2011年11月27日日曜日

マカオのカジノ

大王製紙の前会長が特別背任で逮捕された、というニュースは、僕にとってもいろいろ興味深いところがあります。

もちろん、それは法的意味においてもそうなんですが、そんな堅苦しいことはこのブログにはなじまないですよね。
それよりはむしろ、借りたカネの使い道。


マカオのカジノで90億円!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111126-00000994-yom-soci


いや、非常に他人事として考えれば、この前会長、実に「男前」ですよ。
いまどきギャンブルにここまでつぎ込むなんてこと、普通の感覚じゃじゃなかなか思いつきませんからね。
一晩に5億ぶち込んだことがある、っていう話に至っては、そもそもどうやったらそこまでぶち込めるのか、とむしろ不思議にすら思うくらいです。


僕も、マカオには何回か行ったことがあり、そうなれば、カジノはもう「必然」のコースなわけです。
特にここ数年は、大規模なカジノがいろいろできたこともあり、そんなカジノのはしごなんてのも乙なものです。おまけに24時間営業!いつでもギャンブルができちゃいます。
そんなマカオの爛れた雰囲気というか、堕落した人間の欲望が街に漂っている雰囲気が、僕は好きなんです。

ま、こんな偉そうなことをいうものの、カジノでは、もっぱら大小とブラックジャックばっかりです。つまり、堅実にやれば勝率を五分五分に持ち込める「安全」なギャンブルです。実際、2009年の年末に大小でバカヅキした以外は、ほぼ収支トントンですし、投下資本自体も大したことありません(たとえ全部すったとしても、「あー、1日この雰囲気で適度に遊ばせてもらったな」と納得できる程度の額です。)。

でも、カジノの中には、そんな「お遊び気分」ではない人たちがいるのもまた事実。
特にバカラ(百家楽)のテーブルには、そんな「マジ」な雰囲気が濃厚なように感じます。

話によれば、バカラが一番ギャンブルとして面白いのだそうですね。でも、僕は、幸か不幸かバカラのルールを良く知らないので、ギャンブラー(もはや「博徒」!)たちが真剣なまなざしでカードを見つめる濃厚な雰囲気を横目に、ただ通り過ぎているだけです。

ところで、大王製紙の前会長殿は、マカオではバカラの高額テーブル(つまり、賭け金の最低額が高額に設定されているところ)におられたとのこと。これはもう、前会長殿が遊びを越えた「マジ」なギャンブラーであったことを如実に示すものではないか、と思うのです。

高額テーブルの賭け金最低額がいくらかちょっと忘れましたが(HK$500とかHK$1000とかかな?いや、本当のVIP席ならそんなはした金ではないかもしれませんね。)、僕などは、賭け金最低額がHK$100(まあ、1000円ちょっとくらいかな。今だと。)の「普通の」テーブルでチップを出してベットするだけでも「おえー、このチップHK$100なんだよな。成都ではタンタン麺30杯は堅いよな」なんて考えてしまうわけです。

…いや、これは、やっぱり小市民的発想なのかなぁ。特にタンタン麺換算をしてはいけませんな。

でも、実際問題恐ろしいのは、カジノにしばらくいると、HK$100のチップが次第に1円以下の価値に思えてくることです。つまり、チップは、それが表章するべき金銭的価値を失って、単なるプラスチックの円盤に見えてきてしまうのです。ちょうど、パチンコ屋でいうパチンコ玉のようなものですね。なので、負けが込んでもその場では余り痛みを感じず、更にお金をつぎ込んでいってしまう人の気持ちも分からないわけではありません。カジノのあの雰囲気は、確実に人間をそういった堕落の世界に導いてくれます。
僕は、そこをタンタン麺換算法を駆使することにより、なんとか理性を保っているわけです。なので、やっぱり1杯3元ほどの成都のタンタン麺に感謝をしなければなりませんねちとしつこいか?


タンタン麺はさておき。

それにしても、帝王学を学んだ大企業の創業者一族の御曹司ともあろう人が、何でマカオのカジノだけで90億!と思うかもしれませんが、もしかしたらそういう御曹司だからこそ、あの堕落した雰囲気に身も心もどっぷり飲み込まれてしまったのかもしれませんね。まあ、そうだからと言って、彼をかばうつもりも全くありませんけど。

一方、御曹司ではない僕としては、昔水戸黄門で見た、風車の弥七が堵場のシーンで見せた粋な姿(「うーん、今日はついてねぇや、ここで切り上げるぜ!」的なセリフと共に)を見習いたいものだな、と感じたのでした。適度に遊んで適度に切り上げる、ってやつですな。

「男前」な遊びは、決して「粋」ではないわけで。
僕の目指すべき方向は、「男前」な遊び人ではなく、「粋」な遊び人!

2011年11月23日水曜日

霧のロンドン

このところ、ロンドンは、朝に霧がかかる日が多くなりました。

こう書くと、「あら、『霧に包まれたロンドン』なんて素敵♪」なんて思う方がおられるかもしれませんね。で、それはそれで確かにそうかも、と思うんですよ。霧と言ってもまあどちらかといえば靄のような感じですので、交通に格別支障が生じるわけでもありませんし、加湿器の中にいるような感覚も、僕個人はそう悪くはないな、と思ってます。

それでも、やっぱりこんな気候は嫌だな、と思うのは、、、。

…このところ、洗濯が生乾きになりがちなんですよ。特に厚手の服(室内着のトレーナーなど)がどうやっても生乾き臭が残ってしまい不快です。

ロンドンでは、洗濯物は外で乾かせず(不動産屋曰く、「やってはいけない」のだそうです。)、やむなく室内で乾かすわけですが、折からの気温低下に湿度の上昇が相まって、乾きにくさに拍車がかかっているのです。で、家の中は比較的暖かいとくれば、雑菌どもが元気に活動するのはもはや当然の成り行きというわけで。

まあ、この問題も、暖房を入れるようになれば解決するのでしょうが、節約生活の中、今のところは暖房なしでやってこられていることもあるので(結構この家、構造上暖かいようです。)、生乾きとのたたかい(←こう書くと、なんか胡散臭い左翼団体のスローガンのようで、いとをかし。)はしばらく続きそうです。

2011年11月21日月曜日

休講

月曜日というのは、僕にとっては授業が午前と午後と2コマあることもあり、一番憂鬱な日です。2コマあるということは、事前に2コマ分の予習が必要ということですからね。加えて、2つ講義場所はホルボーンとバービカンといった具合に異なるので、間の4時間で昼飯を食い、かつ、移動をしなければならないのですが、この4時間というのがなんともビミョーな、中途半端な時間なんですよ。

12時に午前のコマの講義が終わったら、大体その後の30分か1時間は、来週の同じ講義のreading assignmentを検索してプリントアウトします。そして、その後どこかで昼飯ということになるのですが、基本弁当持ちの僕としては、食べる場所を探すのに一苦労。というのも、ホルボーンの建物は飲食禁止ですし、バービカンはバービカンで同じような感じ。外で食おうにもこの季節はさすがに寒く、そんなところで冷えた弁当を食べるほど侘しいことはありません。唯一まともに食べれらるところは、ラッセル・スクウェアの図書館の地下一階のカフェなのですが、そのためだけにわざわざ足を向ける場所でもありませんし、ついでに勉強するにしても、次のバービカンでの講義のための移動と自らのスロースターターぶりに鑑みれば、実質1時間程度しかないので、これも中途半端。

まあ、うだうだ書きましたが、結局今日は1時頃ホルボーンを出て、バスでバービカンの近くまで移動、キャンパスの中のカフェ(どうも持ち込み禁止のところ)でこそこそっと昼飯を食べた次第。その後はスマホでメールやネットをチェックしたり、ちょっと次の授業の予習をしたりして、3時40分頃に教室に移動です。

しかし、だーれもいません。
まあ、この講義の担当の教授は、開始時間が大体4時15分から4時半の間になるので、これ自体は特に不思議ではありませんでしたが、4時を過ぎても学生の数がいつもより妙に少ないのに「をや?」と思いながらも、ちょうど久しぶりに会った中国人の女の子とはじめは英語、その後は中国語で雑談をして、自分自身の余りの中国語の「退歩」ぶりに愕然としていました。

…と、隣のいつも一緒にこの講義を受けている日本人の方がiPadで大学のサイトを確認して一言。



「…あ、今日授業ないみたい。」



ガーン!!!


・・・その発表は、土曜日にあったもののようでした。それに、目立たないところに通知がアップされていました。
なんかとっても時間を無駄にしたような感じがして腹が立ったものの、まあ、久しぶりに中国語の練習ができてよかったかな、とも感じつつ家路に着いたのでした。

2011年11月19日土曜日

チヌ

その昔、大阪湾は「茅渟(ちぬ)の海」と呼ばれていたそうです。
で、そこでよく獲れたからでしょう、関西ではクロダイのことをチヌというのですが、このことは、釣りをやったことのある人なら一度は耳にしたことがあるんじゃないか、と思います。

まあ、このチヌは釣りの対象としてもなかなか面白いヤツで、僕も子供の頃(大体中学生の始め頃くらいまで、かな?)、叔父に連れられて(いや、叔父に無理にくっついていって、が正確なのかもしれませんが)、大阪南港にチヌ釣りに出かけたりしたものです。僕自身は大した腕もなかったのでそんなに釣ったわけではありませんが、20センチを越えてくるとそれなりにぐいぐい引いてくる感覚は、今も忘れずにいます。

***

昨日、小鴨がチャイナタウンで「何の魚か良く分からないけど、とりあえず魚を買ってきた」と言いました。中華料理でよく使う魚といえば、川魚ではコイ、ソウギョ、レンギョ、ナマズといった辺りですが、どれもあまりイギリスで手に入りそうにも思えません。一方、海魚といえばハタの類(いわゆる「○○斑」と名前の付く連中…基本的に高級魚)、イシモチ、スズキ、イシビラメ(多宝魚)辺りが中華食材としてメジャーなところですが、小鴨がその名前を知らないとなれば、これらの魚でもなさそう。
まあ、その日は、特に現物を見ることなく終わりました。

そして今日。6時にバービカンでの講義を終えての帰宅途中、何度か小鴨に電話すれども返事なし。と、向こうからコールバックがあり、曰く、「今魚と格闘している~」。なんで死んでる魚と格闘せんならんねん、と思いつつ帰宅すると、キッチンにご鎮座ましましておりましたのは、30センチ超のチヌでした。で、小鴨が格闘していたのは、はらわたをとる作業だったようです。

ところで、日本ではチヌは刺身や塩焼きで食べるのが普通だと思いますが、小鴨が作るとやっぱり中華風。チヌ君は、その後、紅焼となったのでした(紅焼というのは、言ってみれば醤油だれの蒸し煮のようなものとご理解ください。)。

処変われば品変わる。今夜は、チヌの紅焼+肉団子冬瓜スープ(冬瓜肉丸湯)+青島ビールで夕食と相成りました。最初に焼き目を入れるときにチヌの皮がはげてしまった+尻尾がない(というか、大きさがフライパンに合わないと言って、小鴨が折ってしまった!)のはご愛嬌。
もともと淡白な身は紅焼の醤油だれになじみやすい上に、ねぎ・しょうが・唐辛子のおかげで臭みも取れており、お味はなかなかのものでした!


2011年11月15日火曜日

桃夭

月曜日は、授業が午前と午後の2コマある上に、特に午前の授業の予習が結構大変なこともあり、加えて翌日は授業がないということも相まって、夕方7時頃帰ってきたら気分は完全に週末モードです(その代わり、日曜日は勉強をせざるを得ないので、「週末」という感覚もいまいちとなっています。)。

ともあれ、今夜は夜に勉強する気がなくなったので、雑談を少々。

桃夭。
高校の漢文の教科書で出てきた、詩経のなかでも特に有名な詩です(しかし、漢文ネタを書くとき、ネタ元が高校の漢文に由来してしまうのは、自分自身の教養と発展のなさをさらけ出していて恥ずかしいのですが。)。
僕自身は、「老子」、「荘子」(これらは、僕の思想のバックボーンになってます。)に加え、詩なら唐詩が好きなのですが、この桃夭をはじめて読んだとき、思わずハッとしたことを今も覚えています。

この大らかさは何なんだ!
この桃(=嫁ぐ娘)の瑞々しさは何なんだ!

って。

このような感覚は、万葉集の歌を読んだ時に感じたものに近いのかもしれません。
決して高度に洗練されていないけれども、人の心が素朴に素直に短い言葉で表されている。そして、それが美しい絵にすらなる…。
人、というのは、もともとこういうものだったのかもしれません。

というわけで、ちょっと2つを並べてみましょうか。
まずは、桃夭。

桃夭

桃之夭夭  桃の夭夭たる
灼灼其華  灼灼たり 其の華
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其室家  其の室家に宜しからん




桃之夭夭  桃の夭夭たる
其実  (ゆうふん)たり 其の実
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其家室  其の家室に宜しからん




桃之夭夭  桃の夭夭たる
其葉蓁蓁  其の葉 蓁蓁たり
之子于帰  之(こ)の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ
宜其家人  其の家人に宜しからん


じゃ、万葉集は、一番最初の雄略天皇の長歌にしましょうか。

泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代 大泊瀬稚武天皇
天皇の御製歌

籠(こも)もよ み籠(こも)もち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ座(ま)せ 告(の)らめ 家をも名をも

あと、ついでにもっと有名な柿本人麻呂のこの短歌も。

東(ひむかし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ


うーん、どちらも劣らず美しい!
歌(詩)の世界に心が解き放たれる感じすらします。現代人がすでに失ってしなった「何か」を、彼らは持っていたのでしょう。

…2001年から2002年、僕が北京に留学していたとき、中国は大ジャンプをする直前だったような気がします。そして、僕がそのとき出会った中国人は、みんな自分たちの未来を信じて前に進もうとしており、それが僕にはまぶしかった…。「日本人が失った『何か』をこの人たちは持っている」ってね。

そして時は過ぎ、2011年。チャイニーズ・ドリームを実現した人たちは、日本じゃ想像も付かないような豪華な家を建て、外車を乗り回し、海外旅行に出かけてブランド品を漁っています。
…でも、僕が10年前に見た「日本人が失った『何か』」は、「そういった人たち」には見られなくなっています。これじゃ、中国は、日本が通ってきた道をただ後追い(ま、それもド派手な形で、ではありますが)しているだけじゃないか、と感じずにはいられません。とすれば、その先にあるものは推して知るべしです。きっと「そういった人たち」は、もはや桃夭を読んでも何にも感じなくなっているのかも(中国の中学生や高校生は、この詩の何たるかよりもこれを丸暗記することに熱を入れてそうだし…。それは、いわば「『そういった人たち』予備軍」ともいえるでしょう。)。

これが社会の発展のモデルならば、人間として余りに悲しいではありませんか!
とはいえ、このような時代に生まれてきてしまった以上、そういった時代の流れにシンクロさせていかなければならない面があることも事実。それでも、その一方で、こういったものを美しく感じることのできる「感性」、ないしは「心」を決して失いたくはない(そして、それがいつかきっと新しい価値観の源になるはず)、と改めて思ったのでした。

2011年11月12日土曜日

キュー・ガーデンズ

僕は、いわゆる中高一貫校に通っていたわけですが、中三のころから、友達の誘いで園芸部なるものに(ほとんど形だけですが)所属していました。まあ、もともと花を育てたりすることは嫌いじゃなかったんですけどね。

というわけでもありませんが、僕は前からイギリス(いや、もしかしたら世界)最高の植物園であるキュー・ガーデンに行ってみたかったんです。でも、1年目はボーンマス住まいでしたし、ロンドンに移ってからもそこに行くにはロンドンの北から南西まで大移動をしなければならないということもあり、二の足を踏み続けていましたが、とうとう今日、行ってきました!

キュー・ガーデンの辺りは、ロンドンでもセレブが多く住むというリッチモンド地区に近いということもあり、こじゃれたハイソな郊外という雰囲気が漂います。で、入園料(まあ、これが大人13ポンドとなかなか高いのですが…)を支払って入場!

園内は…とにかく広い!
Key Attractionとして紹介されていたいくつかの施設を訪れるだけでも3時間は必須。でも、それは、広大なキュー・ガーデンのごくごく一部の場所に過ぎません。まあ、ともあれ、今回は、これらを巡ってみたわけです。


最初に行ったのはこの施設。パーム・ハウスという温室で、世界の熱帯地区の植物が植えられている温室です。建物自体もヴィクトリア朝様式とのことで意味があるのかもしれませんが、やっぱり主人公は、世界の大州ごとに分かれている熱帯植物たち!本当に熱帯雨林に迷い込んだような感覚になってしまいます。もちろん、珍しい植物も少なくないわけで、恐竜出現以前からほとんど進化をしていない松に比較的近い植物の充実度などは異様なほどといってもおかしくないくらいです。

そういった珍しいものだけではなく、比較的身近な植物にも親切な案内が書いてあるのがこの植物園のいいところ。例えば、日頃お世話になっているのに実際生えている姿が全く知らないこんな植物についても親切な解説がついていましたよ。


これは、ショウガ。
こんな感じで生えるものなんですね。びっくり。


これは、黒胡椒。
7,8へぇ位は行きそうです(古いネタですみません…)。

で、その後はTemperate Houseという、温帯植物を扱う温室や、Princess of Wales Conservatoryという温室などに行ったのですが、詳細は省略。で、写真を少々。


中央に見える建物がTemperate House。左奥の尖塔のようなものは、ちょっと由来は調べておりませんが、Pagoda、つまり仏塔のようです。


Princess of Wales Conservatoryには、サボテンコーナーや熱帯植物コーナーなどに分かれているのですが、僕が面白いと思ったのは食虫植物コーナー。これは、ウツボカズラ系の「虫を溶かして栄養とする」タイプの植物。


これはモウセンゴケのような、「とりもち」で虫を捕らえるタイプ。この写真でははっきりしませんが、実際に、何匹かの羽虫がこの上で犠牲になっておりました。


ピンボケで恐縮ですが、いわゆるハエトリグサですな。初めて現物を見ることができました!

で、ある場所を歩いていたら、なぜかニワトリが放し飼いにされていて、誰かが撒いたパンを一生懸命ついばんでいます。と、そこにカラスが一羽、ご相伴に与ろうと近寄ろうとするのですが、ニワトリたちが執拗に突っついて追い出してなかなかご馳走にありつけません。でも…


やっぱ、カラスって、賢いよなあ、と思ったのでした。

入場時間がやや遅めであったため、じっくり巡ったわけではありませんでしたが、キュー・ガーデン、それなりに充実したものだったんじゃないかな、と思います。

それにしても、一番印象的だったのは、パーム・ハウス。僕は、なぜか熱帯の植物が好きで、シンガポールの熱帯植物園に行ったときもそうだったのですが、そういった湿度の高い鬱蒼とした空間に身を置くと、なぜだかとても「懐かしく」感じずにはいられないのです。

…それは、人間の本能的な部分がそうさせるのでしょうか?
…それとも、僕の前世は、熱帯雨林に住んでいた「何か」なのでしょうか?

2011年11月6日日曜日

金曜日の出来事(その2・夜のエンターテインメント)

ラッセル・スクウェアの図書館に少し籠もり、その後にバービカンにある教室での講義を受けて…、ここまでは普通の金曜日のスケジュールでした。

でも、先週の金曜日は、そこからちょっと違っていました。
バービカンからキングズクロス・セントパンクラス駅経由でレスター・スクエアに行き、小鴨と落ち合ってある湖南料理店に。湖南料理といえば、中国では、今比較的はやっているのですが、ここロンドンのチャイナタウンにも僕の知る限り2件の湖南料理屋があり、その1つは、僕らが知っているチャイナタウンのレストランの中で一番「中国(大陸)くささ」を感じるところで、味もなかなか。まあ、そこで軽く腹ごしらえをして…。

出かけたのは、ピカデリー・サーカスのキューピッド像横の劇場!
そう、今日は久しぶりの観劇としゃれ込んだのでした。

今回観たのは、「the 39 steps」というもの。ロンドンでも結構人気でロングランを続けています。
で、これ、僕らは、てっきりミュージカルとばかり思っていましたが、実際はミュージカル的要素はないコメディー。ヒッチコックの作品を下地にしたものとのことです。

まあ、本当に何も予備知識がないままで観たのですが、これがとてもおもしろい!
演ずる役者はわずか4人。でも、演ずる役は合計139役!でも、主人公は1役のみ、ヒロインは3役のみなので、残り135役は2人のおじさんの双肩(合計4つの肩ですけど)にかかっていたわけです。そして、それはとても見事なものでした。一人が2役や3役を同時進行で演じる場面も多かったのですが、それもコメディータッチで見事に演じきっていました。

上演時間はインターミッションを除いて約100分。でも、100分間全く飽きさせないスピード感と演技力には驚かされました。

この種の芝居って、相当の演技力がなければ全く面白くなるはずです。特にMr Memory(その他多くの役)を演じるおじさんに求められる技量は、他の3人の役者(それらも相当難しいと思うのですが)に比べても高い水準でなければならないんじゃないかと。イギリスの演劇人の層の厚さを改めて感じたのでした。

また、劇場自体もちょうど良い古臭さと豪華さが溶け合って、居心地のよい空間でした。

というわけで、芝居がハネたあとの二人は、とても満足してレスター・スクエア駅からノーザン・ラインに乗って家路についたのでした。


これこそロンドン生活の妙?

金曜日の出来事(その1・日本大使館辺りにて)

金曜日は、朝から日本大使館(というか同じところにある総領事館)に出頭。
これは、冬休みに予定しているヨーロッパ大陸行きの小鴨のビザ申請に際し(もちろん日本人である僕はビザ不要です。)、僕と小鴨が結婚していることを証明する英文の公式文書が必要になってしまい、…(中略)…ともあれ親から送ってもらった戸籍謄本を携えて結婚証明書の申請をすることになったのです。

(ここで親父への私信)
連絡遅れてすまない。EMSは先週月曜日に届いています。早速の対応ありがとう。

さて、日本の在外公館といえば、上海に住んでいた頃は、上海の総領事館に何度か足を運んだことがあります。上海の日本総領事館は、2005年の反日デモで襲撃を食らったことでご存知の方も多いと思いますが、その後もガードマンが(おそらく24時間体制で)貼り付いており、なんだか物々しい雰囲気でした。投石を受けて至る所がボコボコへこんだ建物外壁も2008年か9年ころまでは生々しく残っていましたしね。
まあ、中国ではそんなに反日なくせに(それともツンデレなだけなのか?)日本の公館に用事のある人は結構な数に上るようでして、開館前には既に2,30人の行列ができているなんてことは当たり前のことだったのです。

…そういった経験もあったので、今回も9時15分の開館前に列に並ぼうと早めに起床。でも、やや寝坊した上に、最寄り駅のGreen Park駅からは大使館とは逆方向にしばらく歩いてしまい、フォートナム・メイソンの前で間違いに気付いてUターン。大使館に着いたのは9時13分ころでした。

が、しかし…

…そこには列と呼べるべきものがありませんでした。ましてや、物々しいガードマンなどいやしません。
僕の前には女性が二人。その後に別の男性と女性が並んだところで開館。でも、僕の前後を挟んでいた4人は、どうも大使館関係者だったらしく、領事部に用事のある一般訪問者は、何と僕が一番乗り!愛想のいい黒人のお兄さんがいる安全検査を通過して、シャンデリアがぶら下がるきれいな待合室で待つこと15分、9時半に第1号の呼び出しがかかって申請手続を行いました。なお、その時点ですら訪問者は僕を入れて4人だけ。

対応された方(もちろん日本人ですが)の対応も日本人らしく親切丁寧で、いろいろフレキシブルな対応もしてもらい、イギリスの「一見まともそうで実はかなり適当」なお役所仕事(や銀行仕事)に苦しめられてきた僕からすれば、「もう、なんて、最高ーーー!」と思わずにはいられませんでした。

それにしても、大使館に向かっている途中、大使館の軒先に日の丸が掲げられているのが目に入った時、僕は、素直に「ああ、きれいだな」と思ったのと同時に、なぜか理由は分からないのですが、妙にほっとしたのでした。そしてそれは、上海では余り感じることがなかった感慨でした。下の写真は、退館後に来た方向と逆から撮ったものです。



さて、手続を終えた僕は、その後ラッセル・スクウェアのいつもの図書館に行こうとしたのですが、何となく別の駅から乗りたくなり、通りをそのまま西へ、Hyde Park Cornerを目指したのでした。
ところで、このHyde Park Cornerにはリビア大使館があり、リビアでの反政府運動が勃発した頃は、(当時の)反政府派を支持する人たちが大使館の向かいに集まって、彼らの旗を広げて集会を開いていました。そして、リビア大使館の前には、それこそ上海の日本総領事館よろしく、入口にガードマンがいて警戒に当たっていたものです。
それが今ではどのようになっているのかちょっと興味が出てきて、リビア大使館を見てきました。



…そこには、以前反政府運動支持者が広げていた旗が掲げられていました。
ガードマンの姿はどこにもありません。

リビアの歴史は、確かに変わっていたのです。

そのことを確認して、僕は、地下鉄駅へと急いだのでした。