2011年8月29日月曜日

Bank Holiday

今日は、今年最後のバンク・ホリデーということで、学校はお休みです。
バンク・ホリデーとは、前も言ったと思うんですが、まあ言ってみれば「国民の休日」です。8月最後の月曜日に設定させるバンクホリデーは、その年最後のバンク・ホリデーということで、おそらく多くのロンドン人たちが海を求めて南海岸に出向いていることでしょう…

という話を聞いたのが、ちょうど1年前の話になります。
そうです。僕たちがイギリス入りしたのは、ちょうど去年の8月のこのバンク・ホリデーの日でした。日付は明日、30日ですけどね。
考えてみれば、北京留学時代も、上海駐在時代も、何かと用事があって1年のうちに複数回日本に戻っていたわけですから、ここまで日本に戻らなかったこと、っていうのはありませんでした。そのせいでしょうか、日本が妙に懐かしくもなったりして。

今、このころ書いたブログ(引越し前のやつね)を読み返してみました(アップされているのは引越ししたことのご連絡のみですが、管理画面でまだ保存されています。)。ここに改めて一部を引用しましょう。去年8月31日、ボーンマスに着いて最初に書いた記事です。

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日本を発つ前の夜は、自分のこれまでの越し方を思い、同時に全く足を踏み入れたことのない文化圏に行くことに対する緊張感もあり、余り眠れませんでした。
それはもしかしたら、1か月もの間実家にいたことから来る「居心地の良さ」への未練だったのかもしれません。
ともあれ、今は小鴨と話す以外は英語しか使えない環境で、怪しげな英語を使いつつなんとかしのいでいます。

ヒースロー空港に到着してすぐ迎えの車に乗ったのですが、空港の敷地のすぐ周りの草地では羊が草を食んでいました。そして、ボーンマスまでのハイウェイは、果てしなく続く緩やかな丘陵の中を進み、周りは畑や森が延々と続いていました。高い山や高いビルがないせいか、空もとても広く感じられます。
これがイギリスなんだなぁ…


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改めて読み返すと、あのころの緊張感や胸の高鳴りといったようなものが、昨日のことのように思い出されます。上にも書いているように、ヒースローからボーンマスに向かうハイウェイ、否、モーターウェイ(←イギリス英語風。…これも進歩の証?)から見たあの青い空、白い雲、緑の牧草地の風景は、おそらく一生忘れることがないでしょう。

それから1年。英語の勉強を中心にしつつ、いろんな人と知り合い、生まれてはじめての、そしておそらく今後二度とないであろうルームシェアを経験し、イギリスの暗く長い冬の夜を越え、酔っ払いながらもIELTSでようやく大台に乗せ、フランスとイタリアにも旅行し、また夏が訪れ、ロンドンに引越し、そしてpresessionalが始まって…そして今に至るわけです。
その間で、少し変わったことといえば、英語を話し、また英語を読んだりすることに昔ほどの抵抗感がなくなったことかもしれません。まだまだ不十分ではありますが。

長かったのか、それとも短かったのか…?

ともあれ、2年計画のイギリス留学は、これでちょうど半分ということになります。折り返し点です。
マラソンで言えば、これからが山場。これからも僕の生活を考えれば、まさにそのとおりだと思います。でも、それを越えたときの達成感も、またきっと格別なものなのでしょう。

とにかく、これからの後半戦、充実したものとしたい、と思わずにはいられません。

2011年8月27日土曜日

エッセイを書き終わって

昨日、presessionalのメイン課題の1つ、1500語エッセイのファーストドラフトを書き終えて提出しました。
まあ、モノを書くこと自体は、僕のこれまでの仕事と同じことなのでそれは良いのですが、今回大変だったのが「英語で書くこと」もさることながら、「文献探しの方法論が確立できなかった」ことのように思いました。

まあ、大学には結構ちゃんとした文献検索システムがあるのですが、まだそれを完璧に使いこなせているとはいえませんし、たくさんの生徒が同じ課題をしているためか、借りたい本があっても既に貸し出し済みという状況もしばしば。加えて、やっぱり英語の文献から必要な情報を引っ張り出す能力もまだまだだめだなぁ、と反省することしきりです。
で、根本的な部分で出典が見つからずうだうだ悩んでしまうのは僕の上海時代からの悪い癖、というわけで、先週は検討やドラフトに集中するために生活がかなり不規則になってしまいました。夕方に寝て深夜起きてそのまま朝までとかね。10台や20台ならばそんなこともたいしたことがなかったのですが、齢30後半ともなると、どちらかといえば規則正しい生活を送らないと影響が何日か残ってしまいがちになりますので、余りやりたくなかったんだけど、仕方ありません。

ともあれ、ファーストドラフトを書き上げたところでかなり開放感に浸ってます。当然今後の作業としてはリバイスをしてファイナルに持っていくわけですが、それ自体はファーストドラフトの苦しみよりははるかに楽なんでしょう。

…というわけで、今日はめでたい土曜日でした。
家でゆっくり、とはじめは思っていたものの、やっぱりちょっと外の空気がすいたくなり、夕方に食事にでも行こうか、ということになりました。でも、二人の食べたいものの志向がなかなか一致せず、僕が一番行きたかった場所が地下鉄工事中で運休中&余り夕方行くのはあまりよろしくなさそうなエリアだったこともあり、あれこれ悩んだ結果は…

…定番の中華料理。それも四川料理。
苦しいときの神頼み、ならぬ中華頼み、ですな。トホホ・・・。


2011年8月21日日曜日

カウンターテナー

今日は、気晴らしにカウンターテナーにまつわるつれづれを。

カウンターテナーという男声パートは、日本では米良美一が「もののけ姫」を歌って一躍有名になったので、「ああ、あれね!」とピンと来る方も多いことでしょう。で、これを使えば、女声のアルトに対応する声域が出せるという、至って便利なものなのですが、合唱の世界でなかなかメジャーな地位が得られないのは、いささか残念なことです(特に日本では、いわゆる「典型的な」男声合唱の曲や声にはカウンターテナーの音が合わないからなのかもしれません。これはあくまでも憶測ですが。)。

ところがどっこい、僕が大学生のころに入っていた男声合唱団では、団員はそれぞれ実声パートで4声いずれかの「本籍」を持ちつつ、カウンターテナー対応可な団員については、それを必要とする曲(例えばミサとか)のときにカウンターテナーを歌う、というシステムがあったんですよね。で、僕も一時期カウンターテナーをやったことがありました。
まあ、この声、僕にとってはやっぱり実声とは違う難しさがあったような気がしましたね。僕の発声方法が悪かったのでしょうが、例えば夏合宿で連日10時間近く練習するなんてことがあった場合には、カウンター声は数日で簡単につぶれてしまったりするんですよ。その上、音域に合わせて胸声や頭声をより意識して使い分ける必要が(僕には)あって、その方法論などを先輩から教えてもらったり、また、仲間と情報共有したりしたものでした。で、「頭のてっぺんの髪の毛3本を真上に引っ張る感覚」の発声でEs辺りの音がするっと出せたときの快感ってのは格別なものでした。

カウンターの音域は、普通は大体EsやEまでかな。遊びでクレマン・ジャヌカンのあるシャンソン(「女のおしゃべり」っていう下ネタ満載の面白い歌です。シャンソンとはいっても、三輪明宏が歌うようなやつじゃなくって、小気味のいい合唱曲です。)を歌ったときにFまで出す必要がありましたが、これはきつかったですね。おそらくちゃんとした発声にはならなかったと思います。まあ、これはあくまでも「遊び」だったからよしとして。
あと、僕の問題は、実声パートがトップテナーだったこと。だから、カウンターで出すべき低めの音は、僕にとってはもともと実声で対応可能なものなんです。なので、ファルセットを下まで出せるようにするのと同時に、実声からファルセットへの移行を自然にする方法などを自分で探したりしたっけ。

でもねぇ、大学卒業以後は、カラオケ行ったときのネタで「もののけ姫」や「天城越え」をやるときくらいしか使わなくなりました。それ自体のウケは決して悪くなかったのですが、そのおかげか逆に必ずそれを歌わされることが多くなったりして、僕は、すっかりカラオケ嫌いになってしまいました。で、歌うとしてもマイクのエコーなどを使ってごまかすような声を出していたこともあり、今では発声もすっかりさび付いちゃいました。大学のころ感じた「頭のてっぺんの髪の毛3本を真上に引っ張る感覚」などどこにもありゃしません。せいぜいその辺りの毛100本位をあちこちに引っ張られるような声かな。何かのども詰まっているような感覚もあるし。

まあ、もはやまともに出せることもなくなったカウンターテナーですが、聞くのはやっぱり懐かしくもあり、また楽しいものです。おまけにここイギリスは、カウンターテナーの歴史を細々と伝えてきて20世紀に復興させた国。きっとどこかでカウンターテナーを使った演奏会などやっているはずなのですけどね、僕が探すのに不精気味で。でも、機会を見つけて聴きに行きたいなぁ、本場のカウンターテナーを。




2011年8月20日土曜日

1週間が過ぎて

月曜日から始まったpresessional、それこそ大学卒業以来(?)の約1時間かけての通学に加え、環境に慣れきれず、また、周囲の学生の英語レベルも語学学校時代とはまた違う(より法学部生っぽく「できる」)こともあり、ついていくのも決して容易ではなく、金曜日にはもうヘロヘロ。授業自体も9時半から4時半まであるし…(語学学校は午前のみ、又は午後のみだったので、同じようなものだと高をくくっていたのが間違いでした。)。

来週末までにエッセイのファーストドラフトを提出する必要があるため、資料の読み込みなどをせねばならないのですが、今日は少し気を抜こうと思って、小鴨と街に出かけました。でも、その分明日はしっかりと勉強せねばなりません。まあ、それ自体は特に苦痛ではないんですけどね。今のところは。

で、今日の昼に実家に電話をかけたら、日本はちょうど夜の時間で、「今からすき焼き~♪」との母親の声が。夏にすき焼きとか鍋を食べるのもまたオツなもので、僕もものすごーく食べたくなってしまいました…
…というわけで、今日の街歩きの締めは、ピカデリー・サーカス近くの三越の地下1階のレストランですき焼き!!この国ではそもそも牛肉を霜降りに肥育する、なんて概念があるわけがありませんので、肉自体はやや硬めだったかな。それでも久しぶりのすき焼きに僕も小鴨も大満足:)

明日は勉強の日。今日しっかり食べた分、粗食に努めつつ、穏やかに1日を過ごしましょうか。



これは、僕の通っている大学の事務棟(のようなもの)。
でも、地下1階には教室がいくつかあり、僕はそこに通っています。
大学のロケーションは、東ロンドンのMile Endsというところにあるので、周囲は割とインド系(?)などなどの移民が多いところではありますが、まあ、大学からMile Endsの駅までの間については、特に危険のようなものは感じません。


この大学は、ロンドンの大学では非常に珍しいキャンパス形式です。で、これはキャンパス内の図書館。これからpresessionalの期間は、非常にお世話になることでしょう(僕の通う大学院は、このキャンパスとは別のところになるので、その後はそう頻繁には来なくなるでしょうが。)。外もきれいですが、中(特に1階)もなかなかのものです。

早く自分自身がこの環境に慣れなければ、と思うのですが、まあ、あせっても仕方ない話ですよね。とにかく自分のやるべきことをやるだけなのでしょうね。

2011年8月14日日曜日

プータロー生活最後の日

明日から、とうとうサマースクール(プリセッショナル)の英語コースが、僕の行く大学で始まります。
1か月半に及んだプータロー生活も、今日が最後です。

まあ、この間、本当はもっと英語の勉強をしなければならなかったのですが、甘きに流れるのが人の常、とりわけ僕はとりわけ「尻に火がつかないと動かない」タイプ。英語の本を読んだり新聞を読んだりニュースを聞いたりは折に触れてしていたものの、体系だった勉強はうーん…といった感じ。
特に8月に入ってからは、よく考えれば昨日のNの帰国まで、入れ替わり立ち代り友達が来て、連日何やかやとアテンドしていたので、疲れていないといえばさすがに嘘になります。

というわけで、今日は、心静かに明日を迎えるべく、食料品の買出し以外は家にじっとしていました。

昨日、同業者で同じ大学に行く予定で、既にプリセッショナルに参加している人から連絡がありました。聞くに、ほかにも同業者の日本人留学生の知り合いがちらほらいるとか。
そういった状況は当たり前の話ですし、職業柄、人脈を広げるというのも、いわば留学中の重要なミッションの1つであるわけですが、その一方で、人と交わるのもなんだか億劫だなあ(特に日本人と)、とも思ったりしました。正直な話。

でも、どうしてそう思っちゃったんだろう?
この業界、目立ったもの勝ちというところがあって(特に渉外的分野において)、ガツガツとしたタイプの人が多いんですが、あいにく僕はそういうタイプではない(たとえそういう世界においても、「ささやかな幸せ」のようなものを求めるタイプ)こともあり、ステレオタイプ的同業者に対する本能的な防衛本能なのかもしれません。
…まだ見ぬ人々なのに、失礼な話ですよね、これって。

まあ、いままでもそうであったように、僕はそれでもそれぞれの集団の中でマイノリティながら親しい友人は作ることができているので、それを信じつつ、このような失礼な「先入観」を抜きに飛び込んでいかないと、と思う次第です。
そして、それと同時に、やっぱり今までの自分のスタンス(特に大人になってから以降)というのに固執してもいけないんだろうな、とも思うんですよ。子供のころの自分自身がそうであったように、(決してガツガツはしないものの)いろんなことに積極的になっていかないと、ってね。何につけてももっともらしい理由をつけて、実は面倒臭がりになっている自分を変えなければなりません。

そうでなければ、卒業してからの「次のステップ」に進めなくなるはずだから。もし変わらなければ、「終わりなき日常」を過ごすことを余儀なくされそうだから。

今、こうやって、基本的には閉じた空間であるものの、フリーアクセス可能なこの場所でこのように述べた限り、これまでのだらりとした生活をこれきりにしたいと思います。

明日からの僕、ニューバージョンでいきますので、そこんとこ夜露死苦!

2011年8月12日金曜日

ロンドンの暴動

ロンドンの暴動は、日本でも大々的に取り上げられているようですね。
もちろん、こちらでも連日ニュースになっていることは言うまでもありません。
こういう事件が起きるということは、どこかの日本語メディアでも書いていましたが、イギリスの抱える本質的な病巣(民族間の軋轢、若者の問題、失業問題etc.)は結構根深いと感じずにはいられません。

で、僕も小鴨も無事でやってますよ。
何人かの方から、facebookその他のルートで「大丈夫ですか」というメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。

まあ、少なくともロンドンに限っていえば、基本的に、暴動が起こっている場所というのは、そのほとんどが、そもそも以前からロンドンでも治安の悪い場所として知られた場所だったこともあり、僕としても状況を静観するスタンスでいました。
でも、ロンドンってのは、通り一つはさんで治安のいい場所と悪い場所とがある、なんてことはごく普通のことですし、今回は、イーリングとかノッティング・ヒルといったような、治安がいいと呼ばれた場所にもギャングが出張してきたようですから、うーん、ちょっと困ったな、というのが正直なところでもあります。

まあ、危険な場所にはそもそも立ち入らず、そうでない場所でも深夜はふらふら出歩かない、というのが最善の防御策なのでしょうね。これに関してはちゃんと実践していますので、ご心配なく!





2011年8月7日日曜日

マンマ・ミーア!

今日はたまっていた分、ブログ記事3連発です。

ケンブリッジに行った翌日の夕方、今度はロンドンミュージカル初体験としゃれ込みました。
僕はこれまでミュージカルてなもんに特に興味はなかったのですが、聞くところによれば、ロンドンは、ニューヨークのブロードウェイに並ぶミュージカルの本場だとか。確かに、コヴェント・ガーデン~レスター・スクエア~ピカデリー・サーカスを結ぶエリアには、ミュージカルシアターがあちらこちらとあり、夕方ともなれば本当にたくさんの人がそういったシアターに足を運ぶ姿をこれまでも眼にしてきました。

で、7月の中旬、もとハウスメイトのドイツ人のS嬢がロンドンに来たとき、たまたま小鴨がレンタル屋から借りてきた「マンマ・ミーア!」の映画版を見てみんな感動して、それじゃあミュージカル版も見に行こう!ということになったのです。でも、S嬢滞在中には(高いチケットしか残っておらず)実現できませんでしたが、C嬢がロンドンにやってくる時期の舞台で一人27ポンドのチケットをゲットしたので、今回の観劇となったのでした。

で、内容なんですが、きっと映画で予習していたからでしょう、英語で語られるストーリー展開も理解できてとても面白かったですし、歌われるABBAのキャッチーな曲もわくわくさせるものでした。そして、映画版とは異なり、舞台という制約された場所で、見事に「ギリシャのエーゲ海に浮かぶホテル」という情景が表現されていた舞台設計にも感心しました。
で、一旦ストーリーが終わったその後は、Dancing QueenなどなどのABBAメドレーライブが!と、観客が一人、二人と立ち上がり、最後は総立ちになり、中には踊りだす人も!舞台と観客が一体となって本当に楽しかったです。2幕構成でインタミ15分込みの2時間半という時間が、ほんとあっという間という感じでした。

…そして、ミュージカルがハネた後、C嬢、小鴨、そして僕のそれぞれが気がつけばミュージカルで聴いたABBAの曲を口ずさんでいたのでした。

まあ、マンマ・ミーア!は、ストーリー自体が分かりやすいですし、音楽もノリノリで、誰が見ても幸せになるミュージカルである、ということはあるのですが、それを差っぴいても、ミュージカルってのは面白いものだな(僕にとっては、映画よりも面白いような…)、と感じました。
こんなに楽しいものならば、せっかく学校もここからそう遠くないこともあるので、これからもいろいろなミュージカルを見てみたいな、と思ったのでした。

…でも、そう考える人は少なくないようでして、特にロングランを続けている人気のミュージカルは、なかなかチケットが取れません。でも、頑張って見てみよう!

学問の都にて

C嬢滞在中の先週日曜日、みんなでこれまで行ったことのない場所に行こう、ということになり、選んだ場所はケンブリッジ。いわずと知れた「学問の都」ですね。

ロンドンからケンブリッジまでは、最速で45分という列車があるようなのですが、日曜日には都合の良い時間にそのような列車はなく、結局、リバプール・ストリート駅発の郊外電車の延長のような列車で1時間20分ほど揺られたのでした。まあ、ちょうど、上野から高崎にいくような感覚かもしれませんね。

ケンブリッジ大学に限らず、イギリスの少なからぬ大学は、日本の大学を引き合いに出して考えるとそのシステムはいまいちピンとこないものがありますが、まあ、それぞれが日本の大学の規模を有するカレッジの集合体としてのユニバーシティがあり、「ケンブリッジ大学」とは、あくまで「ユニバーシティ」を指すわけですね。というわけで、ケンブリッジにはいくつものカレッジがあり、それがいずれもどっしりとした歴史を持って我々を迎えてくれます。


セント・ジョーンズカレッジ。
うーん、重厚感たっぷり。


で、このカレッジで有名なものといえば、このケム川にかかる「ため息橋」。
でも、このため息橋、別に道ならぬ恋に悩む学生がため息をついたとかいうロマンティックなものではなく、ただ、学生が試験を受けるために寮(写真左手)から学校(同右手)に行くときの「あ~いややなぁ~受けたくないなぁ~」という気持ちを表現したものとのこと。この俗っぽさがまたよし。

この日は、ニュートンやホーキングもいる(いた)というトリニティ・カレッジは対外開放されていませんでしたが、もう一つの有名なカレッジであるキングズ・カレッジにも足を運びました。


カレッジの中の教会。いや、とにかく立派でした。


で、こちらが校舎。とにかくこちらも重厚感あふれて、アカデミックなにおいがぷんぷんです。

ケンブリッジといえば、ケム川を小船(パント)で下るというのがハイライトの1つ、ということでしたので、乗ってみましたよ。川から見る各カレッジの風景もまた一興。


上で紹介した「ため息橋」を川から見たところ。船は、この写真にあるように、漕ぎ手が棒を川底に突きながら進めてゆきます。
この写真では分かりませんが、僕たちの船の漕ぎ手は20代前半の元気のいい女の子。もしかしたら大学生のアルバイトなのかもしれません。


この建物などは、中世以来のもののようです。左側の建物の窓が小さいのは、窓の大きさによって税額が決まる「窓税」というのが当時あって、それを極力逃れるためなんだそうです。


でも、この日は、日曜日ということもあり、ケム川は観光客を乗せた船で一杯!船同士がごんごんぶつかるのはしょっちゅうです。特に、観光客が自分で漕ぐタイプの小船は、漕ぎ方が下手なせいであらぬ方向に進んだり、川の流れに対して直角になったりと、渋滞を一層激しくする要因になっていました。


他の多くのイギリスの川と同じく、ケム川にもたくさんの小鴨の親戚が!
船に乗ると、それこそ水鳥たちと同じような目線で風景を見ることができるのが新鮮です。

街には、こんな人も。
いや、パフォーマンスとしては十分人目を引くので「あり」なのでしょうが、臭くないかなぁ、ゴミ箱の中。

まあ、こうやってケンブリッジを1日楽しんだわけです。
で、僕は、これから大学に通うということもあり、この学問の薫り高きこの街がとても魅力的に思いました。ここにいれば、きっと歴史の重みの中で学問に打ち込むことができるんだろうな、って。
…でも、これまで社会の中で実務家としてやってきた立場としては、このように「学問的に純化」することについてどことなく抵抗を感じちゃうんですよね、正直なところ。というのも、僕がこれまでに扱ってきたもの(そしてこれから勉強をしようとするもの)は、常に社会のダイナミズムに左右されるものということもあり、自分自身がそういった空気を常に肌で感じていなければ、たとえすばらしい教授がいようとも自分の身につかないのではないか、と思うから。逆に言えば仮に僕がもっと別の分野(うーん、例えば文学とか?)ならば、こういった学問の都でじっくり腰を据えるってのは、十分ありだと思うんです。
まあ、そういうこともあり、また、僕の行く大学の近くあたりをふらふらしながら、今の僕にとっては、ロンドンで学ぶ、ってのは、いい選択だったのかな、と改めて(自己満足ながら)思ったのでした。
…生活費は格段に高いけど(T_T)

友あり、遠方より来る

先週1週間は、もとハウスメイトの台湾のC嬢が来ていて、木曜日の台北行きのフライトまでの時間をうちで過ごしていました。まあ、普通なら、これで木曜日にC嬢と「在亚洲见!」で済むところなのですが、そうは問屋はおろさないのがボーンマスで出来上がった人間関係のなせる技。なんとまあ、C嬢ととても仲の良かった(というか、この数か月でものすごく親密になった)例のスイスのE嬢が、C嬢を見送りに来る、というただそれだけのために、ご主人(Jさん)まで連れてジュネーブから飛んできたのです。
で、E嬢の希望でサプライズ演出となったわけですが、C嬢はC嬢で感動で目がウルウル。自分の嫁にもサプライズをしない現実主義日本男児な僕からすれば、うーん、ド派手な演出やなぁ、と思わないわけでもありませんでしたが…。まあ、女性は、こういうのがきっと好きなんでしょうね。特にE嬢はこれまで僕があった中でも最強レベルのロマンチストなわけですし。

そして、C嬢の帰国後、E嬢とJさんは更に2日間ロンドンをエンジョイし、今日(日曜日)の朝早く、スイスに帰っていきました。かくして、1週間以上お客様をお泊めした我が家に、改めて(ようやく?)静謐が訪れたのでした。
うーん、それにしても(肉体的にも、精神的にも)疲れた!というわけで、今日は僕も小鴨も部屋に終日引きこもり、食事もあっさりしたものに終始しました。

で、僕の方はというと、これに加えて僕の同業の友人が家族を連れてこれまたロンドン入り。友人が家族から解放された土曜日の午後のひと時をパブで過ごしました。この友人とは、去年の祗園のお茶屋以来なのですが、さして変わらぬ姿を互いにけなしつつ安心もした次第。そして、これからの我々―この業界の中でもやや特殊な分野を志向する者たち―のあるべき方向性からプライベートの話までビール片手に話し込んだのでした。…しっかし、彼も僕も「普通の人生」を送っていないなあ…。

という感慨もつかの間、明日からは、僕の高校以来の友人(以前このブログにもユーミン党としてご登場いただいたN)がロンドン入りします。まあ、このNもNで、世間の人から「あらもったいない」といわれてしかるべきな「普通の人生からの逸脱」を過去に経験した上で今の彼があるわけです。類は友を呼ぶのは、おそらく本当なのでしょう。
ともあれ、Nのキャラ&職業柄、ヲタ心くすぐる文化の薫り高き場所&酒の飲める場所に訪問することになるのでしょう。今はバンコク経由の機中の人であるNを、しっかりと出迎えるつもりです。

かくして、プータローライフ in Londonの最後の2週間は、あわただしく既に過ぎ、そしてこれからも過ぎていくのでしょう。
来週が、最後の1週間。

…あ、そうそう、ごたごたあったビザ申請については、先週の月曜日「下りたよん」との連絡があり、2日後、新しいIDカードが手元に届いたのでした。これで僕も小鴨も正々堂々とイギリスにいることができるようになりました!