2012年1月27日金曜日

痛快ウキウキ(セント・ポール)通り

僕は大学入学にあわせて上京したのですが、渋谷に初めて行った時、今まで経験したことのない街の雰囲気(それは、今から思うと、「若い世代のエネルギーが作り出して出来上がった巨大な繁華街の雰囲気」なのでしょうか)に、「俺はここ(渋谷)には絶対なじまへんやろな」と思ったものです。

でも、通っていた大学(の教養課程)の校舎が渋谷に比較的近かったこともあり、渋谷は(住んでいた路線のターミナルである)新宿よりも頻繁に行く繁華街になり、しばらくすると渋谷が自分自身にとって東京で一番なじむ感じがするようになりました。

それからは、特に何かするわけではなくとも、センター街から宇田川町交番の方に、そして更にスペイン坂を上がったりするのは、何となく心がウキウキする感覚を覚えずにはいられませんでした。

…ちょうど大学生の頃にはやっていた小沢健二の「痛快ウキウキ通り」の雰囲気のように。
まあ、「プラダの靴が欲しい」というような彼女がいたわけでもなく、「喫茶店で独りワインを飲んで」いたこともないけどね。

大学を卒業し、各地を点々とするような生活になってからは、東京に住んでいた時すら余り足を向けることがなくなってしまいましたが、それでも渋谷は大学生の頃を思い出させる懐かしい街であることには変わりありません。

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この間、持っているスマホのOSを更新したのですが、その際にもう少しこのスマホを有効活用しようと思い、PCに入っている音楽をちょっとためしにインストールしてみました。で、その中の1枚が小沢健二の「刹那」。2曲目にはかの「痛快ウキウキ通り」が入っている、アレです。

で、昨日、バービカンでの授業が終わった午後8時、小鴨がランゲージ・エクスチェンジを終えてTottenham Court Roadの辺りにいるということだったので、そこまでダイレクトに行けるセントラル線に乗るためにセント・ポール駅まで歩いてゆきました。バービカンの駅をかすめて南に足を進め、ロンドン博物館のところにあるロータリーを右に入って道なりに更に南下。と、セント・ポール寺院のドームが目に飛び込んできます。ちょうどその時、「痛快ウキウキ通り」が耳に飛び込んできたのでした。

このスマホ、やたら重低音の出力がしっかりしていて、もともとベースラインを効かせつつ生っぽいレコーディングをしている(と僕が勝手に思っている)オザケンの音がより耳にごつごつと訴えかけてきます。で、そういうベースラインに耳を委ねていると、曲に乗せられて気分が乗ってきます。歩いている雰囲気も、ちょうどこの曲のPVのようなような(でも、あくまでも脳内の話。実際にやったらただのヤバい人だし。)。

セント・ポール駅に向かう道。どちらかといえばビジネス街なので、夜8時ともなればややひっそりすらしていて、センター街のような賑やかさはありません。でも、冷えた冬のロンドン空気の中、セント・ポール寺院のドームを目指して歩いている自分にとって、その道は、その時は、間違いなく「痛快ウキウキ通り」なのでした。

2012年1月22日日曜日

崇徳院

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

まあ、百人一首でも有名な崇徳院の歌ですね。落語の「崇徳院」でなじみのある人もいるかもしれませんが。

ご存知のとおり、この歌はもともと恋の歌なのですが、「時の流れの速さに逆らえず分かれざるを得ないが、いつかきっと再会したい」というこの歌の基本的な骨格は、僕が上海のオフィスを去るときの感慨に不思議なほどフィットしました。なので、スタッフを見送って誰もいなくなったオフィスの会議室のホワイトボードに、そういった思いをこめてこの歌を大書して事務所を後にしたのでした。なんか空っぽになった心とともに。
…うーん、今から思えばかなりこっぱずかしいことなのですけどね。感傷的な心情というものは恐ろしいものです。

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先週の金曜日、上海時代のスタッフからグリーティングカードがやってきました。
当時のスタッフの中には既に退職した人もいるのですが、そういった人たちからもおそらくメールベースでメッセージを取り付けて残っているスタッフが代筆するという念の入れようです。
そして、それぞれの言葉を見ると、僕の知っている彼女らの個性が溢れ出ていて、自分自身があたかも上海時代の自分に戻ったような錯覚にすら陥りました。

そして、そのうちの一人のメッセージを見ていると、最後に日本語で、「水の流れがきっと世界のどこかで合流して1つになる~~(^_^)」と書いているではありませんか!この子、僕のホワイトボードの落書きを覚えていたんですね…。
一瞬「おおっ!」と思い、次に「恥ずかしいっ!」と思い、そして「ありがたいっ!」と思ったのでした。

で、各人へのリプライをここに。
Z嬢: 昔と変わらず色々気にかけてくれてありがとう。まじめに勉強してますよ。学生身分は、ある意味仕事のプレッシャーと比べれば楽なものなのでしょうが、楽ということはありません。特に、大学院に入ってからは。Zさんも自分の夢に向かってがんばってください!

X嬢; イギリス生活も2年目になると、不便ということはあまりなくなりましたが、個人的にはやっぱりアジアがいいなあ、と思ってます。酒はビールやワインがメインで、中国の酒はなかなか飲めません。旅行は色々しましたが、運動については…聞かないで!

GWY嬢:歌はねぇ、歌ってないんですよ。ちょっと考えたこともあるんですけどね、歌うんならちゃんと練習しなくちゃいけないし、そうするにはあまりに時間が短すぎるしで。ともあれ、今年は必ず上海に行く用事があるので、そのときにみんなで食事をぜひ!

W嬢: 四川料理!こちらでも食べられないことはありませんが、やっぱり中国で食べるのが一番ですね。渝郷人家、品川、海底撈、川国演義…思い出しただけでよだれが出そうです。そうそう、ロンドンでは上海料理が食べられないんですよ。だから、それもいいな、と。

GWJ嬢:写真とかではあまりわからないかもしれないけど、上海の頃より少なくとも3キロは痩せてます。おそらくイギリスに来た当初、食事をほとんどせずに歩き回ってどーんと体重が落ちたからかもしれません。なので、今はあなたが描いたパンダのようにはかわいくないかも!?

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今日の午後4時、中国時間で春節を迎えました。
小鴨にとってはやっぱり春節こそが新年という気持ちが強いため、朝から気合を入れて四川料理を作っていました。部屋も、少しばかりチャイナタウンで買ってきた飾りをつけて、インターネットで中国中央電視台の年末恒例の演芸番組を流し続けて、午後4時きっかりに食事をしました。ヌーシャテルで買ってきたピノ・ノワールと共に。

でも、今年の春節は、いろんな意味で特別です。単に歳が改まっただけではなく、その他の面で大きな変化もありましたから。何かこう、心がまっさらになったような、そんな気すらします。
そういったさまざまな流れの中でも、彼女たちは昔と変わらずにメッセージを送ってくれたことに、本当に感謝しています。

だから、今年、絶対、彼女らと「あはむとぞ思ふ」!

新年快楽!

2012年1月17日火曜日

ああ無情

学校が始まって軌道に乗ってくると、さすがに冬休みの時のようにはせっせと更新することもままなりません。自分なりに勉強の方法論を先学期とは違ったものにしてみようとしているのですが、まだ軌道に乗ったともいえず、困ったものです。でも、進まないよりも進んだ方がましなわけで。

今日は、夕方の5時半ころまでバービカンで授業があり、その後ウェスト・エンド(=チャイナタウンの辺りのことね)でレ・ミゼラブルのミュージカルを観てきました。ウェスト・エンドへはバスで向かったのですが、途中通ったセント・ポール寺院の前ではウォール街のデモと連動して起こっているデモのテントが並んでいました。

で、レ・ミゼラブルなのですが、お恥ずかしいことに、このMimakiirihiko、この原作を読んだり、映像作品で見たことが全くなく、とにかくロンドンでおそらく一番のロングラン公演をやっている(25年以上)ミュージカルというだけのミーハーな理由でのチョイスです。

劇場は、チャイナタウンの道路を挟んで向かい側。僕たちはいつものとおり一番安いチケットを買いましたので、劇場の最後列の席。でも、観劇にさしたる支障もないし、割と広角的に舞台を見られるので、決して悪くはないと思います。ただ、今回の劇場に限っていえば、最後列のシートピッチが今まで経験したことがないほど狭く、ちょっと窮屈だったかな。

で、肝心の劇のほうですが、今まで僕たちが見たミュージカル(マンマ・ミーア!、ビリー・エリオット)や芝居(39 Steps)とは趣を異にする、いわば「クラシック」なミュージカルといった感じでしょうか。俳優たちはおそらく相当程度声楽の素養がある人たちなのでしょう、おしなべてしっかりした発声をしていてとても上手です。マイクは当然入っているのですが、生の声も最後列の僕のところまでちゃんと飛んできていましたしね。特に、主人公のジャン・バルジャン役の俳優は、fffからpppまでを表情豊かに歌い分けるすばらしいテノールでした。それに、全てのセリフが歌になっているのも、これまで見た2つのミュージカルとは違うところ。言ってみれば、オペラの現代版のような感じで、もしかしたらこういったものがミュージカルの「原型」なのだろうか、とも思ったりしたのです。

で、休憩時間には「歌ばっかりで普通のセリフがなく、全体的にだらだらしている」とぼやいていた小鴨ですが、最後のジャン・バルジャンが死ぬ場面では鼻をぐじゅぐじゅいわせてきっちり泣いていました。うん、確かにこの場面は、思わず引き込まれましたよ。

そういった辺り、このミュージカルが四半世紀以上のロングランを続けている所以なのかもしれませんね。

僕としては、総合芸術としてミュージカルを観るならば、レ・ミゼラブルは今まで観たものよりも完成度が高いんじゃないかな、と思いました。観劇後のしみじみとした反芻も今までにはない経験でした。
でも、僕はもともと、「お気楽に、ひたすら楽しい」ものが好きな人。なので、レ・ミゼラブルのようなしみじみしたのも時には悪くないと思うものの、文句なしに「楽しい!」と思えたマンマ・ミーア!をあえて強く推したいと思います。あの時は、台湾のC嬢と小鴨との3人で行ったのですが、芝居がハネた後、3人が3人ともABBAの歌をハミングしていたのは、我ながらとても印象的で…。

次のミュージカル鑑賞は、小鴨の強い希望で「シカゴ」になりそうです。
まあ、この点に関する僕の希望はまず反映されないのです…ああ無情(T_T)

2012年1月11日水曜日

方言萌え

東男に京女、とは昔からよく言われるわけですが、京女を語るときには、京ことばが重要なファクターとなっていることはだれもが認めるところでしょう。それも、「萌え」ファクターとして。

そういえば、京都在住の友人(女性)が、「京都弁使っておけば、おっちゃんたちは妙に喜ばはる」なんてことを言ったことがあるのですが、これもおっちゃんたちが京都弁に萌えていると言い換えて差し支えないのでしょう。なお、当人は、実は京都在住歴の長い但馬人というのは内緒の話。

ともあれ、方言を話す女の子に萌える、というのは少なからぬ男性において共通認識のようで、僕も結構賛成派です。前にも書いたけど、愛媛にいたときに、かわいい女の子が「~しようわい」と言っているのを初めて聞いた時は結構びっくりしましたが(だって、「わい」って言葉は、僕にとっては「ちゃうわい!」というように、男が強い口調で使うのになじむ語尾ですから)、この「わい」は、実際には優しい感じで発音されるので、「おー、かわいいじゃん」となるわけです。まあ、これも一種の「萌え」なのでしょう。

というわけで、youtubeをブラウズしていたら、日本のU局ネットで放送されていた「方言彼女。」という番組の「方言講座」というコーナーの動画がヒットしました。方言+美少女というコンセプトで、「美少女」という要素が「方言」の萌え度をより増大させているわけですが、見ていて方言も面白いものだなあ、とつくづく感心するやら笑うやら。

なかんずく、僕の中で特に秀逸だったと思うのは、親父の故郷でもある岐阜弁バージョン。これです。


共通語の浸透が激しい昨今、全てのボキャブラリーを方言にするというのは、方言話者本人にとっても至難の業でしょうし、それゆえ出来上がったものは往々にして「無理っぽい、古風な」ものになりがちで、これももしかしたらそうなのかも。でも、「買いからかす」、「買わなかん」、「ちょ」というのは、今でもごく自然な言い回しなのでしょうし、アクセントの位置の説明もナイスです。
そして、極めつけは、最後の「えか!」。これは、親父も良く使う念押しの言葉なので、岐阜で岐阜弁を使っている上では何てことのない言い回しなのでしょうが、この子は、共通語のニュアンスを正確に把握した上で、この「えか!」を「訳語」として当てており、かつ、それにより岐阜弁臭さをものすごくアップさせていることに感心することしきり。きっと、頭のいい子なんでしょうね。

ちなみに、中国語でも方言萌えがあるようで、上海辺りでは、女の子の話す蘇州方言は最大の萌えなのだそうです。僕にゃ、どちらもほとんど分からないのですけど。

上のような方言がらみの動画を見ていて、結構僕のツボにはまったのは、鹿児島弁でした。イントネーションもさることながら、「…がよ」という言い回しに思わず萌え殺されたのでした。薩摩おごじょはかくありなん、という感じでしょうか。


…そういえば、我が家にも「方言彼女」ならぬ「方言鴨」がおります。
実家に電話したり、シンガポールのX嬢とスカイプで話すときなどには方言丸出しになるわけですが、これが全く萌えなくて。

聴いてて面白いんですけどね…四川方言。

2012年1月9日月曜日

新年かつ旧年

学校が始まりました。
久しぶりに見る友人に近況を聴きながらも、やっぱり先生が授業を始めると、それなりに授業に没頭でき、意外とスムーズに学生生活に戻れるのかな、と思いました(錯覚かもしれないけど。)。

それにしてもこの時期ってのは、特に小鴨と結婚してからは、新年なのか旧年なのかよく分からん変な気持ちにさせられています。というのも、旧暦で言えばまだ旧年で、中国では今こそが「年末」で人々の気持ちが完全年末モードだったからです。

中国の旧正月、ってのは、中国人にとって家族と過ごすべきとても大切な時期。都会に出稼ぎしている人を故郷に送り込む「春運」も1月になれば本格化します。バスや鉄道、そして飛行機で故郷に向かうのです。この時期は、例えば鉄道も大増発で、使い古したいわゆる「緑皮車」と呼ばれる客車も大活躍!人々は、こういった列車にたくさんの荷物を積み込んで、ともすれば二晩以上列車に揺られて(それもともすれば「硬座」と呼ばれる座席車で!)懐かしい家族に会いに行くわけです。

で、上海時代の我が家の場合は、先の記事にも書いたとおり、12月30日頃に日本に戻って日本の新年を僕の家族と過ごした後に1月3日ころ上海に戻り、しばらく上海で「あけましておめでとうございます。それではよいお年を」などと言った後、大体旧暦の12月30日に成都に行って、春節休みの大部分を小鴨の家族と過ごす、なんてことをやっていました。交通機関はやむなく飛行機。だって、鉄道だと30時間以上、1日目の夕方に出て3日目の朝につく計算になってしまうんですから!
この時期の飛行機は割引がほとんどないのですが、それでも成都行きの飛行機はいつも満席!加えて飛行機の中には中国の正月に流れる伝統音楽がBGMに流れ、人々もいつもよりハイテンションで延々おしゃべりを続けるのです。僕はよく上海発夜の9時過ぎの飛行機に乗ったものですが(成都到着は大体真夜中の12時頃)、そんなナイトフライトでも乗客は至って元気なために寝たくても寝られず、機内エンターテインメントなどあるはずもない飛行機で悶々としながら「早く着け、早く着け」と心の中でつぶやき続けておりました。

ともあれ、そういうわけでこの時期は、新年明けで、「よっしゃ、気持ちもリフレッシュ!今年も気合入れて頑張ろう!」という気合を見事に打ち砕いてくれる雰囲気が中国中に充満しているわけです。

さすがにここイギリスでは、そこまでの「新年かつ年末ムード」はありませんが、それでも今年の春節(23日―英国時間22日午後4時)にはせめてささやかなお祝いでもしようか(まあ、餃子を作る程度でしょうけど)と小鴨と言っているところですので、僕の中ではやっぱり少し変なムードであります。

…つーか、ただサボりたいだけか?

いやいや、今年の春節は、やっぱり祝わねばなりません。
そうでなければ、モンマルトルで余りかわいそうではないおじいさんから35ユーロで買ったアレを飾るチャンスがありませんから!(12月23日付記事参照)

そうそう、アレをブログでアップしたところ、小鴨の親友のシンガポールのX嬢と我が母親の両方から、「あの写真のどこに件のブツがあるのかしばらく分からなかった。…え、あれなの?」という反応。更にX嬢にはスカイプで現物を見せると、ご主人のJさん共々呆れ顔。そういえばスイスのE嬢とご主人のJさんも苦笑いしていたっけ。

まあ、少なくともネタとしては今のところ十分に働いてくれていますよ、例のアレ。

新学期が始まります…

12月10日から始まった冬休みも、今日で終わり。
このブログを書き終わるであろう時間は、もう、新学期開始日です。

この冬休みは、2週間すっぽり旅行に出かけていたということはあるものの、それにしても本当にあっという間に過ぎてしまいました。うーん、もっとじっくりと楽しみたかったのに…と後悔しても後の祭り。これからは、おそらく試験終了~論文提出まで、ひたすら勉強の毎日となるのでしょう。そして、このことを逆に言えば、僕のイギリス出国もより具体的な形で見えてきたということにもなります。それが、やっぱりもったいないような気がしてなりません。

でも、最近、まあ、いろいろありまして、なんだか仕事に復帰したいという気持ちも湧きつつあります。この1年、とりわけ前半は、そういった複雑な心理状態の中過ごしてゆくこととなるのでしょう。

ともあれ、そういう意味でも完全に自由な時間を過ごせる最後の日である今日(日曜日)、コロンビア・ロードにある花市場に行ってきました。
コロンビア・ロードとは、イースト・ロンドンにある通りで、毎週日曜日の朝8時から花市が立つことで有名です。小鴨がフラワースクールの同級生から聞くに、花の値段も割安だというので、一度見に行こうということになったのです。

イースト・ロンドンは、僕の大学の本部のある場所もそうなのですが、日本人の観光客が訪れるロンドンとはちょっと勝手が違うところかもしれません。ヨーロッパ以外からの移民や労働者階級の人が多く住み、治安はお世辞にも良いところではありません。街並みもどこか寂れていて、昼から酔っ払いのおっちゃんがふらふらしているという意味では、ちょっと(観光地化される前の)大阪の新世界の雰囲気に相通ずるものがあるかも。まあ、昼間であれば、基本的に問題ない場所なのですけど。

ともあれ、今回は、地下鉄ノーザン線でオールド・ストリートまで出て、そこから55番のバスを乗り継ぎハックニー・ロード/コロンビア・ロードで下車。そこから5分ほど歩いて市が立っている道に着きます。この場所は、ちょっと北に上がればベトナム移民が多く住んでいて、ロンドンのベトナム料理屋はこの界隈に多くあります(我々も以前来たことがあるので、このエリアは2度目ということになります。)。
バス停から市までの道は、おそらく1970年代から80年代に建てられたと思しきちょっと高層のアパートやら、それ以前に建てられた低層のアパートメントやらがあります。前者は、かつてはきっと最先端のデザインだったのでしょうが、それも今は昔。近未来的なコンクリートむき出しのデザインが今や廃墟的な雰囲気すら醸し出しています。一方、後者については、これがなかなかこじゃれたデザインではあるものの、決してきれいに使われているわけではありません。そう、ここは、典型的なイースト・ロンドンなのです。

で、市場。道の両脇にストールが並び、多くの人が集まっていて、なかなかの盛況です。


花もなかなか新鮮なものをそろえていますし、値段も確かにお手頃感が。下の写真でも、1束3ポンドと書いてありますよね。


そうそう、イースト・ロンドンについて、さっき僕はマイナスの面ばかり書いてしまいましたが、実は同時にロンドンで今もっともcoolな場所かもしれません。というのも、若手のアーティストやらが住み着いて、最新のロンドンのモダンアートの発信地になっているからです。そういうこともあってか、道の両脇にはなかなかおしゃれなショップが立ち並んでいて、小鴨は、花そっちのけでショップを一軒一軒漁ろうとします。僕は、それを適宜制止して本題(=花)に戻す役目に。

でも、ここ、今回訪れた限りではなかなかいい場所だと思いました。むしろ住んでもいいかな、と思わせるほどに。非常に庶民的な雰囲気、その中にあるアートな空間は、僕の住んでいる「中産階級」的街並みにはなかなか見られないもので、それがとても魅力的に感じられたからです。


で、こうやって音楽を演奏している横で子供たちが踊っている、なんて様子も、この街ならではなのかも。

そうそう、花市場はなかなか活気があったのですが、花売りのおじさんたちの陽気な掛け声もそれに一役買っていることは疑いようもありません。ただ、このおじさんたちの話す英語は、普通ロンドン中心部で聞く英語よりも分かりにくかったりします。それは、僕のリスニング力のなさもさることながら、コックニー(か、それに近い言葉?)を使っているからでしょう。でも、そういったおじさんの声がまたこの街の雰囲気にマッチしていて、雰囲気が良かったりします。そうそう、必ずしもコックニーだからというわけではありませんが、おじさんたちは、通貨の「ポンド」をpoundとは言っていませんでした。その代わりに、俗語として使われるquidを多用。「5ポンド」だって、"5 pounds" とは言わずに"fiver"です。こんな具合に。


動画の音は少し割れ気味で聞き取りにくいのですが、最初のおじさんは「何でも二束5ポンド!(Any two bunches for(←これは自信なし) fiver!)」と言っているようです。他でも、3束10ポンドとか、6束5ポンドとかいろんな売り声が飛び交っていました。

そして、僕らは10ポンドで花を3束買い、ついでに赤い鉢(9.5ポンド)も。そして(その一部を使って)出来上がった小鴨のプライベート作品。



ロンドンに日曜日にいる機会があれば、ここに足を運んでみるのもおすすめですよ。ちょっと違うロンドンの一面を垣間見ることができますから!

ちなみに最寄のバス停で一番便利なのは、上記のバス停。55番以外にもいくつか走っているようですが、番号は忘れちゃいました。でも、ノーザン線のオールド・ストリートからも15分くらいで歩けます。

2012年1月3日火曜日

AOCチキン

僕は結構鶏肉が好きで、多分肉類では一番好きかも。
なので、KFCはもとより、焼鳥も大好きで、なぜか焼鳥屋がとても多かった松山では、友達と定期的に焼鳥屋巡りをしたりしたものです。

とはいいつつ、僕自身に特段「○○の鶏肉に限るね、フフン」といったスノッブなこだわりがあるわけではありません。まあ、ごくたまーに比内地鶏とか名古屋コーチンとかを食べたら、「うん、なるほど、確かに旨い」ってことは分かりますし、それはそれで満足度が高いのですが、普通に売られているブロイラーでも、いちいちその味をくさすことはめったにありません。まあ、ストライクゾーンが広いといえばそうなのかもしれません。

翻って小鴨は、特に四川に比内地鶏のようなブランド鶏があるわけではないと思うのですが、「土鶏」という、まあ言ってみれば養鶏場の密集した環境で育てられていないような鶏がお好みです(というより、むしろ、「臭み」が嫌いなようです。)。まあ、僕と比べてストライクゾーンが狭いということにしておきましょう。

ともあれ、これまで食べた中で僕として「これはおいしい!」と思った鶏を3つ挙げろといわれれば、次のとおりになるでしょう。写真がないのはごめんなさい。

1 愛媛の旧肱川町(現在の大洲市)にある「ふかせ」の鶏
これは、松山時代の最後に上司に連れて行ってもらったのですが、愛媛有数の清流の肱川を臨む和風家屋の囲炉裏端で炭火で焼いて食べる地鶏の味は、旨みといい、歯ごたえといい、もう格別!僕の経験した限りでは、日本ではベストかな。
…この店、まだあるのかなぁ?

2 安徽省の西逓村の民宿で食べた烏骨鶏スープ
西逓村とは、黄山の近くにある、その街並みが世界遺産に指定されている古い村です。上海時代、この村にある民宿に泊まったのですが、その民宿のおやじさんが「120元出してくれるなら家族のために特別に育ててきた烏骨鶏を料理してあげる」といわれて作ってもらったものです。当然家で放し飼いの「土鶏」です。
そのスープたるや、これまで食べたことのない力強さ!!小鴨も僕も、鶏肉でこんな味があるものかとびっくり仰天でした。肉も噛み応え・旨みともに申し分なく、僕の経験上、中国での鶏の中ではこれが文句なしのベストワン。

3 海南省三亜の文昌鶏
ある年の国慶節休みにかの春秋航空で三亜に行ったときに、噂を聞いてやってきたお世辞にもきれいとはいえない食堂で食べたものです。注文すると、鶏が一羽丸ごと入ったアルミ製の無愛想な鍋が運ばれてきて、テーブルの上にあるコンロにドスンとセットされます。でも、味の方はなかなかすばらしく、88元という(中国の単品料理にしては)高額な料理ではあるものの、二人ではそれだけでもう十分で、上記の安徽省の烏骨鶏以来の満足度の高いスープでした。

いや、前置きが長くなりましたが、ここからが本題。

ヌーシャテル滞在中の26日、E嬢は自宅から車で10分ほどのところにある両親の家での親族一同での食事会に小鴨と僕を招待しました。E嬢の家族は、それぞれが自分の言いたいことをひたすら言い合うとてもにぎやかな家族で(その点では、小鴨の親族たちと似ているところもあるなあ、と思いました。)、完全な客人の我々に対しても熱烈歓迎モードです。いい意味でのフランスの田舎の普通の家族の雰囲気って感じかな。で、もちろん向こうはフランス語ですので、折に触れてE嬢の通訳が必要になるのですが、それでもいろいろ楽しく話をすることができました(僕も、向こうの会話の中で聞き取れたフランス語をキャッチして話に加わったりして、何気にフランス語のリスニングのいい練習だなと思いました。)。

で、そのときのメインディッシュが、鶏肉料理だったのです。
この鶏肉料理、僕がE嬢の甥のミカエル君(4歳)に電車ごっこのような形で家中延々振り回されている間に作られていました。


ミカエル君に振り回されるMimakiirihikoの図





E嬢のお母さんの写真と共に。
味付けは割とシンプルで、下味はバター、岩塩。これにエシャロット+ローズマリーやタイムといったハーブ類を加えただけ。これにジュラ産の白ワインをかけてオーブンで焼くこと30分。5分ごとにひっくり返して肉を白ワインになじませていました。


出来上がりの図。付け合せはポテトです。素朴な盛り付けがまた親しみを覚えさせます。

で、味の方なのですが、この地方共通の塩味の強い味付けではあるものの、鶏肉の味自体は見事の一言。むしろ塩味ベースであるがゆえに鶏肉の味が前面に出てきます。それでも、臭みは全くなく、肉自体の味わいは申し分ありません。肉の臭みにうるさい小鴨もこの鶏肉については絶賛を惜しみませんでした。

…そして、食べているときにE嬢のお母さんがこんなことを言いました。
「この鶏は、私の故郷(=フランス)特産のものでね、唯一鶏肉でAOC(※)が適用されているものなの。私の故郷では、鶏を良く食べるので、『この地方の人の体は鶏肉でできている』なんていうのよ。」

(※ご存知の方も多いと思いますが、念のために説明すると、AOCとは、「原産地統制呼称」というべきもので、つまり、厳しい条件をクリアしたものに限りその土地の産物と名乗ることができる、品質保証認証制度のことです。ワインやチーズなどでは良く見られますよね。例えば、ワインのボトルに、Appellation ○○(地名) Controleeって書かれているものがあるでしょ。あれです。)

そのときは、ゑゑっ!鶏肉にもAOCがあるの?という驚きとともに、AOCチキンならば、その味もむべなるかな、というところで留まっておりました。

でも、無知とは恐ろしいもので…
今、ネットでAOCチキンについて調べてみたら、果たしてE嬢ママのおっしゃるとおり、AOC指定されているチキンは世界でただ一つで、その名もブレス鶏(Poule de Bresse)! なんでもミシュランレストランでも提供されるレベルのフランス最高級ニワトリというではありませんか!で、更に調べてみると、仮に日本で買うとなれば、一匹(約1.5キロ)6000円以上!ちなみに、わが実家の近所のスーパーの新春初売り広告(今はこういったのもネットで見られるのがすごいですね!)では、青森産桜姫鶏のモモ肉が100グラム99円。つまり、ブレス鶏は青森産鶏の4倍以上する代物だったのです。

今回は、人数も多かったこともあり、E嬢のお母さんは、上の写真のとおり2羽焼いていました。日本で買うより安いのでしょうが、今更ながらE嬢の実家の皆さんに改めて申し訳なく、また、ありがたく思ったのでした。

2012年1月2日月曜日

慶祝、そしてスイスの写真

ここロンドンでも、2012年が明けました。
僕たちは結局行かなかったのですが、ロンドン中心部では12000発の花火が打ちあがり、最前列の人はそのために8時間待ちをしていたとか。BBCで見ていたのですが、なかなか見ごたえがありました。

そして今日。ささやかに正月の真似事をしました。
久しぶりのお餅やお雑煮も悪いものではありません。特に、この2週間の旅行で基本洋食だった分、和食のあっさりした味は本当にほっとするものです。

…考えれば、日本人が一番伝統に忠実な日本人になるのって、この正月前後のような気がしてなりません。特に、クリスマス・イブまでは、なんかきれいなイルミネーションの中で、音楽も洋風のクリスマス・ナンバーが流れているくせに、クリスマスを過ぎると途端に和風モードに急転換!まあ、コマーシャルサイドにはそれなりの思惑があるのでしょうが、我々の気持ち自体もやっぱり「お正月」ってのは、何かこう、日本人を「日本人」に回帰させる不思議な雰囲気があるんじゃないかな、って。

そして、僕は、そういったものを全く感じなくなって3年、また、余り感じにくくなって7年ほどになるでしょうか。「余り感じにくくなった」とは、上海駐在を始めて、帰国が12月30日頃、上海戻りが1月3日頃ということが続いたからです。昨日も少し触れましたが、やっぱり何かこう、さびしいな、という感じがしないわけではありません。でも、それは自分で選んだ道だし、その代わりになかなか得がたい経験も(おそらく)しているだろうし、ということで自らを慰めるしかないのでしょうね。

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夕べ、旅行の写真をブログ用に編集しておこうと思い、スイスの部分だけをピックアップして圧縮したのですが、それでも50枚ほどになり、トホホ…といった感じです。
でも、この際ですので、一部をここでアップしておきましょう。

12月25日。僕たちは、ロイカーバート(フランス語:レーシュ・レ・バン)という、プレ・アルプスに抱かれた温泉町に出かけました。

ヌーシャテルは、それはそれはいいお天気で最高のドライブ日和!E嬢も、こんな天気はラッキーだというほどの真っ青な空です。


スイスの高速道路は無料かつなかなかよい整備状況。雰囲気は、坂のきつくない中央道か上信越道か、といった感じでしょうか。何となく日本の長野県辺りを走っているような感覚にもなりました。

車は、ヌーシャテル湖岸を南西に進んだ後、更に南に進路をとります。


正面の二つのこぶのような山は、E嬢の説明では「双子山」(←相撲とは関係ないよ!)というそうな。

…と、レマン湖が右手に見えてきました。雪を頂くスイス(orフランス)の山に抱かれた湖の色は、コート・ダジュールを髣髴させるほどの青さで、山の白のコントラストと相まって、絶景としか表現しようのない美しさです。こういったものが高速道路のサービスエリアから見えるのですから、贅沢きわまりありません。




その後、車は今度は西方向に進路を取り、シオンというところに入りました。E嬢によれば、ここら辺がスイスでももっとも豊かな場所の1つだとのこと。確かに日当たりもよく、ワイン用のぶどう畑もあたり一面に広がっています。


で、高速道路の終点からは、次第に上の写真にあるような山を登っていきました。と、道路標識がそれまでのフランス語からドイツ語一色に。そうです、我々は、スイスのフレンチ・パートからジャーマン・パートに入ったのでした。

そして、雪に覆われた森の中を元気に駆け上がってゆきます。


…そしてたどり着いたロイカーバート。あたり一面雪・雪・雪!!
まずは駐車場で車を止めて村はずれのレストランに足を運びます。車は入れず、雪道を歩くことに!




で、一応場所を確かめようと、クロスカントリースキーのいでたちで上ってきたおばちゃんにE嬢がフランス語で尋ねます。と、このおばちゃん、怪訝そうな顔をした後、"Non francais"と一言(※ほんとは、cの下にひげのようなものが付きます。)。果たしてこのおばちゃん、スイス・ジャーマンの人のようでした。で、E嬢は英語に切り替えて質問。おばちゃんも無愛想な英語で返します。九州ほどの大きさの国で、こんな状況があるってのも非常に興味深く思いました。


前を歩いているのが件のおばちゃんです。

で、たどり着いたレストランで、僕と小鴨は、地元のソーセージ料理を食べました。これがでかくて、かつ、美味!!ちなみにE嬢夫妻は、チーズフォンデュをチョイス。一口ご相伴に与りましたが、やっぱり本場はちゃうわー、と思ってしまいました。


ちなみにこのレストランのウエイトレスのおばちゃん、おそらくドイツ人だと思うのですが、E嬢がフランス語で話しかけたら完璧なフランス語で対応し、僕たちには僕たちより上手な英語でも話しかけてきました。観光地ゆえ必要に迫られてなのかもしれませんが、思わず脱帽です。これもスイスの奥の深さか?

お腹を満足させた僕たちは、いざ、ロイカーバートの街中を通り、温泉へ向かいます。



そして、温泉。
残念ながらカメラを持ち込めなかったので写真はないのですが、もう、これがすばらしいの一言に尽きます。
ヨーロッパの温泉は水着着用で、ここには屋内・屋外それぞれにプールのような温泉設備があるのですが、特に屋外のそれは、本当にプレ・アルプスの峰峰に抱かれ、ちょうど夕暮れの時間に当たっていたこともあり、言葉では言い表せないほど幻想的な風景でした。西から東にかけて赤から青へと変化する空のグラデーション、西日を最後まで浴びて赤く染まる雪の峰の頂、西に見える宵の明星と新月…。ハイジがフランクフルトであこがれていたスイスの景色はかくあるものか、とも思いつつ、日本を出て以来7年めったに入れず、特にヨーロッパに来てから全く入ることができなかった温泉を心の底から堪能したのでした。

温泉を十二分に楽しんで外に出ると、そこは、雪深いスイスの田舎の夜の風情。これもまた格別の興趣でした。




…そして、僕たちは、来た道を戻る格好で、夜の9時半、ヌーシャテルに戻ったのでした。
本当に楽しいスイス温泉紀行でした。

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というわけで、最後になりましたが、今年も本ブログにお付き合いのほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます!
そして、震災の復興にいろいろな形で尽力されている皆様に、心よりの敬意と応援を表したいと思います。