今日は、ロイヤル・ウェディングの日。
昨日のブログでも書いたけど、さすがに今日は一種独特の雰囲気がします。
で、学校も今日はスペシャルプログラム。まあ、言い換えればおよそ授業っぽくなかったわけですが。
ウェストミンスターでの結婚式は、こちらの時間の11時ころから始まりました。
僕らといえば、学校の食堂で学生も教師もみんなでテレビを見るといった状態になりました。
まあ、詳細は皆さんも色々ご覧になっているから省略しますが、ウィリアムがケイトに指輪をはめようとしたときに途中で引っかかって半ば無理にねじ込んだときは、みんなが「うぉぉ~」とどよめいたのが面白かったです。あと、女王は眠そうだった?!
さて、結婚式でみんなが一番注目していたのが二人の最初のキスの瞬間でした。
でも、ウェストミンスターではそれがなく、二人がバッキンガム宮殿に戻ったところで、教師が「キスは大体1時半ころだよ」というので、学校の裏庭で学校主催のいろいろな催し(うん、例えば卵のスプーン運び競争とか、先生の似顔絵描き競技とかいう、かわいらしいものです。)に参加した後、そろそろかなというタイミングで食堂に戻ったわけです。
で、その時、ちょうど小鴨が「お腹がすいた」とやいやい言い出したので、パニーニにチップスを食堂で注文。そうこうしている間に学生がどんどん食堂に集結します。
テレビでは、バッキンガム宮殿とその前を埋め尽くす映像が映る中、僕のパニーニはなかなか出来上がってくれません。一緒にいた台湾のC嬢いわく、パニーニはちゃんとトースターで焼くので時間がかかるとのこと、まあしゃーないわ、ということで我慢してました。
…と、そこにケイトとウィリアムがバッキンガム宮殿のベランダに現れました!
そのときです。「No 80!」という声がしたのが。そう、まさにこの絶妙のタイミングで僕のパニーニが出来上がったのでした(T_T)
呼ばれたからにゃ取りにいかんわけにも行かず、ついつい「なんでこんなタイミングやねんな」と日本語でぼやいてしまった私でございます。
で、パニーニとチップスを取ったのですが、ソースやケチャップがセルフサービスなのはパブと同じなわけで、僕はテレビを背に向けて、調味料台の上でケチャップのプラスチックボトルを取り上げました。
でも、こやつがなかなかしぶといやつで、なかなかケチャップが出てきません。振ったりボトルを押したりとの格闘をしばらくしていたら、ようやく、「ブチュ!ブチュブチュ!」という、全くもって品のない音と共にケチャップ君がお出ましになりました。
…ちょうどその時、僕の背後で学生たちの「Wooooow!」との叫び声!!
ウィルとケイトのやつ、よりによってこのタイミングでファーストキスをしやがりました・・・orz
とまあ、僕のロイヤル・ウェディングの思い出は、ケチャップのブチュブチュ音とともに残ることが決定したのでした。
なお、その後学校ではくじ引き大会があり、普段くじ運が全くない僕と小鴨がなんとまあ、ロイヤルウェディング特製ユニオン・ジャックを当てることができました。
これをずっと飾っておくのはなかなか厳しいところもありますが、まあ、今日のおめでたい日くらいはよしとしましょうか。
2011年4月29日金曜日
2011年4月28日木曜日
ウェールズの陶器(ウェールズ旅行その3)
こちらはまだ28日。ロイヤル・ウェディングの前夜です。
ここボーンマスでは、それほどたいした盛り上がりがあるわけではありませんが、それでも、今日はなにか空気がざわざわしているような、そんな感じです。
テレビも、改めてよく見れば、結婚ネタを色々流しています。
通っている語学学校の生徒も、少なからずロンドンに出かけたようです。でも、僕らは明日は学校に行き、11時からはおそらく食堂でロイヤル・ウェディングを見ることになるのでしょう。
そういったウェディングムード一色の中、とりあえずカーディフ旅行記をまとめておきたいと思います。
***
最終日にカーディフ城の見学を終えた僕たちは、国立美術館に行きました。イギリスの国立美術館は、例えば大英博物館もそうなのですが、無料なのがうれしいところ。とはいいつつ、別に美術館めぐりにはまっているわけでもない僕たちとしては、まあ、帰りの列車までの時間つなぎ的な気持ち半分で訪れたのでした。
これは、美術館の隣の言ってみれば市役所。このあたりは官庁街で、カーディフ大学もあります。建築様式についてはずぶの素人ですが、これは、エドワード朝時代の様式だとのことです。美術館の外観、画像加工するのを忘れたのでごめんなさい。でも、こんな感じの建物だと思っていただければ幸いです。
で、実際に入ってみて、2階から見学を始めたのですが、これが結構見ごたえがあり、とても充実した時間を過ごすことができました。絵画については、ルネサンス期から印象派、後期印象派(このあたりの絵の充実度の高さが意外でした。)、そして現代アートまで一通りを全て概観できるようになっています。
でも、僕のツボにはまったのは、ウェールズの陶磁器のコーナー。世界広しといえどもウェールズ陶器のコレクションの充実度はここを差し置いてほかにはないんじゃないか、と思います。
ただ、ウェールズの陶磁器は、そんなに高級感あふれるものばかりというわけではなく、むしろ庶民の使う食器の流れなのかな、というのが正直なところ。でもそれを逆に言えば、妙な親しみを感じるわけで。なので、上海の博物館で景徳鎮コレクションを見たときとはまた違った意味の刺激を受けました。うん、柳宗悦はやっぱり正しいな、とか偉そうなことを考えてみたり。
いや、絵付けのデザインなどは、ここかしこで突っ込みどころ満載のものが少なくなかったのですが、僕の心をびんびん刺激したのは、次の2つです!
ちょっと見難いかな?これ、アジアをイメージした絵付けとの由。東南アジアを思わせるヤシの木々などの熱帯植物っぽいものの中にたたずむ中国風の建物。かつ、それらが中途半端なチープさで描かれているのが魅力です。ほんとにほしいと思いましたよ、これ。
まあ、でも、ウェールズの人々にとってはアジアは遠い世界だから、(彼らの想像による)アジアっぽいものがごちゃ混ぜになっていてもそれはそれでむべなるかな、といったところです。
でもねぇ…
ここまで来ると、突っ込む気力もなくなっちゃいます。
言うまでもなく、これはエデンの園の情景。どっちがアダムでどっちがイブかも僕にはよくわかりません。
うーん、自分たちの宗教の基本なんだから、せめてこの二人くらいはもっとまともに描いてあげなよ、と思ってしまう僕は、芸術の心か遊び心のいずれかが欠けているのでしょうか?
こんな感じで巡っていたら、2階を見終わるだけでも2時間以上かかってしまい、1階を見る余裕がなくなってしまいました。ちなみに1階には恐竜の化石などがあるとか。子供連れには絶好の場所かもしれませんね。
ともあれ、この美術館、かなりおススメです。
その後、食事をし、置いてあった荷物を例のB&Bまで取りにいくなどして、ボーンマスへの帰宅の途につきました。帰りの列車は、やっぱり外見は汚いのですが、中は行きの列車と比べてはるかにきれいな3両編成。イーストレイまでのんびりと過ごし、その後バスに乗り換えてボーンマスに帰りました。
ウェールズ旅行、これにて一件落着!
ここボーンマスでは、それほどたいした盛り上がりがあるわけではありませんが、それでも、今日はなにか空気がざわざわしているような、そんな感じです。
テレビも、改めてよく見れば、結婚ネタを色々流しています。
通っている語学学校の生徒も、少なからずロンドンに出かけたようです。でも、僕らは明日は学校に行き、11時からはおそらく食堂でロイヤル・ウェディングを見ることになるのでしょう。
そういったウェディングムード一色の中、とりあえずカーディフ旅行記をまとめておきたいと思います。
***
最終日にカーディフ城の見学を終えた僕たちは、国立美術館に行きました。イギリスの国立美術館は、例えば大英博物館もそうなのですが、無料なのがうれしいところ。とはいいつつ、別に美術館めぐりにはまっているわけでもない僕たちとしては、まあ、帰りの列車までの時間つなぎ的な気持ち半分で訪れたのでした。
これは、美術館の隣の言ってみれば市役所。このあたりは官庁街で、カーディフ大学もあります。建築様式についてはずぶの素人ですが、これは、エドワード朝時代の様式だとのことです。美術館の外観、画像加工するのを忘れたのでごめんなさい。でも、こんな感じの建物だと思っていただければ幸いです。
で、実際に入ってみて、2階から見学を始めたのですが、これが結構見ごたえがあり、とても充実した時間を過ごすことができました。絵画については、ルネサンス期から印象派、後期印象派(このあたりの絵の充実度の高さが意外でした。)、そして現代アートまで一通りを全て概観できるようになっています。
でも、僕のツボにはまったのは、ウェールズの陶磁器のコーナー。世界広しといえどもウェールズ陶器のコレクションの充実度はここを差し置いてほかにはないんじゃないか、と思います。
ただ、ウェールズの陶磁器は、そんなに高級感あふれるものばかりというわけではなく、むしろ庶民の使う食器の流れなのかな、というのが正直なところ。でもそれを逆に言えば、妙な親しみを感じるわけで。なので、上海の博物館で景徳鎮コレクションを見たときとはまた違った意味の刺激を受けました。うん、柳宗悦はやっぱり正しいな、とか偉そうなことを考えてみたり。
いや、絵付けのデザインなどは、ここかしこで突っ込みどころ満載のものが少なくなかったのですが、僕の心をびんびん刺激したのは、次の2つです!
ちょっと見難いかな?これ、アジアをイメージした絵付けとの由。東南アジアを思わせるヤシの木々などの熱帯植物っぽいものの中にたたずむ中国風の建物。かつ、それらが中途半端なチープさで描かれているのが魅力です。ほんとにほしいと思いましたよ、これ。
まあ、でも、ウェールズの人々にとってはアジアは遠い世界だから、(彼らの想像による)アジアっぽいものがごちゃ混ぜになっていてもそれはそれでむべなるかな、といったところです。
でもねぇ…
ここまで来ると、突っ込む気力もなくなっちゃいます。
言うまでもなく、これはエデンの園の情景。どっちがアダムでどっちがイブかも僕にはよくわかりません。
うーん、自分たちの宗教の基本なんだから、せめてこの二人くらいはもっとまともに描いてあげなよ、と思ってしまう僕は、芸術の心か遊び心のいずれかが欠けているのでしょうか?
こんな感じで巡っていたら、2階を見終わるだけでも2時間以上かかってしまい、1階を見る余裕がなくなってしまいました。ちなみに1階には恐竜の化石などがあるとか。子供連れには絶好の場所かもしれませんね。
ともあれ、この美術館、かなりおススメです。
その後、食事をし、置いてあった荷物を例のB&Bまで取りにいくなどして、ボーンマスへの帰宅の途につきました。帰りの列車は、やっぱり外見は汚いのですが、中は行きの列車と比べてはるかにきれいな3両編成。イーストレイまでのんびりと過ごし、その後バスに乗り換えてボーンマスに帰りました。
ウェールズ旅行、これにて一件落着!
酒の顛末
このタイトルでピーンとこられた方は、このブログ通と認めましょう!
そう、前回のIELTSの結果が返ってきました。
とうとう乗ったよoverall 7.0!懸案だったwritingも、直前の特訓が功を奏したのか、7.0をゲット。これで2つの大学院からは文句なしのunconditional offerへの切り替えが可能となりました。で、readingに至っては、現場でも確かに手ごたえがあったのですが、予想以上の8.0!
…とここまでが明るい話。
で、listening。直前まで自宅で演習していたCambridgeの問題集では、常に7.5レベルの結果が出ていたのでかなり自信を持って臨んだものの、本番では普段余り聞き慣れない発音(オーストラリアかニュージーランドっぽい?)と今まで聞いた中で一番速いスピードにやられたのでしょう、6.5という結果に。まあ、これはまだ想定の範囲と言ってよいでしょう。
さて、問題はspeaking。僕は、ほかの科目についてはその日の問題との相性である程度のブレが出てくると思うのですが、speakingについては、そのブレが小さく、かつ、学習時間に比例して必ずよくなるものと思うんです。そして、実際、1月⇒2月で6.5⇒7.0と順調にスコアを上げてきました。
で、今回は…!
6.0
ゑ、ゑゑっ!?
いくらなんでもそれはないでしょ、というのが正直な第一印象。
今までの自分のスピーキング力からして、どれだけ悪くても6.5はくだらないと思っていたのですが…
まあ、自分では何とかしのいだつもりでも、Greene King IPAの威力は決して甘いものではなかった、ということなのでしょう。
speakingとlisteningについては、「たら・れば」を言えばきりがありませんので、もはや述べますまい。いかなる状況にも対応できてこそ真の英語の実力といえるのでしょうから。なので、この結果で大学院を決定しようと思います。
Oveall 7.5、listening&writing7.0をunconditional offerの要件としている厄介な大学院には、とりあえずサマースクール入学+過去二回のIELTSの成績(実は、2月のIELTSでは、listeningも7.0を取っていました。)の合わせ技一本での入学の可否を聞いてみることになるでしょう。
まあ、やっぱり試験中には酒を飲まない方がよさそう、ということで…
ん?
いやいや、違う違う。それもそうだけど…
近々Greene King IPAにお礼参りしてやる!!!
そう、前回のIELTSの結果が返ってきました。
とうとう乗ったよoverall 7.0!懸案だったwritingも、直前の特訓が功を奏したのか、7.0をゲット。これで2つの大学院からは文句なしのunconditional offerへの切り替えが可能となりました。で、readingに至っては、現場でも確かに手ごたえがあったのですが、予想以上の8.0!
…とここまでが明るい話。
で、listening。直前まで自宅で演習していたCambridgeの問題集では、常に7.5レベルの結果が出ていたのでかなり自信を持って臨んだものの、本番では普段余り聞き慣れない発音(オーストラリアかニュージーランドっぽい?)と今まで聞いた中で一番速いスピードにやられたのでしょう、6.5という結果に。まあ、これはまだ想定の範囲と言ってよいでしょう。
さて、問題はspeaking。僕は、ほかの科目についてはその日の問題との相性である程度のブレが出てくると思うのですが、speakingについては、そのブレが小さく、かつ、学習時間に比例して必ずよくなるものと思うんです。そして、実際、1月⇒2月で6.5⇒7.0と順調にスコアを上げてきました。
で、今回は…!
6.0
ゑ、ゑゑっ!?
いくらなんでもそれはないでしょ、というのが正直な第一印象。
今までの自分のスピーキング力からして、どれだけ悪くても6.5はくだらないと思っていたのですが…
まあ、自分では何とかしのいだつもりでも、Greene King IPAの威力は決して甘いものではなかった、ということなのでしょう。
speakingとlisteningについては、「たら・れば」を言えばきりがありませんので、もはや述べますまい。いかなる状況にも対応できてこそ真の英語の実力といえるのでしょうから。なので、この結果で大学院を決定しようと思います。
Oveall 7.5、listening&writing7.0をunconditional offerの要件としている厄介な大学院には、とりあえずサマースクール入学+過去二回のIELTSの成績(実は、2月のIELTSでは、listeningも7.0を取っていました。)の合わせ技一本での入学の可否を聞いてみることになるでしょう。
まあ、やっぱり試験中には酒を飲まない方がよさそう、ということで…
ん?
いやいや、違う違う。それもそうだけど…
近々Greene King IPAにお礼参りしてやる!!!
2011年4月27日水曜日
お城めぐりにゲイの宿(ウェールズ旅行その2)
今回は、ホテル予約サイトでものすごい評判が良かったB&Bに投宿しました。
ここの一番の特徴は、ゲイカップルが経営しているということかもしれません。
僕自身、正面からカミングアウトしている人とは初めて接する(後から聞いてゲイらしい、という人は複数知っておりますが)ので、何かこう、偏見ではないけれども緊張感がなかったといえば嘘になります。でも、実際に話をしていると、別に何てこともありませんでした(まあ、一人は話し方が少し女性っぽかった気もしないわけでもありませんが。)。
宿屋の仕事と個人のセクシュアリティとは全く関係ない、という当たり前の事実を再認識した次第です。
で、二人とも非常に親切で、かつ、朝食が見事!まあ、予約サイトほどには高い評価はありませんが、前回ロンドンのB&Bでインド系経営者の横柄な態度とひどいサービスに苦しめられた分、僕個人としてはかなり満足しました。
まあ、宿の話はこれまでにして。
ウェールズは、中世の名残が色濃く残る場所が多いことで有名ですが、カーディフ自体は既にかなり現代化されたとてもきれいな街です。街自体がコンパクトにまとまっていて、その割には立派なショッピングモールがでーんと構えているなど、ボーンマスよりも使いやすい街だな、というのが小鴨と僕の共通の結論。
そして、一歩郊外に足を向ければ、中世風に再建された城を含めてそれなりに見ごたえがある城が点在しています。今回は、時間の関係でカーディフからバスで簡単に行ける場所をピックアップしました。
まずは、カステル・コッホ(Castell Coch)。
諸事情により近くに行くバスに乗り遅れた僕たちは、鉄道に乗って(相変わらずの2両編成ディーゼルカー)最寄り駅で降りました。
カーディフで入手したリーフレットでは、そこから2.5kmということでしたが、道が分かりません。で、ちょうど犬を散歩していた夫婦(?)に聞いたところ、「この先のラウンドアバウト(ロータリー)を左に曲がったpath(小道)を上がっていけば、『眠れる森の美女』のようにそびえる城が見えてくるよ」とのことでしたので、文句なくpathへと足を運びます。思いがけずも英国のフットパスを経験することとなり、新緑と咲きこぼれる花々が美しい春の山道を上っていったのでした。こんな具合に。
そして…
森の中に急に(かつ無機質な面持ちで)現れたタワーは、ちょっと不気味にすら感じました。
近づくと、こんな感じ。僕らは裏から入ってきたのでした。ついでにだいぶ近道したようです。
で、正面は、こんな感じ。
ものすごく中世っぽい感じがしませんか?この城自体は、廃墟となっていた中世の城をベースに19世紀に再建したものですが、中の部屋はどれもこれもとても美しく、本当に見ごたえがありました。
で、次は、バスを乗り継いでケーフィリー城です。
今度の城は、既に廃墟となった城ですが、周囲を堀に囲まれ、とても美しいたたずまいです。
で、これらの郊外の城をめぐった翌日、市内の最大のランドスケープであるカーディフ城に。
ガイドブックでは1時間そこそこでOKのようにかかれてましたが、あにはからんや、じっくり音声ガイド(日本語も中国語もあるので便利です。)を聞きながらだと2時間は余裕でかかってしまいます。
正面。右の城壁の下のほう、赤いレンガの下部は、ローマ時代の遺構だそうです。その上は、19世紀に当時の所有者が再建したとのこと。
城壁の中の城。ここが城主の住まいだったとのこと。
左の塔のようなものは、ノルマン王朝時代に起源を有するkeepと呼ばれる砦です。これも城壁の中にあります。
城の中の部屋の一つ、アラビアの間。とりあえず天井の様子だけアップしておきますが、実際は部屋全体も豪華極まりなし!一見の価値ありです。
大広間。19世紀に中世様式に作り直したものとのことですが、写真では十分その迫力が紹介できないのが残念です。
keepの上から。ここからは、カステル・コッホを見ることができます(赤い円で囲った場所)。カーディフ上もカステル・コッホも同じ所有者(ビュート侯)が保有していたとのこと。
※※※
中世といえば、かつては暗黒の歴史のように語られてきたようですが、中世だって光があり、緑があり、人が笑っていたはずなので、決して黒歴史のように語られるべきではないことはいうまでもありません。
でも、現代に比べて確かに「闇」が多く、その「闇」に対する人々の本能的ともいえるかもしれない畏れ(怖れ?)ってのが強かったのかな、とも感じます。今回、こうやって中世の名残を残す城をめぐっていると、そういった「闇」が確かに存在していたこと、それだからこ人々がいかに光をすばらしいものと感じていたか(光は時には「神」すらも代弁していたのでしょう)、ということをそこはかとなく感じたのでした。
闇と光と人間と。
カステル・コッホにて。
ここの一番の特徴は、ゲイカップルが経営しているということかもしれません。
僕自身、正面からカミングアウトしている人とは初めて接する(後から聞いてゲイらしい、という人は複数知っておりますが)ので、何かこう、偏見ではないけれども緊張感がなかったといえば嘘になります。でも、実際に話をしていると、別に何てこともありませんでした(まあ、一人は話し方が少し女性っぽかった気もしないわけでもありませんが。)。
宿屋の仕事と個人のセクシュアリティとは全く関係ない、という当たり前の事実を再認識した次第です。
で、二人とも非常に親切で、かつ、朝食が見事!まあ、予約サイトほどには高い評価はありませんが、前回ロンドンのB&Bでインド系経営者の横柄な態度とひどいサービスに苦しめられた分、僕個人としてはかなり満足しました。
まあ、宿の話はこれまでにして。
ウェールズは、中世の名残が色濃く残る場所が多いことで有名ですが、カーディフ自体は既にかなり現代化されたとてもきれいな街です。街自体がコンパクトにまとまっていて、その割には立派なショッピングモールがでーんと構えているなど、ボーンマスよりも使いやすい街だな、というのが小鴨と僕の共通の結論。
そして、一歩郊外に足を向ければ、中世風に再建された城を含めてそれなりに見ごたえがある城が点在しています。今回は、時間の関係でカーディフからバスで簡単に行ける場所をピックアップしました。
まずは、カステル・コッホ(Castell Coch)。
諸事情により近くに行くバスに乗り遅れた僕たちは、鉄道に乗って(相変わらずの2両編成ディーゼルカー)最寄り駅で降りました。
カーディフで入手したリーフレットでは、そこから2.5kmということでしたが、道が分かりません。で、ちょうど犬を散歩していた夫婦(?)に聞いたところ、「この先のラウンドアバウト(ロータリー)を左に曲がったpath(小道)を上がっていけば、『眠れる森の美女』のようにそびえる城が見えてくるよ」とのことでしたので、文句なくpathへと足を運びます。思いがけずも英国のフットパスを経験することとなり、新緑と咲きこぼれる花々が美しい春の山道を上っていったのでした。こんな具合に。
そして…
森の中に急に(かつ無機質な面持ちで)現れたタワーは、ちょっと不気味にすら感じました。
近づくと、こんな感じ。僕らは裏から入ってきたのでした。ついでにだいぶ近道したようです。
で、正面は、こんな感じ。
ものすごく中世っぽい感じがしませんか?この城自体は、廃墟となっていた中世の城をベースに19世紀に再建したものですが、中の部屋はどれもこれもとても美しく、本当に見ごたえがありました。
で、次は、バスを乗り継いでケーフィリー城です。
今度の城は、既に廃墟となった城ですが、周囲を堀に囲まれ、とても美しいたたずまいです。
で、これらの郊外の城をめぐった翌日、市内の最大のランドスケープであるカーディフ城に。
ガイドブックでは1時間そこそこでOKのようにかかれてましたが、あにはからんや、じっくり音声ガイド(日本語も中国語もあるので便利です。)を聞きながらだと2時間は余裕でかかってしまいます。
正面。右の城壁の下のほう、赤いレンガの下部は、ローマ時代の遺構だそうです。その上は、19世紀に当時の所有者が再建したとのこと。
城壁の中の城。ここが城主の住まいだったとのこと。
左の塔のようなものは、ノルマン王朝時代に起源を有するkeepと呼ばれる砦です。これも城壁の中にあります。
城の中の部屋の一つ、アラビアの間。とりあえず天井の様子だけアップしておきますが、実際は部屋全体も豪華極まりなし!一見の価値ありです。
大広間。19世紀に中世様式に作り直したものとのことですが、写真では十分その迫力が紹介できないのが残念です。
keepの上から。ここからは、カステル・コッホを見ることができます(赤い円で囲った場所)。カーディフ上もカステル・コッホも同じ所有者(ビュート侯)が保有していたとのこと。
※※※
中世といえば、かつては暗黒の歴史のように語られてきたようですが、中世だって光があり、緑があり、人が笑っていたはずなので、決して黒歴史のように語られるべきではないことはいうまでもありません。
でも、現代に比べて確かに「闇」が多く、その「闇」に対する人々の本能的ともいえるかもしれない畏れ(怖れ?)ってのが強かったのかな、とも感じます。今回、こうやって中世の名残を残す城をめぐっていると、そういった「闇」が確かに存在していたこと、それだからこ人々がいかに光をすばらしいものと感じていたか(光は時には「神」すらも代弁していたのでしょう)、ということをそこはかとなく感じたのでした。
闇と光と人間と。
カステル・コッホにて。
2011年4月26日火曜日
MasterChef
小鴨は、このところこのタイトルの番組にはまって料理を作り出したことはこの間もお話したとおりですが、その結果をまだお見せしていなかったので、その一部をここにご紹介します。
なお、小鴨による詳細は、小鴨のブログ(中国語のみ)をご参照ください(特にアップルパイについて)。
http://blog.sina.com.cn/u/1227739232
なお、小鴨による詳細は、小鴨のブログ(中国語のみ)をご参照ください(特にアップルパイについて)。
http://blog.sina.com.cn/u/1227739232
カーディフ旅行記はちょっとまってね。
揚げ出し豆腐。と言っても油を大量に使うと始末が面倒なので、フライパンの上で必要最小限の油で豆腐を転がしていた模様。何とかなるものです。
味は、うん、衣がややもっちゃりしてしまった感もありますが、これは、上記の作り方とも関係するのかもしれません。
ちらし寿司。
今回は、珍しくれんこんが手に入ったこともあり、酢蓮にして添えてみました。ついでに、マグロのづけを伊勢のてこね寿司風に混ぜ込んでみました。
味自体は決して悪くはない(むしろおいしい)のですが、惜しむらくはご飯が軟らかく炊き上がってしまったこと(そのためご飯がもっちゃりとなってしまいました。)です。イギリスで売られている炊飯器は、日本のようなハイテク製品ではなく、ただご飯を普通に炊くだけというもので、当然寿司飯モードなどはありません。また、米の質自体もいまいちのようで、銀シャリにするのはとても困難です。
トマトのグリル バジルオイルにガーリック&チーズを添えて。
これは小鴨が最近はまりだしたオーブン(今の家にあるオーブンは、本当にガスの火を使うオーブンです。)を使った料理の1つです。チーズはオランダ製のものを使うというこだわりの入れよう(というか、オランダに旅行した台湾人のC嬢がいいやつをくれたので、それを使っているわけです。)。
この写真の時は2回目のトライでしたが、おそらくトマトが水っぽかったのでしょう、1回目の方がおいしかったように思います。
アップルパイ。
パイ生地はスーパーに売られているパイシートをそのまま使用。シナモンやラム酒といった材料を使うことが小鴨には新鮮だった模様。
パイシートは、それはそれでよかったのですが、これをそのまま使用するべきなのかどうかいまいち判断に悩むところです。というのも、これ自体は層になるように練りこまれていないようで、そのままだと例の生地のサクサク感があまりなかったからです。
でも、肝腎の中身(リンゴの部分)はおいしかったですよ。思った以上に砂糖を使うことに小鴨はややおっかなびっくりだったかな。
アップルパイ。
パイ生地はスーパーに売られているパイシートをそのまま使用。シナモンやラム酒といった材料を使うことが小鴨には新鮮だった模様。
パイシートは、それはそれでよかったのですが、これをそのまま使用するべきなのかどうかいまいち判断に悩むところです。というのも、これ自体は層になるように練りこまれていないようで、そのままだと例の生地のサクサク感があまりなかったからです。
でも、肝腎の中身(リンゴの部分)はおいしかったですよ。思った以上に砂糖を使うことに小鴨はややおっかなびっくりだったかな。
大シェフのmimakiirihiko作による牛肉のたたき。
思った以上に簡単に作れたので我ながらびっくり。mimakiirihikoの最近での会心作です(?)
ただ、漬けだれに漬けすぎると塩辛くなってしまうので、このタイミングが難しいな、と思いました。
いずれの作品も、イギリス、それもボーンマスという、日本で当然に入る食材がなかなか手に入らないという条件下ということを考えれば、とてもよくできたのではないか、と思っています。
料理の道はまだまだ厳しいですが、小鴨には更に腕を磨いてもらいましょう(これは歓迎すべきことなのですが、僕が試食係になることは必定で、太らないように僕も注意しなければならないのがつらいところです。)。
2011年4月25日月曜日
大西部鉄道(ウェールズ旅行その1)
イギリスが世界で一番長い国名である(グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)、ってのは良く知られた話であり、その名のとおり、いくつかの国(country)により構成されています(だから「連合王国/United Kingdom」なんですよね)。そして、その構成国の中で一番マイナーなのは、ウェールズではないでしょうか?
うーん、まあ、イギリス王太子はThe Prince of Walesと呼ばれるので、知らない、ってわけじゃないとは思うのですが、中世に早々にイングランドに併合されたという歴史的経緯もあり、いまいち日本人にはなじみが薄いことは否定できないんじゃないかな、と。
となればマイナーなものを好むこのmimakiirihkoとしてはまさにドンピシャの場所となるわけで、この復活祭休みを利用して行ってきましたウェールズ。とはいっても、時間の関係で首都のカーディフとその周辺のみでしたが。
カーディフまでは、ロンドンからは都市間高速列車のようなもので2時間ちょいで行けるのですが、ボーンマスからは直線距離はそう遠くないのに3時間以上かかります。おまけにこのイースター休み中に経由地のサザンプトン(Southampton)あたりで鉄道工事をするということで、ボーンマスからサザンプトン近郊の駅(イーストレイ/Eastleigh)まで代行バスで行くということになり、結局4時間以上の長旅です。大体、イギリスの交通機関はちょうど東京のそれと似ていて、ロンドンとそれ以外との都市間連絡は非常に良くできているのですが、「それ以外の都市間」を連絡する交通機関がいまいち具合が良くないのです。
ともあれ、イーストレイからカーディフまで乗る列車は、First Great Westernという会社の列車です(イギリスの鉄道は、いわば上下分離方式を取っていて、1つの線路の上に複数の鉄道会社が列車を走らせています。日本の神戸高速鉄道のような感じです。)。
ここで、ある架空の蒸気機関車をすぐに連想できたら、あなたは相当の病気でしょう。
…ダック、ってご存知ですか?
そう、ウィルバート・オードリーの「汽車のえほん」シリーズ(もっと分かりやすくいえば機関車トーマスのシリーズ)に出てくる機関車です。
このダック、自分がかつて大西部鉄道にいたことを折に触れて自慢するのですが、この大西部鉄道は、まさにGreat Westernそのものなのです。もっとも、今のFirst Great Westernがダックの大西部鉄道の直接の子孫ではないようですが、ともあれその流れを引き継いでいる、といっても良いでしょう。なお、今のFirst Great Westernのロンドンのターミナルは、パディントン駅。そういえば、ダックもゴードンたちとの間でロンドンの駅について論争したとき、ロンドンの駅はパディントン駅だといってはばからなかったですよね。
ともあれ、First Great Westernと聞いてここまでを瞬時に連想した相当な病気のわたくしめは、「ダツクなる汽罐車がかくもほこるものなれば、いとめでたきくろがねのみちにやあらむ」と思いつつ、ボーンマスからバスに乗ってやってきたイーストレイの駅で列車の来るのを心待ちにしていたのです。
待つことしばらく、大西部鉄道のカーディフ中央駅ゆきが入線とのアナウンスが!近づいてくる列車の音、そして大西部鉄道がそのベールを脱いだ!
さあ、大西部鉄道のお出ましです!!
...orz
これでも、写真はかなりきれいに写ってます。実際は、中も外もかなり汚れていて、かつ、たったの2両編成。ダックが見たら泣くぜこりゃ。
乗らないことにはカーディフに行けませんので、ともあれ乗り込みました。
この路線は、都市間連絡の列車というよりはむしろローカルサービスっぽい雰囲気で、田舎の無人駅にもちょこちょこ止まります。なるほど、時間がかかるわけです。でも、ソールズベリやバース、ブリストルなどを通るので、決してしょぼしょぼのローカル線ではないのですが。
でも、周囲の風景は、とてもきれいでしたよ。特にソールズベリからバースの間には、ところどころあたり一面の菜の花畑になっているところなどがあり、それは見事でした。
ブリストルではスイッチバックをして、列車は一路ウェールズへ。国境の長いトンネルをくぐってとうとうウェールズ入りです。風景が心なしか荒削りに感じられます。そんな中、2両編成のディーゼル列車は、スピードを上げてカーディフに向けて疾走します。
そしてとうとう正午前、カーディフに到着です。
一見、イングランドの大きな街と変わりないように見えるのですが、ノンノン、さすがにここはウェールズ。誇り高きウェールズ人は、英語とは全く異なるウェールズ語も大切にしており、町の標識はどこもウェールズ語と英語の二重標記です。で、カーディフの駅名標もこんな具合に。
上がウェールズ語(ケルト語系)、下が英語です。
で、ここもまた大西部鉄道が古くから運営していた、という証拠が、この駅の建物。
背後にGreat Western Railwayと書かれているの、わかります(Greatは写真では切れちゃってるけど)。ちなみに駅の上にはユニオンジャックとウェールズの旗がはためいてます。
ダックもここまで来たのかしらん?
うーん、まあ、イギリス王太子はThe Prince of Walesと呼ばれるので、知らない、ってわけじゃないとは思うのですが、中世に早々にイングランドに併合されたという歴史的経緯もあり、いまいち日本人にはなじみが薄いことは否定できないんじゃないかな、と。
となればマイナーなものを好むこのmimakiirihkoとしてはまさにドンピシャの場所となるわけで、この復活祭休みを利用して行ってきましたウェールズ。とはいっても、時間の関係で首都のカーディフとその周辺のみでしたが。
カーディフまでは、ロンドンからは都市間高速列車のようなもので2時間ちょいで行けるのですが、ボーンマスからは直線距離はそう遠くないのに3時間以上かかります。おまけにこのイースター休み中に経由地のサザンプトン(Southampton)あたりで鉄道工事をするということで、ボーンマスからサザンプトン近郊の駅(イーストレイ/Eastleigh)まで代行バスで行くということになり、結局4時間以上の長旅です。大体、イギリスの交通機関はちょうど東京のそれと似ていて、ロンドンとそれ以外との都市間連絡は非常に良くできているのですが、「それ以外の都市間」を連絡する交通機関がいまいち具合が良くないのです。
ともあれ、イーストレイからカーディフまで乗る列車は、First Great Westernという会社の列車です(イギリスの鉄道は、いわば上下分離方式を取っていて、1つの線路の上に複数の鉄道会社が列車を走らせています。日本の神戸高速鉄道のような感じです。)。
ここで、ある架空の蒸気機関車をすぐに連想できたら、あなたは相当の病気でしょう。
…ダック、ってご存知ですか?
そう、ウィルバート・オードリーの「汽車のえほん」シリーズ(もっと分かりやすくいえば機関車トーマスのシリーズ)に出てくる機関車です。
このダック、自分がかつて大西部鉄道にいたことを折に触れて自慢するのですが、この大西部鉄道は、まさにGreat Westernそのものなのです。もっとも、今のFirst Great Westernがダックの大西部鉄道の直接の子孫ではないようですが、ともあれその流れを引き継いでいる、といっても良いでしょう。なお、今のFirst Great Westernのロンドンのターミナルは、パディントン駅。そういえば、ダックもゴードンたちとの間でロンドンの駅について論争したとき、ロンドンの駅はパディントン駅だといってはばからなかったですよね。
ともあれ、First Great Westernと聞いてここまでを瞬時に連想した相当な病気のわたくしめは、「ダツクなる汽罐車がかくもほこるものなれば、いとめでたきくろがねのみちにやあらむ」と思いつつ、ボーンマスからバスに乗ってやってきたイーストレイの駅で列車の来るのを心待ちにしていたのです。
待つことしばらく、大西部鉄道のカーディフ中央駅ゆきが入線とのアナウンスが!近づいてくる列車の音、そして大西部鉄道がそのベールを脱いだ!
さあ、大西部鉄道のお出ましです!!
※カーディフ中央駅で撮りました。
...orz
これでも、写真はかなりきれいに写ってます。実際は、中も外もかなり汚れていて、かつ、たったの2両編成。ダックが見たら泣くぜこりゃ。
乗らないことにはカーディフに行けませんので、ともあれ乗り込みました。
この路線は、都市間連絡の列車というよりはむしろローカルサービスっぽい雰囲気で、田舎の無人駅にもちょこちょこ止まります。なるほど、時間がかかるわけです。でも、ソールズベリやバース、ブリストルなどを通るので、決してしょぼしょぼのローカル線ではないのですが。
でも、周囲の風景は、とてもきれいでしたよ。特にソールズベリからバースの間には、ところどころあたり一面の菜の花畑になっているところなどがあり、それは見事でした。
ブリストルではスイッチバックをして、列車は一路ウェールズへ。国境の長いトンネルをくぐってとうとうウェールズ入りです。風景が心なしか荒削りに感じられます。そんな中、2両編成のディーゼル列車は、スピードを上げてカーディフに向けて疾走します。
そしてとうとう正午前、カーディフに到着です。
一見、イングランドの大きな街と変わりないように見えるのですが、ノンノン、さすがにここはウェールズ。誇り高きウェールズ人は、英語とは全く異なるウェールズ語も大切にしており、町の標識はどこもウェールズ語と英語の二重標記です。で、カーディフの駅名標もこんな具合に。
上がウェールズ語(ケルト語系)、下が英語です。
で、ここもまた大西部鉄道が古くから運営していた、という証拠が、この駅の建物。
背後にGreat Western Railwayと書かれているの、わかります(Greatは写真では切れちゃってるけど)。ちなみに駅の上にはユニオンジャックとウェールズの旗がはためいてます。
ダックもここまで来たのかしらん?
2011年4月18日月曜日
志ん生への道
5代目古今亭志ん生といえば、押しも押されぬ昭和の大看板。
僕はもともと祖父や祖母の影響で上方落語に親しみを感じているのですが、志ん生の「びんぼう自慢」という本を読み、ついでに独演会のCDなどを買ってみたら、これがとても面白いんですよね。未だ上方落語びいきではあるものの、江戸落語もまた違う味わいがあっていいものだな、と思うようになりました。
で、志ん生といえば酒は欠かせないアイテムとなるわけで、「びんぼう自慢」にも、志ん生がネタで話しているのかもしれないものの、酒にまつわる色々な逸話が載っていました。その中で僕のツボにはまったのは、関東大震災の時のこと。地震が起こって志ん生が真っ先に考えたのは、「地震で酒瓶が割れてしまうのは余りにもったいない」ということで、すぐに酒屋に走ってただ酒を飲みまくり、地面が揺れているのか自分がふらふらなのかが分からなくなったとのことでした。
この気持ち、同じ酒好きの僕としてはよくわかるんですよ。真の酒飲みはかくあるべし、と妙に感心したものです。
===
話は時と場所を飛び越えて、2011年4月、イギリス・ボーンマス。
土曜日、僕にとっては最後のトライアルのつもりのIELTSを受けました。
まあ細かいミスがなかったわけではありませんが、それでも自分としてそれなりに納得できる感じで、リスニング⇒リーディング⇒ライティングをこなし、お昼の1時にここまで終了。
で、最後のスピーキングは、場所を変えて行うのですが、僕の番は3時ということで、途中でちょっと食事をするには絶妙の時間です。
というわけで、上記3教科の会場とスピーキングの会場の間にある場所―家からもさして遠くないところですが―でバスを降りて日本食屋に行こうとしたら、これが何と臨時休業。しゃーないのでスペイン食堂に腰を落ち着けようとしたら、バーカウンターのおねーちゃん曰く、「お昼は食事出してないの、チップス(ここはイギリスなので、チップス=フライドポテトです)ならあるけど」とのこと。昼からチップスを大量にむさぼって胃をむかむかさせるのもしゃくなのでここもギブアップ。というわけで、イギリス食生活の頼れる味方かつ最後の切り札でもある、パブへ足を向けたのでした。
パブは、ご存知の方も多いと思いますが、昼は普通に食事もできたりもします。というわけで、この日も僕はラザニア(うーん、典型的パブ飯の1つ!)を注文しにカウンターに向かったのですが…
そこには当然、ビールやサイダーの銘柄のラベルが貼られた各種ハンドルがずらりと鎮座ましましているわけで…
(以下僕の心の会話)
天使:「まだお昼時だよ!」
悪魔:「昼のビールは背徳の味がして最高やん。それに、パブに入って俺がビールを飲んであげへんのはビールに対して失礼やし、ビールがかわいそうやろ」
天使:「酔っちゃうよ!!」
悪魔:「ハーフパイント(約300cc)くらいなら問題ないやん」
天使:「まだスピーキングがあるでしょ!!!」
悪魔:「ちょっとぐらい酔いが回った方がようしゃべれるちゅうもんや、中国語もせやったやろ?」
天使:「後悔しても知らないよ!!!!」
悪魔:「飲まん方が後悔するわ。志ん生見てみぃ。俺もここでモノホンの酒飲みにならなあかんねん」
(以下繰り返しにつき省略)
というわけで、お代を払った後の僕の左手には、お気に入り銘柄の1つ、GREENE KING IPAのハーフパイントがあったのでした。
で、その後はラザニアを食べつつ愛しのIPAちゃんを流し込んだ上で、ちょっと別用があったので中国にいる知人と30分ほど駄弁ってました(それも、日本語で)。
そうこうしているうちに程よい時間になり、立ち上がったのですが…
あ、あれ…?
何かこう、脳みそがオブラートに包まれたような感じ。
ちょっと試験前に日本語しゃべりすぎたな、とさすがに反省して、歩きながら道々試験に出てくるような内容を英語でつぶやこうとしたのですが、え、嘘?日本語と中国語しか出てこない!!
や、やばい…
うん、さすがに焦らなかったといえば嘘になります。午前の試験は、それなりに手ごたえはありましたし、スピーキングは前回も比較的いいスコアだったので自信を持って臨もうとしていたのに、ここでスカ食らうのは余りにも情けないじゃないですか!
でも、幸いなことに、本番の試験では、大きなミス(=質問が分からない、即答できずに考え込んでしまう)はありませんでした。試験官の反応も、前回と同じような感じで決して悪くありません。でも、粋な表現ができずに、ちょっとぐじゅぐじゅしてしまった箇所があったのは、おそらくIPAちゃんの残り香なのでしょう。
***
ともあれ、試験、終わりました。できるだけのことはしたので、いかなる結果でも後悔はありません。
ただ、決して志ん生のような大物になりきれない僕のような凡人には、次のような教訓を残すことになりました。
「試験中は酒を飲んだらあきまへん」
こうやって人間はまた一つ賢くなるのでしょう、うん。
僕はもともと祖父や祖母の影響で上方落語に親しみを感じているのですが、志ん生の「びんぼう自慢」という本を読み、ついでに独演会のCDなどを買ってみたら、これがとても面白いんですよね。未だ上方落語びいきではあるものの、江戸落語もまた違う味わいがあっていいものだな、と思うようになりました。
で、志ん生といえば酒は欠かせないアイテムとなるわけで、「びんぼう自慢」にも、志ん生がネタで話しているのかもしれないものの、酒にまつわる色々な逸話が載っていました。その中で僕のツボにはまったのは、関東大震災の時のこと。地震が起こって志ん生が真っ先に考えたのは、「地震で酒瓶が割れてしまうのは余りにもったいない」ということで、すぐに酒屋に走ってただ酒を飲みまくり、地面が揺れているのか自分がふらふらなのかが分からなくなったとのことでした。
この気持ち、同じ酒好きの僕としてはよくわかるんですよ。真の酒飲みはかくあるべし、と妙に感心したものです。
===
話は時と場所を飛び越えて、2011年4月、イギリス・ボーンマス。
土曜日、僕にとっては最後のトライアルのつもりのIELTSを受けました。
まあ細かいミスがなかったわけではありませんが、それでも自分としてそれなりに納得できる感じで、リスニング⇒リーディング⇒ライティングをこなし、お昼の1時にここまで終了。
で、最後のスピーキングは、場所を変えて行うのですが、僕の番は3時ということで、途中でちょっと食事をするには絶妙の時間です。
というわけで、上記3教科の会場とスピーキングの会場の間にある場所―家からもさして遠くないところですが―でバスを降りて日本食屋に行こうとしたら、これが何と臨時休業。しゃーないのでスペイン食堂に腰を落ち着けようとしたら、バーカウンターのおねーちゃん曰く、「お昼は食事出してないの、チップス(ここはイギリスなので、チップス=フライドポテトです)ならあるけど」とのこと。昼からチップスを大量にむさぼって胃をむかむかさせるのもしゃくなのでここもギブアップ。というわけで、イギリス食生活の頼れる味方かつ最後の切り札でもある、パブへ足を向けたのでした。
パブは、ご存知の方も多いと思いますが、昼は普通に食事もできたりもします。というわけで、この日も僕はラザニア(うーん、典型的パブ飯の1つ!)を注文しにカウンターに向かったのですが…
そこには当然、ビールやサイダーの銘柄のラベルが貼られた各種ハンドルがずらりと鎮座ましましているわけで…
(以下僕の心の会話)
天使:「まだお昼時だよ!」
悪魔:「昼のビールは背徳の味がして最高やん。それに、パブに入って俺がビールを飲んであげへんのはビールに対して失礼やし、ビールがかわいそうやろ」
天使:「酔っちゃうよ!!」
悪魔:「ハーフパイント(約300cc)くらいなら問題ないやん」
天使:「まだスピーキングがあるでしょ!!!」
悪魔:「ちょっとぐらい酔いが回った方がようしゃべれるちゅうもんや、中国語もせやったやろ?」
天使:「後悔しても知らないよ!!!!」
悪魔:「飲まん方が後悔するわ。志ん生見てみぃ。俺もここでモノホンの酒飲みにならなあかんねん」
(以下繰り返しにつき省略)
というわけで、お代を払った後の僕の左手には、お気に入り銘柄の1つ、GREENE KING IPAのハーフパイントがあったのでした。
で、その後はラザニアを食べつつ愛しのIPAちゃんを流し込んだ上で、ちょっと別用があったので中国にいる知人と30分ほど駄弁ってました(それも、日本語で)。
そうこうしているうちに程よい時間になり、立ち上がったのですが…
あ、あれ…?
何かこう、脳みそがオブラートに包まれたような感じ。
ちょっと試験前に日本語しゃべりすぎたな、とさすがに反省して、歩きながら道々試験に出てくるような内容を英語でつぶやこうとしたのですが、え、嘘?日本語と中国語しか出てこない!!
や、やばい…
うん、さすがに焦らなかったといえば嘘になります。午前の試験は、それなりに手ごたえはありましたし、スピーキングは前回も比較的いいスコアだったので自信を持って臨もうとしていたのに、ここでスカ食らうのは余りにも情けないじゃないですか!
でも、幸いなことに、本番の試験では、大きなミス(=質問が分からない、即答できずに考え込んでしまう)はありませんでした。試験官の反応も、前回と同じような感じで決して悪くありません。でも、粋な表現ができずに、ちょっとぐじゅぐじゅしてしまった箇所があったのは、おそらくIPAちゃんの残り香なのでしょう。
***
ともあれ、試験、終わりました。できるだけのことはしたので、いかなる結果でも後悔はありません。
ただ、決して志ん生のような大物になりきれない僕のような凡人には、次のような教訓を残すことになりました。
「試験中は酒を飲んだらあきまへん」
こうやって人間はまた一つ賢くなるのでしょう、うん。
2011年4月14日木曜日
黒い塊
上海にいたころ、僕は、オフィスに常時7,8種類の中国茶を常備していました。鉄観音、西湖龍井、蛾眉毛峰、プーアル、祁門(キーマン)、などなど。
で、僕が事務所に出社すると、スタッフが早速やってきて「先生, 今天你喝什么茶?(今日はどのお茶にしますか?)」と尋ねるのが毎朝の恒例行事でした。…いや、今では日本では女性スタッフにお茶汲みさせるのは色々問題があるようですが、うちのスタッフは、完全な好意でやってくれてました。逆に自分で入れたりしていると、「私がやりますよ~、させるのは申し訳ないです」というくらい。なので、彼女らにはいつも感謝、感謝でした。ほんと、仕事でいろいろあったことを除けば、いいオフィスだったな、と改めて懐かしく思います。
で、上海離任時、スタッフたちが僕のために送別会をやってくれて、そのときにくれたのが西湖龍井。曰く、「イギリスでは中国茶が手に入らないでしょうから、お茶好きなあなたにはつらいでしょう」とのこと。西湖龍井クラスとなれば、決して安いものではないはずなのですが、それでもこうやって気を利かせてくれた同僚たちに、本当にありがたく思ったものです。
そして、イギリスに来てはや8か月目。ここは紅茶の国ということもあり、紅茶もかなりの割合で飲んでいますが、それでもやっぱり飲みなれたお茶の方がなんだかほっとする、というのは致し方ないところで、件の西湖龍井もいいペースで飲んでいます。西湖龍井は、中国の緑茶の中で僕が一番好きな種類ですしね。
で、ある日も同じように上機嫌で西湖龍井の缶から茶葉をコップに入れてお湯を注ぎ、春に萌え出でた若葉のような香りを楽しんでいた…
…のですが…
まだ沈みきっていない茶葉と共に、何か黒い塊を発見!扁平で、1センチ弱、ところどころひびが入っているかのように白い部分も見えています。
何!これゴキブリの子?!、とかなりびびりましたよ。なにせゴキブリは、子供のころにこいつが僕に向かって飛んできて以来のトラウマですから。
でも、手にとってよーく見てみると、これがまあスイカの種。
おそらくお茶を煎っていたおっさんがスイカでも食べていたのでしょう。で、種を吐き出す場所をちょっとミスったのでしょう。そう、杭州の龍井村でも見ましたが、お茶を煎る作業は、大体農家の軒先で各家がやるものなので、まあ、こういった「事故」が起こりうることも全く不自然じゃないわけで。
このような事態に直面したとしても、当方、中国に合計6年近く住んでおり、ちょっとやそっとの「食品事故」にはめげるものではありません(むしろ、今の都会の中国人のほうがこの点によりナーバスなくらいです)。いままでも、おばちゃんの指が漬かった熱々の麺や、ごく小さい羽虫が1匹浮かんだワンタンなどもめげずに食してきました。ただ、今回は、なぜかどうしても龍井村の農家のおっさんの顔が頭に浮かんでしまい、「加熱殺菌され、かつ、乾燥しているので問題はない」とは分かっていても、さすがにその時入れた茶葉はコップから捨ててしまいました。あーもったいない。
でもでも、まだ残っている茶葉にはなーんにも罪がありませんので、今も僕の横には西湖龍井がかぐわしい湯気を立てています。
さあ、スタッフの心意気を感じながらいただきましょう…。
で、僕が事務所に出社すると、スタッフが早速やってきて「先生, 今天你喝什么茶?(今日はどのお茶にしますか?)」と尋ねるのが毎朝の恒例行事でした。…いや、今では日本では女性スタッフにお茶汲みさせるのは色々問題があるようですが、うちのスタッフは、完全な好意でやってくれてました。逆に自分で入れたりしていると、「私がやりますよ~、させるのは申し訳ないです」というくらい。なので、彼女らにはいつも感謝、感謝でした。ほんと、仕事でいろいろあったことを除けば、いいオフィスだったな、と改めて懐かしく思います。
で、上海離任時、スタッフたちが僕のために送別会をやってくれて、そのときにくれたのが西湖龍井。曰く、「イギリスでは中国茶が手に入らないでしょうから、お茶好きなあなたにはつらいでしょう」とのこと。西湖龍井クラスとなれば、決して安いものではないはずなのですが、それでもこうやって気を利かせてくれた同僚たちに、本当にありがたく思ったものです。
そして、イギリスに来てはや8か月目。ここは紅茶の国ということもあり、紅茶もかなりの割合で飲んでいますが、それでもやっぱり飲みなれたお茶の方がなんだかほっとする、というのは致し方ないところで、件の西湖龍井もいいペースで飲んでいます。西湖龍井は、中国の緑茶の中で僕が一番好きな種類ですしね。
で、ある日も同じように上機嫌で西湖龍井の缶から茶葉をコップに入れてお湯を注ぎ、春に萌え出でた若葉のような香りを楽しんでいた…
…のですが…
まだ沈みきっていない茶葉と共に、何か黒い塊を発見!扁平で、1センチ弱、ところどころひびが入っているかのように白い部分も見えています。
何!これゴキブリの子?!、とかなりびびりましたよ。なにせゴキブリは、子供のころにこいつが僕に向かって飛んできて以来のトラウマですから。
でも、手にとってよーく見てみると、これがまあスイカの種。
おそらくお茶を煎っていたおっさんがスイカでも食べていたのでしょう。で、種を吐き出す場所をちょっとミスったのでしょう。そう、杭州の龍井村でも見ましたが、お茶を煎る作業は、大体農家の軒先で各家がやるものなので、まあ、こういった「事故」が起こりうることも全く不自然じゃないわけで。
このような事態に直面したとしても、当方、中国に合計6年近く住んでおり、ちょっとやそっとの「食品事故」にはめげるものではありません(むしろ、今の都会の中国人のほうがこの点によりナーバスなくらいです)。いままでも、おばちゃんの指が漬かった熱々の麺や、ごく小さい羽虫が1匹浮かんだワンタンなどもめげずに食してきました。ただ、今回は、なぜかどうしても龍井村の農家のおっさんの顔が頭に浮かんでしまい、「加熱殺菌され、かつ、乾燥しているので問題はない」とは分かっていても、さすがにその時入れた茶葉はコップから捨ててしまいました。あーもったいない。
でもでも、まだ残っている茶葉にはなーんにも罪がありませんので、今も僕の横には西湖龍井がかぐわしい湯気を立てています。
さあ、スタッフの心意気を感じながらいただきましょう…。
2011年4月10日日曜日
グルメな週末
今週末は、なぜかグルメな週末でした。
小鴨と台湾のC嬢は、Master Chefという、まあ、素人版料理の鉄人勝ち抜き戦的番組にはまって、我もといわんばかりに料理に懲りだしています。
で、僕もなんとなく料理をする気になり、3人がそれぞれ料理に挑戦する中、僕のメインはマグロのづけに牛肉のたたき、そしてナスの煮浸しも。どれも味をしみこませるプロセスがあるのは偶然の一致(というか、日本料理って、そういうのが多いですよね、思い返せば。
うん、結論としては、よくできました。特に牛肉のたたきがこんなに簡単にできるとは!
これからも僕のメインレパートリーになりそうです。
写真も色々取りましたが、今小鴨が編集中ゆえ、また後日。
IELTS一週間前になにやっとんじゃ、という突っ込みは、なしね。
2011年4月3日日曜日
ロンドンの中国人、そしてスリ
金曜日の朝、小鴨がフランスのビザを申請するために(現在、5月にフランス・イタリアを旅行する予定です)、木曜日の午後からロンドンに出かけました。中国人の場合、観光だけでも全ての日程の予約状況まで証明資料として提出しなければならず、非常に億劫です。
ビザの申請自体手続自体はつつがなく終わりましたし、こちらとしては出せる限りの証明資料を提出した(やむなく直球ど真ん中の資料ではないものもありますが、補充的資料によりカバーできているはずです。)のですが、帰りのバスの中で小鴨はビザが却下されるかもしれないといってへこんでました。でも、こちらとしてはもうこれ以上どうすることもできず、また、イミグレに関する法規の趣旨から考えても、また、行政裁量の幅を考慮したとしても、今回の小鴨のケースが却下される理由はないのですけど。まあ、いずれにせよ、10日後を待ちましょう。
それにしても、フランスのビザセンターに申請に来る中国人の多いことといったら!僕が小鴨に、「ここで『張さん!(小張!)』(=中国でもっともポピュラーな姓の1つ)と叫んだら、3人くらい振り向くんじゃないか」と冗談を言っていたのですが、後で名前を呼ばれた人の中に果たして張さんを発見!あながち冗談でもないかも。
で、そのせいなのか分からないのですが、ビザセンター自体も各所に中国人を雇っていて、小鴨のケースでは、資料を受理する人も中国人でした。なので、イギリスでフランスのビザを申請するのに中国語を使ってやり取りするという、なんともへんてこな状況が現れたのでした。そして、きわめて無愛想なところは、中国の鉄道の駅の切符売りのおばちゃんを髣髴とさせ、「まあ、しゃーない。彼女には何らの判断の権限も与えられていないんだから」と、怒る小鴨を慰めつつ、僕もなんとなくむかついていたのでした。なんでイギリスで中国にいるような思いをせんならんのか、と。
で、極めつけは、カウンターの前で「○○さん、何番カウンターへ」と言って人を振り分けていた係員の中国人女性。もう、その顔といい、髪型といい、化粧気のない顔といい、着ている服といい、つまらなそうにあくびをしている姿といい、もう100点満点のthe 中国人でした。唯一違うところは、しっかりと英語を話しているところだけでした。
そういった中で、僕と小鴨は、日本人の顔と中国人の顔の違いってどんな感じなのか、ということを議論しました(実際、少なくとも日本人については、僕も小鴨も相当の高率で見分けることができます。)。で、僕の意見は、「中国人は、常に『自分の得た食べ物は絶対に譲らないぞ』という強い意志をかもし出している。一方、日本人は、特に戦後世代はとにかく顔がのほほんとしている」というもので、これには小鴨もおおむね同意。そう、日本人って、とにかくみんな表情が「天下泰平」なんです。日々の食糧に対する苦悩などないかのように。
いや、もちろん、実は日本人は自己の食文化にものすごく愛着(執着?)があるし、現時点で日本で起こっている事象、そして歴史的にも、日々の食糧に対する苦悩が全くないといえばウソになります。でも、歴史を紐解いてみれば、「食べ物がない」ことに対する人民の反乱が国家の存亡自体を揺るがしたこと、というのもないんじゃないでしょうか(一揆とか米騒動とかがあったにせよ)。
一方、中国における為政者の徳とは、まずもって「治水」を前提とした「食の提供」であるように思われますし(例えば堯の時代の「鼓腹撃壌」の故事や、なぜ禹が初めての世襲王朝を開けたのかという点をご想起ください。)、王朝の交代自体が農民反乱と結びついていることも1度や2度ではありません。なので、中国人(特に漢族)の顔つきが食に対する一種の「執着」と関連するとしても、それは全くおかしい話ではないんじゃないか、と思うんですよね。そして、そうでなければ、あれだけ華やかな食文化を築くこともなかったのではないか、と。
閑話休題。
その後、中華街に出かけたのですが、まあ、どうしても食事に関しては、中華街が何かと便利なので行ってしまうんですよね。結局、滞在期間の夕食はいずれも中華街で四川料理×2、日本料理(ここはロンドン価格的には安くてうまかった!)×1。もちろんここでも中国人が一杯!
中国人は、今や世界どこでも、それこそボーンマスのような田舎町ですら、しっかりと根を下ろして生活しているということをひしひしと感じます。これと対抗できるのはインド人でしょうが、インド人はまだまだ極東アジアでは根を下ろしきっていないように思われます。ともあれ、これらの人たちは、さすがに華僑・印僑、といわれるだけあります。日本人にはここまでのたくましさはないよなぁ、と(逆に言えば、国外に定住すべき必要性もなかったからか?)。
===
そうそう、今回、僕も小鴨も、それぞれ、スリに遭いかけました。僕はロンドン塔の近くで、小鴨は中華街で。いずれのケースも、おそらく中東系の二人組で、一人が監視役、一人がスリ役です。二人組は観光客を装っていて、スリ役は地図を読むフリをしてリュックサックなどのファスナーを空けて中のものを取り、おそらくその後すぐに監視役に手渡しして白を切るのでしょう。僕のケースでは、ぶつかったのではない、何かリュックが不自然に引っ張られる感覚を感じた瞬間に体をかわしたのでファスナーを空けられることはありませんでしたが、小鴨の場合には、リュックの一番外のポケットにに手を突っ込まれるところまで行ったようです。幸いにして何も盗まれはしませんでしたし、そこにはあまりたいした物も入っていなかったのですが。
ともあれ、ボーンマスの生活が長すぎて気が緩んでいるようです。上海ではいつもかばんを前に抱えると貸していたのに。ロンドンは、やっぱりスリにはご用心!特に人ごみの中は危ないですよ!
ビザの申請自体手続自体はつつがなく終わりましたし、こちらとしては出せる限りの証明資料を提出した(やむなく直球ど真ん中の資料ではないものもありますが、補充的資料によりカバーできているはずです。)のですが、帰りのバスの中で小鴨はビザが却下されるかもしれないといってへこんでました。でも、こちらとしてはもうこれ以上どうすることもできず、また、イミグレに関する法規の趣旨から考えても、また、行政裁量の幅を考慮したとしても、今回の小鴨のケースが却下される理由はないのですけど。まあ、いずれにせよ、10日後を待ちましょう。
それにしても、フランスのビザセンターに申請に来る中国人の多いことといったら!僕が小鴨に、「ここで『張さん!(小張!)』(=中国でもっともポピュラーな姓の1つ)と叫んだら、3人くらい振り向くんじゃないか」と冗談を言っていたのですが、後で名前を呼ばれた人の中に果たして張さんを発見!あながち冗談でもないかも。
で、そのせいなのか分からないのですが、ビザセンター自体も各所に中国人を雇っていて、小鴨のケースでは、資料を受理する人も中国人でした。なので、イギリスでフランスのビザを申請するのに中国語を使ってやり取りするという、なんともへんてこな状況が現れたのでした。そして、きわめて無愛想なところは、中国の鉄道の駅の切符売りのおばちゃんを髣髴とさせ、「まあ、しゃーない。彼女には何らの判断の権限も与えられていないんだから」と、怒る小鴨を慰めつつ、僕もなんとなくむかついていたのでした。なんでイギリスで中国にいるような思いをせんならんのか、と。
で、極めつけは、カウンターの前で「○○さん、何番カウンターへ」と言って人を振り分けていた係員の中国人女性。もう、その顔といい、髪型といい、化粧気のない顔といい、着ている服といい、つまらなそうにあくびをしている姿といい、もう100点満点のthe 中国人でした。唯一違うところは、しっかりと英語を話しているところだけでした。
そういった中で、僕と小鴨は、日本人の顔と中国人の顔の違いってどんな感じなのか、ということを議論しました(実際、少なくとも日本人については、僕も小鴨も相当の高率で見分けることができます。)。で、僕の意見は、「中国人は、常に『自分の得た食べ物は絶対に譲らないぞ』という強い意志をかもし出している。一方、日本人は、特に戦後世代はとにかく顔がのほほんとしている」というもので、これには小鴨もおおむね同意。そう、日本人って、とにかくみんな表情が「天下泰平」なんです。日々の食糧に対する苦悩などないかのように。
いや、もちろん、実は日本人は自己の食文化にものすごく愛着(執着?)があるし、現時点で日本で起こっている事象、そして歴史的にも、日々の食糧に対する苦悩が全くないといえばウソになります。でも、歴史を紐解いてみれば、「食べ物がない」ことに対する人民の反乱が国家の存亡自体を揺るがしたこと、というのもないんじゃないでしょうか(一揆とか米騒動とかがあったにせよ)。
一方、中国における為政者の徳とは、まずもって「治水」を前提とした「食の提供」であるように思われますし(例えば堯の時代の「鼓腹撃壌」の故事や、なぜ禹が初めての世襲王朝を開けたのかという点をご想起ください。)、王朝の交代自体が農民反乱と結びついていることも1度や2度ではありません。なので、中国人(特に漢族)の顔つきが食に対する一種の「執着」と関連するとしても、それは全くおかしい話ではないんじゃないか、と思うんですよね。そして、そうでなければ、あれだけ華やかな食文化を築くこともなかったのではないか、と。
閑話休題。
その後、中華街に出かけたのですが、まあ、どうしても食事に関しては、中華街が何かと便利なので行ってしまうんですよね。結局、滞在期間の夕食はいずれも中華街で四川料理×2、日本料理(ここはロンドン価格的には安くてうまかった!)×1。もちろんここでも中国人が一杯!
中国人は、今や世界どこでも、それこそボーンマスのような田舎町ですら、しっかりと根を下ろして生活しているということをひしひしと感じます。これと対抗できるのはインド人でしょうが、インド人はまだまだ極東アジアでは根を下ろしきっていないように思われます。ともあれ、これらの人たちは、さすがに華僑・印僑、といわれるだけあります。日本人にはここまでのたくましさはないよなぁ、と(逆に言えば、国外に定住すべき必要性もなかったからか?)。
===
そうそう、今回、僕も小鴨も、それぞれ、スリに遭いかけました。僕はロンドン塔の近くで、小鴨は中華街で。いずれのケースも、おそらく中東系の二人組で、一人が監視役、一人がスリ役です。二人組は観光客を装っていて、スリ役は地図を読むフリをしてリュックサックなどのファスナーを空けて中のものを取り、おそらくその後すぐに監視役に手渡しして白を切るのでしょう。僕のケースでは、ぶつかったのではない、何かリュックが不自然に引っ張られる感覚を感じた瞬間に体をかわしたのでファスナーを空けられることはありませんでしたが、小鴨の場合には、リュックの一番外のポケットにに手を突っ込まれるところまで行ったようです。幸いにして何も盗まれはしませんでしたし、そこにはあまりたいした物も入っていなかったのですが。
ともあれ、ボーンマスの生活が長すぎて気が緩んでいるようです。上海ではいつもかばんを前に抱えると貸していたのに。ロンドンは、やっぱりスリにはご用心!特に人ごみの中は危ないですよ!
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