もうずっと前(おそらく25年以上前?)の曲にもかかわらず、今の上海にもしっくり当てはまるような感じがして。なんて言うんだろう、夜にバンドの辺りや、そのちょっと裏側あたりの「妖しさ」とか(そして、それは、僕が好きな上海の一風景でもあります。)が、曲の中に十分表現されているような気がしてならないんです。
で、youtubeを漁っていたら、こんな動画も出てきました。1986年のライブで、バックバンドは安全地帯。コーラスに玉置浩二が現れるなど、なかなか聴き応えがあります。
これを改めて聴いてみると、サビのリズムは、どうも二拍三連(そうでなくても速度が半分になった上での三連符系のリズム)で構成されているようですね。今までぜんぜん意識していなかったんだけど。
もともと三連符とか8分の6拍子とかのリズムが好きな僕としては、僕がこの曲が好きな原因はこれにあるのかな、とすら思います。
…そういえば、浦東に住んでいたころの家は、黄浦江からもそう遠くなく、家の窓からも川がちょっと見えて、川を進む船の汽笛の音なんかも印象的だったなぁ。川といえば、ロンドンにもテムズがあります(かつ、汚さも黄浦江並みです)が、周囲の建物と一緒に作り出すエキゾチシズムという意味では、むしろ上海の方に軍配が上がるように感じます。
ちょっと古い写真(2006年)でごめんなさい。夜の上海。定番の「外灘3号」のバーのテラスからの眺め(実を言うと、僕の結婚式の二次会。この日は滅茶苦茶暑かった!)。
今は、歩道がより拡張され、道路の下にバイパスのトンネルができています。
本当にいろいろなことがあったけど、実のところ、僕は、自分が感じている以上に上海になじんでしまっていたんじゃないか、と思うと共に…
なぜか上海がとても懐かしくなってしまったのでした。
この曲、僕の松山時代の友人がカラオケで(それはそれはインパクトのある声で)歌っていましたし、もしかしたら上海駐在員のカラオケの定番ネタなのかもしれませんね。
でも、この曲、実際に歌ってみるととても難しいんですよね。少なくとも僕にとっては。というか、全体に井上陽水の曲は難度が高いように思うんですが(その他カラオケでマジで難しいと思うのが宇多田ヒカルかな。)、「なぜか上海」は、陽水がこれまた飄々と歌ってしまうのでついつい歌いやすそうに思えてしまうところがまた厄介なところです。
うーん、どこが難しいといえば…
・「ちょうどいやらしい程度の高さ」の音が続いた後、サビ(「海を越えたら~」以降の部分)が更に高くなる(転調もしてるのかな?僕はあまりそういったことに詳しくないんだけど。)。
・「も、もそっと」とかいう、感覚的な歌詞についていけない(こういうのは、音符をイメージしつつ歌ったらだめなんでしょうね。)。
それでも、僕はこの歌、結構好きなんですよ。
もうずっと前(おそらく25年以上前?)の曲にもかかわらず、今の上海にもしっくり当てはまるような感じがして。なんて言うんだろう、夜にバンドの辺りや、そのちょっと裏側あたりの「妖しさ」とか(そして、それは、僕が好きな上海の一風景でもあります。)が、曲の中に十分表現されているような気がしてならないんです。
で、youtubeを漁っていたら、こんな動画も出てきました。1986年のライブで、バックバンドは安全地帯。コーラスに玉置浩二が現れるなど、なかなか聴き応えがあります。
これを改めて聴いてみると、サビのリズムは、どうも二拍三連(そうでなくても速度が半分になった上での三連符系のリズム)で構成されているようですね。今までぜんぜん意識していなかったんだけど。
もともと三連符とか8分の6拍子とかのリズムが好きな僕としては、僕がこの曲が好きな原因はこれにあるのかな、とすら思います。
…そういえば、浦東に住んでいたころの家は、黄浦江からもそう遠くなく、家の窓からも川がちょっと見えて、川を進む船の汽笛の音なんかも印象的だったなぁ。川といえば、ロンドンにもテムズがあります(かつ、汚さも黄浦江並みです)が、周囲の建物と一緒に作り出すエキゾチシズムという意味では、むしろ上海の方に軍配が上がるように感じます。
ちょっと古い写真(2006年)でごめんなさい。夜の上海。定番の「外灘3号」のバーのテラスからの眺め(実を言うと、僕の結婚式の二次会。この日は滅茶苦茶暑かった!)。
今は、歩道がより拡張され、道路の下にバイパスのトンネルができています。
本当にいろいろなことがあったけど、実のところ、僕は、自分が感じている以上に上海になじんでしまっていたんじゃないか、と思うと共に…
なぜか上海がとても懐かしくなってしまったのでした。
2011年9月11日日曜日
四川方言の分析
今日は、ボーンマス時代のハウスメイトだった日本人がロンドンに来る、ということで、夕食を一緒にしました。場所は、ヴィクトリア&アルバート美術館の近くのイタリア料理屋。彼女はあと1週間でイギリスを出る、ということなので、イギリス料理を予約しようかとも思ったのですが、イギリス料理自体に問題があるのか、それとも僕たちがロンドンを知り尽くしていないせいなのか、これと言って思いつくイギリス料理屋は見つからず、イタリア料理と相成ったわけです。
このイタリア料理は、ここでもたびたび出てきた例のE嬢とその後主人のJさん(イタリア系フランス人で国籍はスイス)ともかつて来たことがあるところ。味は、そのJさんも「うん、いいんじゃない」というところなので、(イギリスのイタリアンとしては)決して悪くありません。ボリュームもなかなかのもので、消化不良になりそうなくらいの満腹に。
なので、元ハウスメイトとヴィクトリア駅で別れたあと、僕と小鴨は、腹ごなしに歩こうということになりました。ヴィクトリア駅から、ウェストミンスター・カテドラルをかすめ、ビッグ・ベンを遠目にウェストミンスター・アビーの横を通って左折、ダウニング街を横目に見ながらトラファルガー・スクエアを抜けて、僕たちがなぜか最も利用する駅であるレスター・スクエアまで歩きました。小鴨が(最近眼にした中国のアマチュアカメラマンに触発されて)あちこちで写真を撮っていたので、2キロか3キロくらいの距離にもかかわらず、結構時間がかかってしまいました。
というわけで、話は本題に(前置き長すぎる、ちゅうねん!)
ちょうどダウニング街の辺りを歩いていた時、なんとなく、四川方言(四川話)の発音の話になりました。
四川話(ここでは、とりあえず成都の方言、ということにします。)ってのは、中国語の中では、共通語である普通話と同系統の「官話方言」(まあ「マンダリン」という意味ですな。)に属するので、それとは異なる上海語、台湾語(閩南語)、広東語とかよりはずっと普通話を勉強した外国人にとってわかりやすい方言といえるのでしょう。でも、これは、あくまでも、これらの方言との対比の問題でそう言いうるに過ぎず、普通話学習者の上海語etcの理解度がほぼ絶望的なのに比べて、四川話は10%分かるかな?ってな感じですので、僕にとって難解なことに変わりありません。
さりとて、僕の場合には、成都に行けば、小鴨の親戚たち、とりわけ普通話が話せない義母とのコミュニケーションのためには四川話を理解したり、また、たとえ下手くそでも時には四川のアクセントで話したりすることがあるわけで、四川話の正しい発音を知ることは僕にとってはかなり重要なんですよね。
今のところ、僕が経験的に感じた四川話の特徴は、次のとおり(以下におけるピンイン表記については、声調記号は付していませんので、この点ご了承ください。)。
(1) 基本的に普通話の第3声が第4声的に、第4声が第3声的に発音される。
(2) 普通話のanがappleのaに、angが(普通話の)anに近い発音となる(つまり、これらの調音位置が普通話に比べて全体的に前よりになる感じかな。)。
(3) 反り舌音がない(zhがz、chがc、shがs、rが英語のzooのzと同じになる。…まあ、これは四川話に限った話ではありませんが。)。
(4) nとlの発音の区別がない(なので、小鴨は日本語でも「ハナダさん」のつもりが「ハラダさん」となってしまいがちです。ちなみに、中国人にとって一番難しい日本語の発音は、ラ行なのだそう。)。
(5) eiの発音がほぼ確実にuiになり、xueの発音がしばしばxuoになり、guoの発音がしばしばguiになる(例えば、「学習」(xue xi)は「シュオシー」のように、「国内」(guo nei)は「クイルイ」のように発音される。)。
これだけでも知っていれば、四川話の理解度は、10%から20%程度には上がるのかもしれません…。
で、これ以外でも、僕が聞く限り、普通話のeの発音(この発音は、英語にも日本語にもないものなので、表現することができません。強いて言えば、フランス語のrの発音を有声化したような音でしょうか。)は、四川話では、どうも文字に応じて2つの異なる発音のいずれかがなされているようなんですよ。1つ目は、内閣(普通話:nei ge)のge。これは、日本語の「ゲー」のような発音となり、「内閣」は(neiについて上記ルールの(4)と(5)が適用されて)「ルイゲー」と聞こえます。2つ目は、可能(普通話:ke neng)のke。これは、日本語では「コー」のような発音となり、「可能」は「コロン」に近い発音となります。
小鴨曰く、この区別は何にも意識しないで自然にやっているので基準が分からん、というのですが、いろいろと例を出して発音させているうちに、一つの仮説が思い浮かびました。
それは、「もともと入声として発音されていたか漢字か否か」ということ。「入声」っていうのは、音節が「詰まる音」で終わるもので、今でも広東語などでは広く残っていますし、日本語では音読みで「ツ」や「ク」などの音で終わるものがこれに当たります。
内閣の閣。これは音読みでは「カク」となるように、もともと入声で発音されていたもの。一方、可能の可は、音読みで「カ」となるように、そもそも入声で発音されていなかったはず。
で、この仮説に従えば、四川話では、例えば核桃(he tao:クルミ)を「へータオ」、「科学」(ke xue)を「コーシュオ」のように発音することともつじつまが合うわけで。
うーん、だらだらとしてしまい申し訳ありません。
つまるところ、今日のネタは、上記の仮説を思いついた、という話だけなんです…。
ここまで読んでくださった方、どうもすみません<(_ _)>
で、この仮説が正しいか否か、どなたかご教示いただければ幸いです。
英語をやりに来てなんで中国語のネタやねん、という突っ込みはなしにしてね。
たまには、より慣れた外国語の話もしてみたくって。
最近またネタもたまってきたので、また近いうちに、写真付きで。
このイタリア料理は、ここでもたびたび出てきた例のE嬢とその後主人のJさん(イタリア系フランス人で国籍はスイス)ともかつて来たことがあるところ。味は、そのJさんも「うん、いいんじゃない」というところなので、(イギリスのイタリアンとしては)決して悪くありません。ボリュームもなかなかのもので、消化不良になりそうなくらいの満腹に。
なので、元ハウスメイトとヴィクトリア駅で別れたあと、僕と小鴨は、腹ごなしに歩こうということになりました。ヴィクトリア駅から、ウェストミンスター・カテドラルをかすめ、ビッグ・ベンを遠目にウェストミンスター・アビーの横を通って左折、ダウニング街を横目に見ながらトラファルガー・スクエアを抜けて、僕たちがなぜか最も利用する駅であるレスター・スクエアまで歩きました。小鴨が(最近眼にした中国のアマチュアカメラマンに触発されて)あちこちで写真を撮っていたので、2キロか3キロくらいの距離にもかかわらず、結構時間がかかってしまいました。
というわけで、話は本題に(前置き長すぎる、ちゅうねん!)
ちょうどダウニング街の辺りを歩いていた時、なんとなく、四川方言(四川話)の発音の話になりました。
四川話(ここでは、とりあえず成都の方言、ということにします。)ってのは、中国語の中では、共通語である普通話と同系統の「官話方言」(まあ「マンダリン」という意味ですな。)に属するので、それとは異なる上海語、台湾語(閩南語)、広東語とかよりはずっと普通話を勉強した外国人にとってわかりやすい方言といえるのでしょう。でも、これは、あくまでも、これらの方言との対比の問題でそう言いうるに過ぎず、普通話学習者の上海語etcの理解度がほぼ絶望的なのに比べて、四川話は10%分かるかな?ってな感じですので、僕にとって難解なことに変わりありません。
さりとて、僕の場合には、成都に行けば、小鴨の親戚たち、とりわけ普通話が話せない義母とのコミュニケーションのためには四川話を理解したり、また、たとえ下手くそでも時には四川のアクセントで話したりすることがあるわけで、四川話の正しい発音を知ることは僕にとってはかなり重要なんですよね。
今のところ、僕が経験的に感じた四川話の特徴は、次のとおり(以下におけるピンイン表記については、声調記号は付していませんので、この点ご了承ください。)。
(1) 基本的に普通話の第3声が第4声的に、第4声が第3声的に発音される。
(2) 普通話のanがappleのaに、angが(普通話の)anに近い発音となる(つまり、これらの調音位置が普通話に比べて全体的に前よりになる感じかな。)。
(3) 反り舌音がない(zhがz、chがc、shがs、rが英語のzooのzと同じになる。…まあ、これは四川話に限った話ではありませんが。)。
(4) nとlの発音の区別がない(なので、小鴨は日本語でも「ハナダさん」のつもりが「ハラダさん」となってしまいがちです。ちなみに、中国人にとって一番難しい日本語の発音は、ラ行なのだそう。)。
(5) eiの発音がほぼ確実にuiになり、xueの発音がしばしばxuoになり、guoの発音がしばしばguiになる(例えば、「学習」(xue xi)は「シュオシー」のように、「国内」(guo nei)は「クイルイ」のように発音される。)。
これだけでも知っていれば、四川話の理解度は、10%から20%程度には上がるのかもしれません…。
で、これ以外でも、僕が聞く限り、普通話のeの発音(この発音は、英語にも日本語にもないものなので、表現することができません。強いて言えば、フランス語のrの発音を有声化したような音でしょうか。)は、四川話では、どうも文字に応じて2つの異なる発音のいずれかがなされているようなんですよ。1つ目は、内閣(普通話:nei ge)のge。これは、日本語の「ゲー」のような発音となり、「内閣」は(neiについて上記ルールの(4)と(5)が適用されて)「ルイゲー」と聞こえます。2つ目は、可能(普通話:ke neng)のke。これは、日本語では「コー」のような発音となり、「可能」は「コロン」に近い発音となります。
小鴨曰く、この区別は何にも意識しないで自然にやっているので基準が分からん、というのですが、いろいろと例を出して発音させているうちに、一つの仮説が思い浮かびました。
それは、「もともと入声として発音されていたか漢字か否か」ということ。「入声」っていうのは、音節が「詰まる音」で終わるもので、今でも広東語などでは広く残っていますし、日本語では音読みで「ツ」や「ク」などの音で終わるものがこれに当たります。
内閣の閣。これは音読みでは「カク」となるように、もともと入声で発音されていたもの。一方、可能の可は、音読みで「カ」となるように、そもそも入声で発音されていなかったはず。
で、この仮説に従えば、四川話では、例えば核桃(he tao:クルミ)を「へータオ」、「科学」(ke xue)を「コーシュオ」のように発音することともつじつまが合うわけで。
うーん、だらだらとしてしまい申し訳ありません。
つまるところ、今日のネタは、上記の仮説を思いついた、という話だけなんです…。
ここまで読んでくださった方、どうもすみません<(_ _)>
で、この仮説が正しいか否か、どなたかご教示いただければ幸いです。
英語をやりに来てなんで中国語のネタやねん、という突っ込みはなしにしてね。
たまには、より慣れた外国語の話もしてみたくって。
最近またネタもたまってきたので、また近いうちに、写真付きで。
2011年9月5日月曜日
図書館の落書き
本日二つ目の記事です!
大学の図書館、ってのは、よく見れば落書き天国ですよね。
僕が大学生のころの教養キャンパスの図書館などは、机にいろんな落書きを見ることができました。まあ、その多くが下ネタなんですが。それでも、下ネタは下ネタなりに、「ようこんなこと思いつくわ」と逆に感心してしまうほどの名句があったりするんですよね(公序良俗に反する内容なので、ここで書けないのが残念なくらいです…)。
で、この間、腰を据えてエッセイを仕上げようと思って入った図書館の机の上に、ふとこんな落書きがあったのが眼に留まりました。まあ、落書きですので、決してお上品な言葉遣いじゃあございません。この点なにとぞご容赦を!
まあ、訳してみれば、「くそったれ、クソ図書館になじんでしまった情けないクソ野郎ども―パブに行け」といった感じかな。(ごめんなさいね、お下品な言葉遣いで…)
でも、「パブに行け」とオチをつけるところは、いかにもイギリスらしい感じがして、ほほえましく思わずにはいられませんでした。
大学の図書館、ってのは、よく見れば落書き天国ですよね。
僕が大学生のころの教養キャンパスの図書館などは、机にいろんな落書きを見ることができました。まあ、その多くが下ネタなんですが。それでも、下ネタは下ネタなりに、「ようこんなこと思いつくわ」と逆に感心してしまうほどの名句があったりするんですよね(公序良俗に反する内容なので、ここで書けないのが残念なくらいです…)。
で、この間、腰を据えてエッセイを仕上げようと思って入った図書館の机の上に、ふとこんな落書きがあったのが眼に留まりました。まあ、落書きですので、決してお上品な言葉遣いじゃあございません。この点なにとぞご容赦を!
まあ、訳してみれば、「くそったれ、クソ図書館になじんでしまった情けないクソ野郎ども―パブに行け」といった感じかな。(ごめんなさいね、お下品な言葉遣いで…)
でも、「パブに行け」とオチをつけるところは、いかにもイギリスらしい感じがして、ほほえましく思わずにはいられませんでした。
至高の贅沢@ロンドン
住むところにせよ、交通費にせよ、とにかく何でも高い(僕の感覚だと、東京よりも高い!)ここロンドンですが、パブのビールと(一部の)博物館・美術館はお値打ち感たっぷり。特に後者については、大英博物館、ナショナル・ギャラリー、自然史博物館、ビクトリア&アルバート、テート・モダン、テート・ブリテンといったメジャーどころがいずれもタダ、というのは、もはや驚きを通り越して、おもわず「ありがたや、ありがたや」と拝まずにはいられないくらいほどです。
で、このことを言い換えれば、ロンドンに住んでいる限り、こういったところに、「行きたい時にいつでも行ける」ということが可能なわけなんです。それも、展示品は文句なしの世界トップレベルばっかり!世界広しといえども、こんなところはロンドン以外ないんじゃないでしょうか(例えば、パリだって、ルーブルなどの美術館は有料ですしね。)。恐るべし大英帝国。
先々週の週末は、ナショナル・ギャラリー初探訪。当然1日で見切れる場所ではないので、ごくごく一部の場所を1時間半くらい見て回りました。おそらく値段がつけられないような錚々たる名画たちに囲まれて座っているだけで、とても幸せな気分になったことは、いうまでもありません。
で、先週の水曜日、学校帰りにふらりと大英博物館に立ち寄りました。3回目か4回目かかな。今回は、もともとペルシア辺りのものを見に行こうと思っていたのが、ついつい中国の玉の特別展示に見入ってしまって迷い込んだのが中国―東南アジア―インドのコーナー。中国ものもなかなか見事なものでしたが、圧巻だったのはガンダーラのレリーフ、ジャイナ教の神像、そしてヒンドゥー教の神像たち!特にガンダーラのレリーフは、まさにヘレニズムとの融合の様子が見て取れて、これだけでも来た価値があると思わずにはいられませんでした。
ほんと、これがロンドン生活の至高の贅沢だよな…ってしみじみ思ったのでした。
で、大英博物館のおみやげ物屋で、かわいい&面白いグッズを見つけたので、ついつい買ってしまいました。うん、これも現代ヨーロッパ文化と古代エジプト文化の時空を越えた融合か?
で、このことを言い換えれば、ロンドンに住んでいる限り、こういったところに、「行きたい時にいつでも行ける」ということが可能なわけなんです。それも、展示品は文句なしの世界トップレベルばっかり!世界広しといえども、こんなところはロンドン以外ないんじゃないでしょうか(例えば、パリだって、ルーブルなどの美術館は有料ですしね。)。恐るべし大英帝国。
先々週の週末は、ナショナル・ギャラリー初探訪。当然1日で見切れる場所ではないので、ごくごく一部の場所を1時間半くらい見て回りました。おそらく値段がつけられないような錚々たる名画たちに囲まれて座っているだけで、とても幸せな気分になったことは、いうまでもありません。
で、先週の水曜日、学校帰りにふらりと大英博物館に立ち寄りました。3回目か4回目かかな。今回は、もともとペルシア辺りのものを見に行こうと思っていたのが、ついつい中国の玉の特別展示に見入ってしまって迷い込んだのが中国―東南アジア―インドのコーナー。中国ものもなかなか見事なものでしたが、圧巻だったのはガンダーラのレリーフ、ジャイナ教の神像、そしてヒンドゥー教の神像たち!特にガンダーラのレリーフは、まさにヘレニズムとの融合の様子が見て取れて、これだけでも来た価値があると思わずにはいられませんでした。
ほんと、これがロンドン生活の至高の贅沢だよな…ってしみじみ思ったのでした。
で、大英博物館のおみやげ物屋で、かわいい&面白いグッズを見つけたので、ついつい買ってしまいました。うん、これも現代ヨーロッパ文化と古代エジプト文化の時空を越えた融合か?
2011年9月1日木曜日
世界のあちこちから
今こうやって使っているブログスペースは、googleがやっているものなんですが、その管理画面では「統計」というタブがあって、どの国からこのブログにアクセスしているのか、っていうのが分かるようになっています(あくまでも「国」までしか分かりませんので、この点ご安心を!)。
で、それを見ると、ハイ・フリークエントなのが日本とイギリス(=小鴨と僕)っていうのは全くもって当然な話。中国からのアクセスがたまに見られますが、これもまあ知り合いがいるだけに仕方ありません。アメリカから、っていうのも、(少なくとも7月くらいまでのものについては、)おおよそ誰か察しがつくところです。
ただ、知り合いに全く心当たりのない国からのアクセス、ってのもあるんですよね、ごくたまに。この間など、ラトビアから1日に立て続けに8回のアクセスがありました。ラトビアには、ボーンマス時代のハウスメイトが住んでいることは住んでいますが、僕の知る限りでは、彼女は日本語は全く分からないので、彼女がアクセスしたとは到底考えられず、これは1つのミステリーですね。他の国でも、単発的なアクセスがちらほらありますが、これは、おそらく何かのキーワードでググった時にヒットしちゃったんだろうな、ってことも大方想像できます。
そういった中で、唯一、知り合いに心当たりがないにもかかわらず、(インターバルの長短はあるものの)定期的にアクセスのある国があるんですよ。
…それは、ドイツ。
もしかしたら、ドイツ在住のどなたかが、何かの折にたまたまこのブログにアクセスし、そのまま読者になっていただいているのかもしれません。
このブログは、積極的なPRをしていないという意味において、「閉じた」空間として運営していますので、知り合い以外が定期的に読者となっていただくということは、基本的に想定していませんでした。でも、もし、一人の方が継続的にアクセスしてくださっているのであれば、僕にとっては非常に励みになることでもありますし、思わず襟元を正さずにはいられない気持ちにすらなります。
ともあれ、このブログ、日頃思ったりしたことをだらだら書いているに過ぎない代物ですが、このペースを崩さずに、気長に続けていこうと思っていますので、これからも、よろしく!
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