2011年7月28日木曜日

日本人家族@中華街レストラン

今日は、4日ぶりにロンドン中心部に出かけました。
で、いろいろごちゃごちゃ回った後、締めは定番の(中華)食材購入目的での中華街入り!
でも、せっかく中華街に来たのだから、ということで、今回は今まで入ったことのないとある広東料理系の店に入ったのでした。

僕たちは、最近夕食は抑え気味にしていることもあり、ローストチキン(いわゆる燒烤の類ですな)、もやしの炒め物、そして海鮮粥を二人でシェア。味はかなり薄味でしたが、サービスで来たリブ入りスープ(排骨湯)は、素材がじっくり煮込まれていてなかなかおいしかったです。

この店、偶然なのか、ロンドンの日本人コミュニティーで評判の店なのだからかは分かりませんが、僕らの周囲2テーブルも日本人でした。これはロンドンに日本人が多いとは言え、珍しい話です。で、通路を挟んで隣り合わせた日本人の4人家族は、お父さんが主導権を握りつつの品定めをしていました(いや、別に聞き耳を立てていたわけではありませんが、このお父さんの声がなかなか大きくて嫌でも耳に入ってきたのです。)。

そして、少なくとも僕の耳に入ってきた彼らのオーダー(の一部)は、
・チンジャオロース(青椒肉絲)
・焼きそば
・ジャスミンティー

で、率直な僕の感想。

…つ、つまらん…。

うーん、この感慨は、別に僕が中国人と結婚して、数年の中国生活経験があって、それゆえ必然的に中華料理経験もおそらく普通の日本人の平均以上と思われる(それゆえのいわば「上から目線」的な発想)からではありません。ただ、余りにもベタ過ぎて。これじゃバーミヤンで食うのと同じだし、味とのコストバランスからすればバーミヤンに断然の軍配が上がるような気がしてなりません(賛否両論あるでしょうが、僕は結構バーミヤンが好きです。)。中華料理、それも広東料理ならば日本人にもなじみやすいし、バリエーションも豊富なんだから、せっかく中華街で食うならもっと色々挑戦したらいいのに!って、他人事ながらとても歯がゆくなりました。

まあ、ベタという以外にも、僕は、なんかこのオーダーそれ自体に何ともいえない違和感を感じずにはいられなかったのです。それはきっと、少なくとも僕が中国で「広東料理屋」に行ったならば、絶対オーダーすることのない組み合わせだったからなのでしょう。

まずはチンジャオロース。小鴨曰く、これはもともと四川料理じゃないかとのこと(少なくとも四川では良く食べられるとのこと。)。wikiや中国語のネット上のソースを見ていると、広東料理屋でも(広東料理風のアレンジで)出されるもののようですが、確かに僕自身が広東料理屋でオーダーしたことは、記憶の限りでは一度もない(少なくとも「広東料理」として食べたいものとして眼に入らない)んですよ。

次に焼きそば。まあ、広東風の焼きそばってのもあるのでしょうが、僕の中で焼きそばといえば、あの上海風の茶色い、太くてぼわぼわしたアレ。いわゆる「上海焼きそば」です。きっとお父さんが注文したのは広東風の焼きそばなのでしょうが、ただ「焼きそば」と聞いただけでは「なぜ上海料理を?」という不思議さを感じましたし、僕が広東料理屋で「焼きそば」を注文したことも、おそらくないんじゃないかな(その代わり、焼きビーフン…特に「シンガポール風焼きビーフン」(星州炒米粉)…は僕の大好物!)。

そしてジャスミンティー。うーん、これはまあ、広東料理屋を問わずどこの中華料理屋でも用意されているお茶ですので、それはそれでいいのでしょう。ただ、僕の個人的な好みからすれば、ジャスミンティーは、比較的味の濃い料理と合わせたいな。例えば北方の料理(北京/山東)とか。ジャスミンの香りは結構個性的なので、料理自体もこれに張り合えるような濃さを求めがちになっちゃいます。
というわけで、広東料理屋では、僕は同席する人が嫌いでない限りプーアル茶を注文しています。プーアル茶、においは癖がありますが、決して食事の味を邪魔することはないんですよね。

…まあ、こんなことを言ってもただの「余計なお世話」なのでしょう。料理たるもの、みんなが食べたいものを食べて満足すればそれで十分なわけで、この家族はおそらく日本で食べ慣れているバーミヤン的なメニューを食べたかっただけなのでしょう。それに外野が口出しする権利は全くありませんよね、当たり前すぎる話ですが。
あー、俺って、我ながら嫌な奴だ。やだやだ!!

僕らはこの家族より先に店を出ましたが、きっとこの家族は、チンジャオロースと焼きそばとジャスミンティーを楽しんだことでしょう。
この家族に幸あれ!

2011年7月27日水曜日

ワインつれづれ

昨日、家にある酒が完全になくなってしまったので、近所のスーパーに買い出しに行きました。
ビール(エール)はお気に入りの銘柄の1つの、Old Speckled Hen。まあ、僕がIELTSのスピーキングのテストの際にお世話になった(?)Greene King IPAと同じ会社が出している別のタイプ(アルコール少し強め)です。
イギリスのパブは、大体どこか特定のビールメーカーの系列というか、つながりがあるのですが、僕がボーンマスでよく通ったパブがGreene King系列だったので、その製品を好んで飲むようになった、というだけなんですけどね。


そうそう、この間、ヨーク(まあ、ニューヨークの名前の由来ですな)へショートトリップに出かけたのですが、そこで見たパブの名前がヨークシャーテリア。ヨークはヨークシャー州(county)ですので、まさにドンピシャなネーミングです。この店は、10数年前に醸造を始めた地元のブルワリーの系列で、一押しはその名もずばり「ヨークシャーテリア」!(イギリスには珍しく?)ピルスナーっぽい味わいがなかなか良かったです。



上の写真は、このパブにおいてあったコースター。

閑話休題、昨日はそのOld Speckled Henを買ったついでに(?)、ワインを2本買いました。
僕自身は実は赤ワインよりも白ワインが好きなこともあり、また、温度は日本の比じゃないとはいえ一応季節は夏なのでさわやかなタイプがほしいところ。というわけで選んだのが、オーストラリア産の白(シャルドネ)とスペイン産のロゼ。こちらではワインは日常消費用であれば5ポンド程度でそれなりのが手に入ることは実にありがたいことです。

ところで、日本語のネットを見ていたら、「働く女子が選ぶ『好きなワインの産地』」の第1位は、フランスであったとの由。まあ、順当過ぎるくらい順当な「模範解答」なわけですが、なんかこう、面白くないと感じてしまうのがひねくれ者のmimakiirihiko。大体、「フランス」という名前(or雰囲気)だけで選んでへんか?と訝ってしまうんですよね。で、おそらく好きなワインのタイプは「赤ワイン!」というのがおそらく9割以上なんだろうな、とも。そういう場合には、「知ってるワイン」っていうのは往々にして高級ワインになりがちでしょうから、「ワイン好き」な「働く女子」と付き合う野郎どものお財布も決して生易しいものではありません。

僕は、ワインの知識が大してありませんので、「うーん、○○の△△年は云々」とかいうことは全く分かりません。また、日常的に飲みたいという気持ちが強い僕としては、「希少価値のある高級ワイン」よりも「安くて(主観的に)うまくていつでも手に入る」のが最大の選考基準。このブログでも時々現れた元ハウスメイトのSwiss-FrenchのE嬢なども、そういった感じでお手頃なワインを毎日飲んでいました。彼女は赤派で、そんなに重くないのが好みのようです。で、ちょっと暑い季節にはちょっと冷やしたロゼをたしなんでいました。そういう自然なワインのチョイスは、きっと遺伝子的に組み込まれているんでしょう。僕にはとてもまぶしく見えました。

で、僕がワインを選ぶときは、既にお話したように、「赤よりも白」、「希少価値よりも得やすさ」が大事な考慮要素になるのですが、5月にプロヴァンスに行ったときに、街のビストロで飲んだロゼのさわやかさが忘れられず、最近はロゼも結構買うことが多いです。そういったことが昨日のワインのチョイスにもつながったのかな、と。
そして、最近のマイブームは、スペインワイン。リオハの赤はもとより、白についてもお手頃価格でなかなか僕好みのやつが買えるのでついつい手を伸ばしてしまいます。そしてシェリー!イギリスでは、僕の好きなアモンティリャードというタイプが意外にも簡単に手に入るのがうれしいところ。

なお、働く女子が好むらしいフランスワイン(それも赤)ならば、僕の好みは、ラ・キュヴェ・ミティークにシャトーヌフ・デュ・パプ(まあ、後者は日常消費用とは必ずしも言いがたいですが、ラトゥールとかマルゴーとかよりははるかにまし!)。
あれ?どちらも南仏のワインだ。つか、リオハに味が似てる?
ま、赤ならそういう味が好きなんでしょうね、きっと。

2011年7月20日水曜日

時間の中心で、何も叫ばへん

ロンドンってところは、ちょこっと出るとそれなりの出費をしてしまうところではありますが、さりとてずっと家に留まってばっかりというわけにも行かないのは、引きこもり性分ではない人なら当たり前のこと。

というわけで、先週末は、ちょっと近くに出かけようか(それも、市の中心でないところ)、ということで、グリニッジに行ってきました。グリニッジといえば、誰もが知っている「東経/西経0°」の場所。
グリニッジに行くには色々な行き方があるのでしょうが、やっぱり乙なのは、テムズ川のボートでしょう。今回は、地下鉄でエンバンクメント駅まで行き、そこからボートに乗りました。お代、オイスターカード(いわば、suicaやICOCAのようなもんですな。)払いで£4.45。

エンバンクメント発のボートは、普通に通勤・通学にも使われるというもの(つまり、観光船ではない)だということだし、上海でちょくちょく乗った黄浦江の渡し船のことを考えればさぞかしぼろぼろできたないのが来るんじゃないか、と思いきや、これがなかなかきれいで乗り心地も快適。走るスピードもなかなかのものです。

まあ、船自体も良かったのですが、やっぱりここはテムズの両岸の景色は最高のご馳走かな。


やっぱり、まずはこれ。ビッグ・ベン&国会議事堂!
今ではやや慣れてしまったこの建物のある風景ですが、こうやってテムズから見るのはまた新鮮でした。


ロンドン・アイ。
今やロンドンの観光目玉の1つなのですが、値段が高いこともあり、また、これまでお台場やら横浜やらで観覧車に何度と乗ったことがある僕としては、それほど食指が動かないこともまた事実。


これ、どの橋だろう?ウォータールー・ブリッジ?まあ、難しいことはいいや。
セントポール寺院を背景に2階建てバスがテムズを横切る、なんてのは、ほんとロンドンらしく、絵になる風景です。


セント・ポール寺院とテート・モダンとをつなぐミレニアム・ブリッジ。上は通ったことがあるけど、こうやって下から見るのもまたをかし。


橋を下から見ると、いつもの姿とは違って見えるものですが、これもその典型かな。
タワーブリッジ。


最近は、ロンドンはざっと強い雨が降ってすぐ曇り、少し日が差したと思えばまた雨が降るといった天気が続いています。この日はそんな天気の典型例。いきなりの大雨に少しびっくり。でも、船内は至って快適!

さてさて、船に揺られること40分ほどでグリニッジに到着です。
グリニッジといえばまずは天文台!とはやる心を抑えつつ、船着場近くのツーリストインフォメーションセンターを覗くと、これが遊び心たっぷりの体験型アトラクションの形でグリニッジの歴史を紹介するようになっていて、これだけでも結構堪能できます。雨も降ったりやんだりしていたので、僕らもしばし雨宿り。


これらは、グリニッジがらみのいろんな絵が集まっているのですが、何か1つ邪魔者が…!

その後、海軍博物館は時間の関係で飛ばして、天文台に行ったのでした。
でも、小鴨は、余りこちらの分野には関心がないようで、天文台の外でお留守番。僕だけが入場したのでした。


まあ、よく写真で出てくるアレです。この赤いラインが経度0となります。
この下では、経度0の線を跨いで写真を取ろうとする人たちが行列をなしています。
俺はそんなミーハーちゃうわ!


…ってなことなく、しっかり写真取らしていただきやした。
もっとも、行列を少し離れた場所(=ベストの撮影スポットではない場所)ですけどね。

グリニッジを後にした我々は、今度はDLRなるライトレールで都心に戻りました。この路線は、ドッグランズというお台場みたいな場所を通りつつ、シティのバンク駅を目指すのですが、近未来的なビル群をちょっと過ぎれば、いきなりド下町のような(夜歩くのがちょっと怖そうな)街があったりするのが東ロンドンらしくもあります。

で、バンク駅を降りて地上に出たのですが、日本で言えば兜町のようなこの街、日曜日はとても閑散としています。それこそ余り夜に一人歩きしたくないと思ってしまうほど。店はみーんな閉まっています。

そんな中でも、


王立証券取引所。
ずっしりと構えたなかなか威厳に満ちた雰囲気です。横にはイングランド銀行もあります。

こういったシティの建物群を抜けて僕らが向かった先は、リヴァプール・ストリート駅近くにある口コミサイトで評判のイギリス料理店。これからはロンドンのレストランも少し知らないと、ということでのチョイスです。別にしかめつらしい高級店ではなく、普通の喫茶店のような雰囲気で、ロケーション自体もリヴァプール・ストリート駅近くの少しごちゃっとした場所にあります。



で、店の中は、こんな感じ。


ちょっと古色蒼然とした感じで、雰囲気は悪くありません。
でも、隣の席にいた写真に写っているこのおねーちゃん、彼氏とずっと目を見詰め合っていちゃいちゃブチュブチュ。まあ、彼らも10年したら色気より食い気さ、と悲しく笑いあう小鴨と僕。


このビール(スタウト)、ハーフパイントほどで4ポンド以上もしたんですが、味はとても濃厚。ここまでとろっとしたスタウトも初めてでした。確かにおいしかったけど、僕はやっぱりパブでビターを1パイント飲むのが性に合ってるかな。

僕のチョイス。サンデーローストです。サンデーローストと言えば牛肉が普通じゃないか、と思ったのですが、ここでは鶏か豚と言われたので豚をチョイス。しっかし、付け合わせを含め、量が多かった!肉も、日本なら2人前です。

味は…肉自体の味付けが薄かったような…





小鴨のチョイス。舌平目のムニエルに黒米。
黒米はバターで炒めたもののようで、また、周りのソースも相当こってり感が。舌平目が淡白な分、それとのバランスを、という感覚なのでしょうが、黒米とソースを全部食べるのは僕らには至難の業でした。


というわけで、この店、決してまずくはないし、雰囲気的にもよく、全体としてはgoodなのでしょうが、じゃあ病み付きになるかと言われればそうでは決してなく、といった感じです。
まあ、「イギリス料理」としては、かなり良くできたほうではないか、と思っている次第です。

…なお、小鴨は、これを食べている間から「辛いものが食べたい」(←こういう時は、小鴨が食べている物に欲求不満があることを意味します。)と言い続け、くどい黒米を半分ほど残した挙句、家に帰ってから、本当に四川風酸っぱ辛い麺(酸辣麺)を作って食べてました(まあ、あくまでも四川で食べるほどの分量ですけど。)。

僕らのイギリス料理探検の道は、まだ始まったばかりさ!

2011年7月18日月曜日

上海での演奏会に寄せて

日曜日は、僕が上海で所属していた合唱団の演奏会がありました。
基本的に駐在員で成り立っているこの合唱団は、金融危機以後の「本社側の事情」のあおりをまともに受け、2009年から後、単独での演奏会が開けない状態が続いており、今回も上海の別の日本人合唱団の1ステージを拝借してのオンステージとなったようです。

参加者らのメールを見る限り、演奏は、成功裏に終わったようです。現在の団員の皆さんには、心から祝福を申し上げたいと思います。

それにしても、この合唱団では、合唱の技術面でもいろいろなことを教えてもらいました。今まで感覚でやっていたり、別の方法でおぼろげながら理解していたことがより理論的に理解できるようになったことも少なくないような気がします。また、合唱の発声に中国語を乗せることがとても難しい(僕にとっては、中国語の調音方法と合唱の発声方法とが正面からぶつかってしまうことが少なくなかった…特に中国語のeの発音!!)ことは大きな驚きでした。それに加えて、仕事の上では接点のない色々な日本人の(それもそのほとんどが上の世代の)方と交流できた、ということも、非常に大きな財産であることはいうまでもありません。

ともあれ、上海の合唱団の活動は、これからも精力的に続くようですので、帰国組のメンバーを含めた大きな発展を心から祈念したいと思います。

そして、僕は、この合唱団のメンバーと歌う日がまた来るのでしょうか…?
それは、まずもって僕がアジア圏(少なくとも上海に数時間で行ける場所)に戻ることが前提条件ですし、加えてその時に僕自身に合唱をする気持ちがまだ残っているか、がキーとなるのでしょう。

...でも、後者については、「分からない」、というのが本音かなぁ。今のところ。

2011年7月17日日曜日

複数言語環境

人種の坩堝と化しているここロンドンでは、本当に世界のいろいろな国の人を眼にします。
中国系はチャイナタウンに行けばそれこそ中国語が標準語か、と思うくらい(まあ、広東語のほうが通じやすそうなんですけどね)ですし、インド人もわんさか。黒人も普通に街を歩いていますし、この間水周りの修理に来たお兄さんはポーランド人。その他僕が知らないだけで、ほんとに世界のいろいろな国から人が集まっているのでしょうね。実際、街を歩いていると、聞いてそれとわかる中国語、フランス語、ドイツ語はもとより、「この言葉一体どこのやねん」と突っ込みたくなる言葉をしゃべっている人も少なくないわけで。

日本人の普通の生活じゃあ余り考えることがないのですが、ここに来て感じるのは、2つ以上の言語を使う生活、というのは、ここに来るときわめて普通のことである、ってことです。つまり、家族やそれよりもやや広いコミュニティで使う言語と、その外で使う言葉とが異なっていることは全く珍しくないってことですね。
まあ、そりゃ日本でも、例えば関西弁と共通語をTPOによって使い分ける、なんてことは僕でも普通にやっているわけですが、それでもそれはあくまでも同じ「日本語」の範疇であり、たとえ100%関西弁に切り替えたとしてもコミュニケーションそれ自体に何ら支障がないわけですよね。中国語にしても、確かに共通語とその他の(漢族系統の)方言(例えば上海語とか広東語)とは、意思疎通が不可能なほどに違うわけですが、中国人にとっては、その全てがあくまでも「中国語」という認識なわけで、方言の違いが(それ自体は政治的に規定された概念であるとしても)「中華民族」(ないしは「漢族」)というまとまり自体に影響を及ぼすものではありません。

でも、イギリスにおける複数言語環境というのは、それとは全く違うような気がするんです。つまり、言葉が違えば民族的バックグラウンドが(相容れない程度まで)異なることを意味するわけで、そういった根本的に異なるバックグラウンドを統合するベルトのようなものとして英語が存在するように感じられるのです。

…いや、これは当たり前なことをやたら難しく言っているだけなのかもしれませんが、この感覚は、日本でも中国でも感じたことがなかったものだったので、ちょっとうだうだ書いてみました。
でも、こういう言語環境ってのは、欧米ではむしろ普通なのかもしれませんね。



2011年7月13日水曜日

季節感

数日前は少し暑かったものの、今日はむしろ肌寒いくらいで、思わずフード付きのトレーナー+ヒートテックの長袖シャツを着込んでしまったくらいです。
…でも、考えれば、今は7月も中旬。日本のニュースを見れば、猛暑・猛暑・猛暑!
そもそもクーラーが部屋についていない家が普通(うちも当然そうです。)のこの国では、全く無縁の言葉ですね、まったく。季節感が全く感じられません。

夏至を過ぎて日が短くなりつつあるはずではあるものの、今(イギリス夏時間21時40分ころ)は、薄暮からやや暗くなってきたくらいで、まだ明るいと言えるレベル。これが強いて挙げれば「夏の季節感」なのでしょうか?!

季節感、というと、日本人はとかく伝統行事やら食べ物やらでそれを感じるわけですが、中国しかり、イギリスしかり、そういった日本的意味での「季節感」ってのはなかなか得がたいような気がします。
例えば食べ物などにしても、「よっしゃ初鰹!」とか、「そろそろさんまの季節だねぇ」とか言っていた自分が妙に懐かしくもあり、逆にそれがなかなかいえない現状を心なしかさびしくも感じてしまうのです。

そして、自分自身が関西の影響を受けているからでしょうか、こういった季節感は、東京よりも関西の方がより敏感なようにも思われます。それは、「伝統」の長さの差に起因しているのかも知れませんね。でも、僕は、そういったものが好きなので、東京生活をしていた時ですら、関西ほどの季節感のなさに、やっぱりぶーたれていたような気がします。今から思えば贅沢な話ですね、全く。

1月の若草山の山焼き。
3月の東大寺の修二会(俗に言うお水取り。僕は、二月堂の内陣と呼ばれるところで連行衆の行を見たことがあるのですが、すばらしいというのもおこがましいものでした。1250年前の世界を目の当たりにしたのです。)。
初夏の葵祭。
夏の鱧。
7月の祗園さん。
夏のPL花火大会(ある夏の夜、僕の住んでいた場所(奈良県)から大阪方面をふと見たら、二上山の向こうの空が赤いのにびっくりしたことがあります。ちょうどその日がPLの花火大会だったのでした!)
8月の大文字送り火。
など、など、など!数えてたらきりがなくなってしまいます。でも、こういったもので季節を感じることは、自分たちの歴史と伝統に思いを致すことができるのと同時に、人間の営みが自然とともにあることをも再認識させられるわけで、そういったものは僕らの心を豊かにしてくれるのではないか、と思うんですよ。

京都在住のいとこがやっているブログで、祇園祭の話が出ていたことに触発され、そしてとても懐かしく感じられたことからふと綴った雑感でした。

2011年7月12日火曜日

プーライフはストレスフル

8月15日から始まるpresessional courseまでは完全フリーな我々で、それこそ今後一生ないであろう、「ロンドンプータロー生活」を送っているわけですが、「特に何かする必要がない」生活というのも、決して心身に良いわけではないな、ともしみじみ思います。

とはいっても、本当に全く何もしていないかと言えばそうでもないわけで、今は、新生活を軌道に乗せるいろいろなことをちょいちょいしています。
そのうちもっとも大事なのはビザの更新なのですが、先週の金曜日、高い金を払ってビザの直接申請に臨んだところ、他の書類で十分カバー可能な僕の英語のレベルの証明についていちゃもんをつけられてしまって、その日に発給を受けることができず、IELTSのスコア証明書を送った上での審査待ち、という、なんとも気持ち悪い状態になっています。
イギリスにおける外国人留学生向けのビザ発給は、年々条件が厳しくなっているのですが、ビザ申請直前にも規則の変更があるなどして、いやらしいったらありゃしません。このような厳格化の理由は、おそらく「学生による不法就労の防止」ないしは「(卒業後に居残る)外国人就業者の増加に伴うイギリス人雇用の圧迫の防止」といったところなのでしょうが、このような政策は、既に多民族国家となってしまっているイギリスにおいて果たして有益なのかどうか、疑問に思ってしまいます。

ともあれ、僕らの書類を受理した審査官は、妙に生真面目なおばちゃんで、気難しそうに色々と書類を見た上で、「書類が不備」と難癖をつけてきたわけです。こちらとしては「いや、イギリスは僕の仕事場ちゃうし、卒業すればさっさと出てったるさかいに」と思っていてもだめなんでしょうね…

まあ、大学からはオファーをもらっているし、資金的にも十分な証明を出しているし、英語のレベル証明それ自体も全く問題ないはずだしで、ビザの発給それ自体には何ら問題ないとは思うのですが、(メールやら郵便を通じた)間接的なやり取りによる事務作業のスピードが極めて緩慢なこの国において、一発勝負で終わらせたかった僕としては、納得できない気持ちで一杯で、その日はかなりへこんでました。
ともあれ、IELTSのスコアは既に向こうに届いていることは分かっているので、あとはビザが下りるのをあせらずに待つしかないのでしょう。

で、新生活のインフラは、まだ完全なわけでもありません。
固定電話は開通したものの、インターネットは明日の午後8時から。先週は風呂が水漏れした上に、なぜか掃除機は本体のみでパイプと吸い込み口がなく、大家が新しいものを持ってくるといった割にはまだ届いていません。その上にテレビのライセンスフィーや住民税の問題も処理する必要もあり、と、なんだかまあ、面倒くさいことが色々山積しています。1つ1つこなしていくしかない、と、相田みつを的境地でいますが、こういったものって、実に面倒くさいんですよね…。だからせめて(最も基本となる)ビザだけは何とかしてくれ、というのが正直なところなんですが。

ビザがいつ下りるか(=いつ取りに行けるか)分からないために、例えば国内旅行に出かけたくても計画すら立てられず、しばらくはロンドンでじっとするしかありません。でも、都心に行くのにも、地下鉄代も馬鹿にならんし…。

なんともはや…。

2011年7月7日木曜日

エレミア哀歌

エレミア哀歌、ってのは、ユダヤ教徒かキリスト教徒かヨーロッパの宗教音楽をかじっていないとあまりお目にかからないものではありますが、まあ、端的に言えば、旧約聖書に見られる、預言者エレミアがバビロン捕囚にかかわる出来事を嘆いたもの、とご理解ください。

で、僕の場合は、上記の3類型のうち、一番最後の類型でエレミア哀歌を知ることになったわけです。エレミア哀歌は、複数の作曲家が曲をつけていますが、僕にとってなじみが深いのが、イギリスはテューダー朝時代の作曲家であるトマス=タリスの5声のもの。いわゆる(って、ごく一部の好事家だけでしょうか?)「タリスのエレミア」ですな。これは、大学1年生のときの定期演奏会のレパートリーだったのですが、僕の歌ったパート(カウンターテナーの1つ下の声域=Tenor1)は、何かとおいしいところが多かったせいか(特に最後の“convertere ad Domunum Deum tuum”の最後の言葉“tuum”を、他のパートが和音を鳴らす中で何小節かにわたり8分音符で駆け上がり駆け下りるところなど、今でも想像するだけでぞくぞくします。)、未だに自分のパートならほぼ暗譜で歌えるんじゃないかな。

話は変わって、ボーンマスを離れる少し前の出来事。
ある日、僕はちょっと用事があってボーンマスのTown Centreに出かけたのですが、帰りのバスまで少し時間があった上に雨がぱらついてきました。こういうときにタダで時間をつぶせるありがたい場所は、どこだと思います?


…答えは教会。神様には申し訳ありませんが。


というわけで、近くにあったカトリック教会にお邪魔したわけです。
この教会、ボーンマスにある他の宗派の教会に比べて、やたら重厚感があり、お祈りする人たちの姿も真剣そのもの。この日も2,3人の人が熱心にお祈りをささげる中で、僕は場違い気味に椅子を拝借していたのでした。
で、しばらくすると、お祈りをしていた人たちがみんな教会を後にして、教会には僕一人となりました。

…うん、僕には、イギリスに来てやってみたいと思ったことがいくつかあって、そのうちの1つに、「教会で宗教曲を歌うこと。できればイギリスの作曲家のものを」ってのがあるんですよ。
しんと静まり返った教会。当分は誰も来そうにもない。舌をはじいてみればこれがなかなかのいい音響。そして口からついて出たこのフレーズ…


Incipit Lamentatio Jeremiae Prophetae…
(預言者エレミアの嘆き、始まる。)


…始めはやや遠慮がちに。次第に調子に乗ってだんだん大きな声に。
で、結局、「タリスのエレミア」の第一部のTenor1をしっかり歌ってしまいました。


まあ、ぜんぜんまともな発声ではありませんでしたが、カトリック教会で「タリスのエレミア」を曲がりなりにも歌ったことで、僕のイギリスに来た目的の一つ、まずは達成した、ってことにしておきましょう。


…神様ゆるしてね。

2011年7月4日月曜日

ロンドンに引っ越しました!

土曜日、ようやくやって来ましたロンドンに!
ようやく部屋が片付いて、今までの共同生活から一転、小鴨と僕の二人暮らしがまた始まりました。
これ自体は、上海時代と何にも変わらないのに、なぜかさびしく感じるのは、これまで10か月の、そして今後の人生ではおそらく経験することはないであろう共同生活とのギャップが大きいからかもしれません。

詳細は、追ってまたブログに書いていきます。
とりあえず、留学生活の第2章、ここにはじまり、はじまりぃ~~!