2011年6月27日月曜日

"Last" weekend in B'mouth

ボーンマスにやってきたのが8月30日。それから数えること約10か月。ボーンマス生活の最後の週末でした。

金曜日は、ハウスメイト+特にお世話になった先生・スタッフたちを招いての謝恩パーティーを企画。それなりに盛り上がったんじゃないか、って思います。こんな機会でもなければなかなか先生たちともじっくりとトークもできないので、その意味でも良かったな、と思ってます。

が、しかーし!
このパーティーのために、僕たちは日中の料理を中心に全ての料理を16人前(=パーティー参加者)の分量で作ったものだから、たーくさん余ってしまいました!!考えてみれば10種類近くの料理を全員が1人前ずつ食べるはずなどないのですけど。で、麻婆豆腐に至っては、小鴨が豆腐を5丁買うといって聞かず(さすがに僕は多すぎると思って反対しましたが…)、それはそれは大量に余ってしまったのです。

でも、このStudent Houseの住人は、妙に団結力があるんですよね。誰からともなく声を掛け合って、土曜日は、昼と夜にみんなが集まって食事会となり、日曜日の夕方の時点で、クスクスと麻婆豆腐(←まだか!)が若干残るまでになりました。

でも、これだけ同じものを食べると、好物であってもさすがに飽きるし胃がもたれてくるのは世の必定。僕たちは、日曜日の夕方、とうとう我慢できずに外の日本食屋で夕食を食べてしまいました…。

まあ、これも「最後の週末」の良い思い出、と言えそうです。

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先週来、Swiss-FrenchのE嬢は、ひどい風邪を引いています。医者に行ったところ、ウィルス性のものだと診断されたものの、余り薬を出したがらない(=よく言えば自然治癒力を重視する)医者のようで、病状がなかなか改善しません。あれだけ外に出るのが好きなE嬢にとって、家の中に1週間近くも籠ることが耐え難いことは想像に難くないわけで、かなりへこんでいるようです。
でも、彼女のすごいところは、(それは多少無理しているのかもしれないけれど、)そんな病状でもしっかり食べているところです。それとも一般的に女性は病気に強いのでしょうか?僕などは、微熱がちょっと出ただけでもすぐに青菜に塩となってしまうので、本当にびっくりです。

ここイギリスは、先週はずっと「○○時々××ところにより一時△△」の各所に「晴れ」「曇り」「雨」のいずれかが適宜入るという、まことに天気予報要らずの天気が続いていました(というか、天気予報自体もころころ変わるので全く当てになりません。)。温度は20度行かないのが常態だったかな。そのため、体調管理も決して簡単ではなく、このStudent Houseでも、E嬢以外のメンバーも風邪を引いたりしています。僕もちょっとやばい、と思った時期がありましたが、幸いすぐ薬を飲んで一晩寝て回復しました。
ところが、今日は、信じられないくらいの暖かさ&晴天。今年一番の暑さのようにすら感じます。でも、イギリスの家にはエアコンなどないのが普通で、当然この家にもありません。なので、今も寝る前ですが、やや寝苦しい感じ。とはいっても、朝はまた10度代前半くらいまで落ちるんだろうな、と思うと、布団を薄くするのも難しく、なんともやりにくい天気です。

かくて、ボーンマス最後の週末は、静かに、穏やかに過ぎたのでした。

2011年6月24日金曜日

ジャポニズム

時は19世紀。フランスを中心に、ジャポニズムが(特に芸術界で)一世を風靡したとか。

この話自体は世界史の教科書でも出てくるほどの有名な話ですので、当然予備知識はあったわけですが、(カーディフだったっけ?それともルーブルだったっけ?それともどちらとも?!)実際にゴッホか誰かのジャポニズムの影響を受けた絵を見た時、そして、ここボーンマスでも、Russell-Cotes Art Museum(これが意外と見ごたえがあった!)なるところに行ったところ、しょっぱなの展示コーナーが日本コーナーだったのを見た時、なんかとても不思議な気持ちになりました。
だって、確かに当時ヨーロッパでジャポニズムが受け入れられたのは、一種の異国趣味的な部分も多々あったのでしょうけど、「ヨーロッパ社会自らが日本文化(そしてそれはおそらく当時の日本人が文明開化の名の下に進んで捨てようとしていたもの)を進んで受け入れ、吸収したと」いう紛れもない足跡を目の当たりにしたわけですから。

文化の伝播、というのは、こういうものなのでしょうね。つまり、文化の伝播のキャスティングボードは、文化を伝える側にはなく、むしろ受け入れる側にあるんでしょう。
だから、いくら「うちの文化は最高でっせ~~」と一生懸命PRしたところで、受け入れる側が受け入れなければそれはせいぜい「一時の流行」になれば上出来で、文化の伝播したことにはならない(ともすれば、「いらんものを勝手に押し付けるな!」と反発を招いてしまうんじゃないかな。)。
逆に、たとえ伝える側が何にもしなくても、受け入れる側が「あ、これいいじゃん」と思えばそれは持続的なブームになり、最終的には受け入れる側の文化の一部を構成することになるわけです。

別に僕は日本文化を何かことさら礼賛する意図は全くないものの、日本文化はおそらくジャポニズムの時代から、(おそらく戦争時代の中断はあったにせよ)連綿と自然な形でヨーロッパ文化に受容されているのではないか、と思えてならないのです。言い換えれば、僕にそう言わせるくらい、日本文化がヨーロッパの中で自然に根付いていることに驚かされてきたんですよ。

例えば芸術品。
例えば生活用品(例えば、ちょっと形は違うけど、布団は、Futonという名の下に寝具の一種として受け入れられています。)
例えばカラオケ(まあ、ここではカラオケボックスじゃなくて、例えばパブが金曜日にカラオケデーになるとかいったものですが。)。
例えば食品(アジアで広く使われる食材でも、Tofuはもとより、ShiitakeとかEnokiとかいう標記をみれば、おそらく日本経由で人口に膾炙されるようになった可能性が高いですし、日本料理自体、正統なものからヨーロッパ風に改造されたものまで、広く受け入れられていることは周知のとおりです。)
そして、言うまでもなく、アニメetcのソフトコンテンツ。

でも、次のようなことに思いを馳せると、文化の伝播に関する上のような考え方は、僕が日本人だからなのかもしれません。
…以前学校の授業の一環でプレゼンテーションをやった時、僕は、「日本の変な習慣」をテーマにしたのですが、その後の質疑応答の流れの中で、「日本というのは外来の文化を容易に受け入れる傾向にある」という説明をした時、韓国人の学生が、「それでは、自分の固有の文化がなくなってしまわないの?」という質問をしてきたんです。その時、日韓間の文化の本質的相違を感じずにはいられませんでした。
つまり、日本文化というのは、「受け入れ⇒自分たちにフィットするように消化(or昇華)」の繰り返しにその本質がある(それが本質であるゆえに、本質的部分での固有性の喪失を懸念する必要性に乏しい)一方、韓国文化は、(僕は余り歴史的に詳細に検討したことがありませんが、)少なくとも「光復」後においては、国民国家を形成する上での不可欠のイデオロギーとしての「民族の固有性」が強調された結果、「文化」も「民族の固有性」につらなる「不変の価値観」と位置づけられやすい(それゆえに外来文化の流入に対する「防衛本能」が働きやすい)のではないか、と。

これを敷衍すれば、おそらく日本と韓国とでは、「文化を伝える」ことに対する考え方もきっと違うんだろうな、とも思うんですよ。つまり、日本の場合には、自らがそうであるように、相手方にも「ワタシこんな者ですけど、お暇なら来てよね♪」的な発想にある一方、韓国の場合には、「民族性に裏打ちされたこのすばらしき文化、他の者にも教えてくれよう!」的な発想になりやすいんじゃないか、ってね。

そして、そう考えると、日本における「韓流」にかかわる各種の様相について、自分なりにストンと落ちるるところがあったのでした。

…まあ、僕は文化論の専門家でも何でも全くありませんので、これはあくまでも僕の経験に基づいた主観的意見ですし、文化の優劣を論じたものでもありませんので、この点ご了解のほどを!

2011年6月19日日曜日

極度乾燥(しなさい)

変なタイトルですが、これ、イギリスでちょくちょく見かけるカジュアルファッションのブランドの名前で、結構たくさんの人が着ています。
英語ではSuper Dryと記載されているので、おそらく「(しなさい)」の部分は、「dryには名詞的意味と動詞的意味との両方がありますよ」、ということを示そうとしているのかもしれません。そうだとすると、まあ、英語と日本語の翻訳についても考察を与えてくれる結構なブランドネームといえますな。

でもねえ、このブランドの服、ノリで買うには決して安くなく(少なくとも激安で有名なPRIMARKよりは高い!)、かつ、書かれている日本語はやや奇妙(文字としては確かに実在する文字を使っていて、単語レベルでも実用に堪えるものですが、(句やセンテンスとしての)全体として意味を成していない)なので、小鴨も僕もいまひとつ触手がのびません。なんか恥ずかくてね。

まあ、これは、日本人が例えば“I'm crazy”とかいう言葉がプリントされたTシャツを着て意気揚々と街を歩いているのを見て、英語圏の人が「おや?!」と思うのと一緒なのでしょうね。
この点は、まあ、いわば「目くそ鼻くそ」なのでしょう。

そうそう、以前ボーンマスにもやってきた僕のいとこが家族を連れて昨日パリ入りしたとのこと。その後ロンドンにも行くとのことですが、週半ばにボーンマスから抜け出すのはやや難しく、会うことはできなさそうです。ロンドンに住んでいたらよかったのですが。、
まあ、こうやって海外に住んでいると、「友あり遠方より来る」というのはなかなか得がたいことなので、ぜひとも歓迎したくなってしまうのが心情なんですけどね…。

考えてみれば、ボーンマス生活もあと2週間となってしまいました。
振り返れば本当にあっという間の10か月で、自分自身がここを離れるということがいまひとつ実感が湧きません。昨日、Town Centreに行ってきたのですが、見慣れた街の景色や海の景色がもう少しで日頃得がたいものになってしまう、と思うと、少しでも眼に焼き付けておこう、と思ってしまったのでした。

2011年6月16日木曜日

鴻鵠の志、ならばよいのだけれど。

留学をするに当たっては、お金の問題が一番のネックになるわけですが、これが「物価の高いイギリス」かつ「2年計画」かつ「ヨメ連れ」かつ「完全自費」ともなると、相当の額を覚悟しなければなりません。
というわけで、僕は留学の数年前から何とかお金をためるのに腐心し、(たいしたことはないですが)ちょっとした資産運用の真似事などをしてきたわけです。例えば利回りのいい外貨建ての商品を買ってみたり、国内の株を持ってみたりと。

でも、特に2008年の金融危機以降、思ったようには資産は増えませんし、外為相場に至っては2006年ころのあの円安はどこへやらという円高状態が続いています。最近の動向にしたって、大地震もあり、日本がこれほどズタボロなのに、なんでこんなに円が高いのか(せめて1ドル=100円程度になれば色々楽なのに)、と思うことしばしばです。

そんな矢先、(僕にとって)ある偉い方から電話があり、近況報告がてらそんな話を振ってみました。
曰く、日本もひどいけど、他のハードカレンシー圏(特にユーロとドル)はもっと悲惨。加えてエマージング国の通貨は軒並み自由な流通が許されておらず、本来そこに入っていくべきだぶついたマネーが「まだまし」な日本円買いにつながっているんじゃないか、との分析。

僕も前者については、ユーロ圏ではないもののイギリスの経済がいまひとつなのは肌で感じていますし、ユーロ圏自体は所属国の経済破綻でやっぱりズタボロなのは容易に推測できます。スペイン人の友人が、ポルトガルが飛んだ時に「次はうちなんだけど、うちが飛んだらユーロ自体が飛ぶよなあ。でも、そうだからこそ回避に走ると思うんだけどねぇ」とぼやくくらいの綱渡り状態のようです。アメリカに至っては、日本のマスコミはなぜか余りはっきり言わないようですが、破壊力満点の債権のデフォルトの危機があるといううわさを聞いたことは1度や2度ではありません(ここのところ、僕も間接的な情報しかないので、あくまでも噂の域を出ない話ですが、少なくとも、日本がここまでひどい中で円ドル相場が円安方向に振れないのには、ドルの側にも何らかの深刻な問題があると考えるのが合理だと思いませんか?)。
また、後者については、僕は考え付かなかった分析の視点で、なるほどなあ、と思いました。その方からは面白そうな本を紹介されたので、機会があればボーンマスの本屋をあさってみようと思っています。

…そう考えると、今という時代は、いろいろな意味で世界史に残るべき歴史の大転換点なのではないか、と思ってしまうんですよ。それはきっと、冷戦終結よりもはるかに大きいくらいの。だって、経済のグローバル化という歴史上例を見ない状況下において、世界のほぼ共通の認識となっている「既存の(自由主義)市場経済」が終焉を迎えようとしているのですから。かつ、それに替わる新しい秩序が一体何であるのかが誰にも分からない。僕も色々考えてみたのですが、当然分かるはずもなく。
…結局、世界の多くが感じているであろう時代の閉塞感は、出口のないトンネルを進んでいることに原因があるんじゃないか、と思わずにはいられません。

でも、ある意味、そういう時代だからこそ、今一度仕切りなおしがてらこうやって留学できていることは、とても幸せなことなのかもしれません。だって、日々のしがらみから離れて、思考を純化することができるのですから!
なので、僕は、この留学を通じて、「夜明けのない夜」に夜明けがあることを指し示すことに少しでも貢献できる人間になれればなあ、と壮大なことをふと考えてしまうのでした。

…とは言いつつも、それが同時に「円安になってくれ!」という私的願望にもかかわってくるよな、と思うと、僕の志もまだまだ燕や雀のレベルなのかもしれません。

2011年6月13日月曜日

CAE又来了!

后天又有CAE考试,但这次却跟我自己无关。曾经参加了CAE班但最终放弃考试的我,感觉有点复杂;上次我应该考吗? 我的选择是对的吗?

在学习外语(特别是在国外留学)的过程中,学生们最关注的事当然是“提高语言水平”,而CAE、HSK之类的考试就是语言水平的权威性证明,因此他们总是以通过考试为目标。在这样的环境下决定不考试时,我在感到压力释放的同时,又有一种失落感,虽然CAE并非我所需要的英语证明。

但是我又认为,语言考试只不过是“语言达人”路上的阶石而已,岂能把它看得过重呢? 换言之,不同的人有不同的进步速度,我在CAE班的时候的进步程度达不到CAE的水平,这并不意味着我的英文水平不会提高。实际上通过CAE学习我的英文水平确实有所改善,特别是听力和精读。。。

…あーしんど。CAEネタを中国語で書くと、なんだか過去の愚痴みたいになって書いていて面白くなくなってきたので日本語に戻します(つーか、中国語を忘れてしまっている恐ろしさのようなものを感じてしまったからでもありますが。)。

今日、学校が終わって小鴨と買い物に行った帰りに、僕のもとクラスメイトの韓国人のM嬢と道でばったり鉢合わせました。M嬢は、先生の勧めでCAEクラスに行ったのですが、CAEクラスでしっかり揉まれたようで、参加当初の不安感はどこへやら、話す英語もどことなく自信が感じられました。もともと素直でまじめな子なので、きっと真剣に取り組んできたのでしょう。一緒に写真を撮るという約束が延び延びになっていたこともあり、これ幸いにと路上で写真をパチリ。

状況は異なるにせよ、僕とは異なり、最後まであきらめずに試験を受けるに至ったM嬢に敬意を表するのと同時に、僕の分まで(いや、先方にとっては迷惑かもしれないけど、とりあえず!)、あさっての試験で頑張ってほしいと心から祈る次第です。

2011年6月12日日曜日

家探し・ロンドン場所

木曜日から、家探しその他もろもろの用事のため、ロンドンに行っていました。ボーンマスの家には、2時間前に戻ってきたところです。

結論から言えば、何とか見つけることができました。

でも、ロンドンの家探しがこんなに大変だとは、正直思ってもみませんでしたよ。
ほんと、(ある程度場所を絞ったものの)ロンドンをあちらこちら動き回り、いくつかの不動産屋に駆け込んでは内覧を申し込み…。でも、ロンドンでは、日本でいう1DK程度の小ぶりの物件であっても、日本人好みするような「小ぎれい」なものとなれば、六本木ヒルズのアパートに住むくらいの家賃を出さない限り、都心部ではなかなか見つかりません。なので、手ごろ(と言っても、家賃は大体東京の1.5倍から2倍と理解してください。)な物件を求めるならば、郊外に出るか、人気のない(治安の悪い地域orそれと隣り合わせにある)地域かに絞らざるを得なくなります。

で、僕たちの場合は、小鴨がいるということもあり、前者の選択肢を取ることにし、最終的に北の方の、地下鉄のゾーンで言えばZone4に当たる場所で決定しました。ちょっと遠い感じもありますが、都心まで地下鉄で30分弱。ちょうど大阪で言えば千里中央から難波まで、といった感覚でしょうか。そう思えば決して遠い距離ではありませんよね。

それでもねぇ、金曜日、それこそロンドンを色々這いずり回って全く見つからなかったときの虚無感といったらありませんでしたよ。おまけに途中3回雨に降られるし。その日の夜は、チャイナ・タウンの湖南料理店で、二人ともやけ食いをしたのでした…。
で、今日は、最後の頼みの綱、と言わんばかりに日系の不動産屋に出かけたんです。スタッフの日本人と日本語でやり取りして、金曜日には見ることができなかった「まともな」(というより、ちゃんとした家らしい)家の紹介を受けたときは、僕もほっとしましたし、小鴨に至っては「思わず涙が出そうだった」とか。

…自分で家賃を払う物件としては、今までで最高額となりますが、まあ、ロンドンに住むならばこれも致し方なく、また、かろうじて予算の範囲内でしたので、僕としては、結構満足しています。どうもご近所さんには日本人が多いらしい、ということを除けば…。


そして、ボーンマスに帰る道すがらの話。

列車はウォータールー駅から一路南西に向かって動き出しました。そして、しばらくすると、のどかなカントリーサイドの風景となりました。その時、僕たちは、なぜイギリス人がカントリーサイドを好むのか、が少し分かった気がしました。

その後、列車は、ウィンチェスターに止まり、その後サザンプトンに止まりました。どれも、耳によく覚えのある地名ばかりです。その時、僕たちは、いかにボーンマス、そして南西イングランドになじんでいたのかに気付きました。

家に着いてドアを開けると、いつもの仲間が何人か集まって食事をしていたのが眼に入りました。その時、僕たちは、いかにこのStudent Houseがすばらしいか、ということを確信したのでした。

2011年6月7日火曜日

LCC体験記

LCC。ご存知の方も多いと思いますが、Low Cost Carrier(格安航空会社)のことです。
というわけで、今回は飛行機のお話。

先月のヨーロッパ旅行の最後は、ピサからボーンマスまでのフライト。で、キャリアは、以前お話したように、「LCCの中のLCC」ともいうべきライアンエアーだったのでした。
いやはや、「人間を飛行機で運ぶこと」以外はなんでも別料金なことは、予約の段階から十分すぎるほど分かっていたんですが、それ以外でもすごいと思ったのは、完全自由席で、かつ、搭乗は飛行機の前後2箇所(いや、ジャンボ機のように前2つではないんです!)からで、もちろんボーディングブリッジのような金のかかるものは使いません。加えて、「定時運行したいから早く乗り込んでください!」と客に催促するに至っては、今まで僕が持っていた航空会社のサービスの概念を見事に打ち破ってくれました。

…でも、結論からすれば、僕はライアンは十分許容範囲内だな、と思いました。2,3時間のフライトならば。その程度ならば、大体離陸してちょっと一眠りすればついてしまうので、途中のサービスは特に必要ありませんし、エンターテインメントにしても、自分で本なりiPodなりもってくればいいわけですからね。
で、ボーンマスには定刻(やや早め)に到着したのですが、その時機内にファンファーレが鳴り渡り、「ライアンエアーは今回も定時運行に成功しました!」とか何とかいうアナウンス(もちろん録音済みのもの)が流れました。もちろんみんながウケたことは言うまでもありません。こういうユーモアある「演出」は、日本の航空会社では余り考えにくいかなぁ。

翻って日本では、だいぶ昔ですが、大阪から札幌までスカイマークに乗ったことがあります。まあ、日本的にはこれもLCCの類になるのでしょうが、ライアンの徹底振りから比べると、まだ甘いんじゃないかな、と思います。まあ、あの徹底振りは、確かに日本人の気性には合わないと言えばそうかもしれませんが。ただ、やたら狭かったこと(感覚的には今回のライアンよりも狭かったような気すらします。)だけは、強い印象として残っています。

そうそう、中国でもLCC乗りましたよ、最近茨城空港にも顔を出すようになった春秋航空。国慶節の時に、上海から海南島の三亜まで往復利用しました。片道約3時間ちょい?のフライトです。
少なくとも僕のLCC体験の中では、あえてこれをワーストに挙げましょう。だって、「うるさい」、「意味もなく臭う」、「狭い」、「決して安いとはいえない」、「発券システムが面倒」なんですから!

うん、これだけじゃあ妙な偏見を生んでも困るので、具体的に説明しましょう。
(1) うるさい
これ、普通の中国のキャリアなら、「客がうるさい」という意味になるのでしょうが(特に春節前の飛行機に顕著…これはこれでうんざりですが)、春秋の場合には、これが「乗務員がうるさい」ということになります。
何でか、というと、離陸後しばらくすると、フライトアテンダント(FA)が観光バスよろしく前方でマイクを持って、協賛会社の商品やオリジナルグッズを1つ1つ、テレビショッピング風に紹介するんですよ。それも時間を問わず。僕が乗ったのは、上海発夜の10時過ぎ、三亜着深夜2時ころ、というナイトフライトですが、こちらとしては機内で少しでも寝たいのに眠れない(眠らせてくれない)んです。

…想像してみてください。真夜中眠いのに、ジャパネットたかたのスタジオに閉じ込められて、煌々と光る電気の下、高田社長のセールストークを強制的に延々聞かされることを…。まだ高田社長の方がトークはずっとうまいので聞きたくなるかもしれませんが、FAにそれほどの技量などあるわけもなく…。ほんと、拷問です。

(2) 意味もなく臭う
これ、普通の中国のキャリアなら、「シートが臭う」、とか、「何日間か髪を洗っていなさそうなおっさんが近くに座っている」ということを意味するのでしょうが、春秋の場合には、「FAが売りに来る食べ物が臭う」ということになります。
機内では、食べ物は当然有料なわけですが、食にうるさい中国人のニーズに応えるべく、ほかほかのセットミールとか煮物(豆腐とか、鳥の足(もみじ)とか)がFAの押すワゴンで行き交うわけです。で、こういった食べ物には、往々にして八角とかの中国独特の香辛料が使われてますので、まあ、飛行機という機密性高い空間の中に、中国語でいう「五香味」(+α)が充満するわけです。
で、僕自身、決して中国独特の香辛料が嫌いなわけではない(むしろ好き)なのですが、飛行機の中でまで執拗に嗅ぎたいものでもありません。これにも僕はうんざりでした。

(3) 狭い
LCCの座席が狭いことはどこも共通なのですが、春秋の狭さたるや、ライアンやスカイマークの非じゃないように感じるのは気のせいなのでしょうか・・・?

(4) 決して安くない
春秋は、確かに時々びっくりするくらい安い値段を出すこともありますが、春節や国慶節のような書き入れ時には、ほとんど値段を下げません。主要なキャリアよりも気持ち安い程度。一方、主要キャリアも、場合によっては6割引とか半額とかのチケットが出ることもありますので、上記の不便を受け入れてまで春秋を選ぶインセンティブが、少なくとも僕においては働きません。かつての僕の上海事務所のスタッフも、一度春秋に乗った後、「もうおそらく2度と乗らないと思います」と言っていたことを思い出します。

(5) 発券システムが面倒
これは今はよりe-ticketの普及で改善されているのかもしれませんが、僕が乗ったころ(2008年)は、いわゆるIATAのシステムでの発券がなされないため、わざわざ春秋旅行社(春秋航空は、春秋旅行社という旅行代理店のグループ会社です。)のオフィスに行って発券してもらいました。それも、手続の不備があったようで、妙に時間がかかったことを覚えています。

…という具合なわけで、何かがない限り僕が再び春秋航空に乗ることはおそらくないとは思うのですが、それでも、中国では、今でも高い人気があるようです。上でお話したように、旅行代理店と一体になっているので、旅行社が企画するツアーに組み込むことが可能ということもあるのでしょうが、やっぱり1元でも安いのは魅力的、というのは否定しがたい事実なわけで。

ともあれ、ヨーロッパに住んでいる限りは、またいつかLCCのお世話になることもあるでしょう。
でも、最低限、安全だけには気をつけてほしいですよね!

2011年6月5日日曜日

俺を祝え!

昨日は、Housemateたちが誕生日パーティーを企画してくれました。これは、サプライズ企画だったようですが、3日の夜からの彼女らの行動が何となく怪しいし(例えばケーキの材料を混ぜているとか)、例のE嬢がこういうときに何もしないということはおよそ考えられないことを併せれば、「お、何かやらかそうとしてるな」ということは容易に想像がついちゃいます。でも、サプライズにあえて乗ることも、もてなされる側の礼儀なわけで。

でも、予想以上でしたよ、実際。彼女ら、炭まで買ってきてBBQまでしてくれたんですから!結果、夜中の1時ちょっと前くらいまで楽しく過ごしました。お腹も一杯過ぎるくらい一杯になったし。いずれにせよ、スイス(-フランス)人、ドイツ人、ベネズエラ人、台湾人、中国人、そして日本人が一つ屋根の下で話に興ずる、ってのも、なかなか乙なものでした。

それにしても思い返すは去年の誕生日@上海。6月1日か2日ころ、小鴨が「そういえば4日はmimakiirihikoの誕生日だよね」と言ったにもかかわらず、当日は、朝起きても、小鴨からの「Happy birthday」/「生日快楽」/「お誕生日おめでとう」の一言もありません。一方、日本の両親、兄弟、親戚からは続々とお祝いメールや電話がありましたし、オフィスのスタッフは、それこそサプライズ企画をしてくれて、みんなの「祝你生日快乐~」の歌声に包まれケーキを食べたりしたのでした。

で、夕方、僕は小鴨に、ちょっとしたところで飯を食うか、それとも泰康路とか新天地あたりで一杯やるかといって小鴨にそれとなく話題を振ってみたんです(実は、その時は、仕事着も普段よりはややいいものを着ていました。これは小鴨も今でも多分知らない事実)。
でも、当時上海万博のジャパンウィークを目前に控えて忙しかった小鴨には、僕の必死の間接的アピールは一向に届かず、「疲れた、家の近くで食べて早く帰りたい」との一点張りで、結局、家の近くの広東料理屋(※)で食事をしました。もしかしたら最後にサプライズを用意しているんとちゃうか、と淡い期待も抱いてみたのですが、待てど暮らせど一向にサプライズは現れません。で、最後のお粥も啜り終わったところで、小鴨が職場の人の話を滔々としていたところ、職場の誰かの誕生日とかいう話になり…

(※)広東料理屋とはいっても、いわゆる「茶餐庁」っていうところで、大衆食堂です。実際、料理はプラスチックのお皿で出てきますし、お茶も(かの上海の)水道水を沸かしたお湯で淹れる(つまり、お茶がまずい)ようなところです。


「…(数秒)…あ、あーっ!!ごめーん」

……



ほんまに忘れててんや、我がヨメ。。。
いや、30台後半ともなれば、誕生日を祝ってほしいなどとはあまり思わなくなるのですが(それに男はそもそも誕生日にそれほどの思い入れもないんじゃないかな?)、こうも周りのみんながしっかり覚えているにもかかわらず、いつも一番近くにいる小鴨だけが完全に忘れていることがなんとなく悲しかっただけなんです。

===

さて、それから時は流れて1年後。
今回は、更にインターナショナルな雰囲気の中で楽しい誕生日を過ごしたわけです。
小鴨といえば、最近凝りだしたピザを生地から作り、これはこれでおいしかったです。
…とまあ、ここまでは良いのですが…

昨日は、朝起きてから何度も何度も「happy birthday」を繰り返します。そんなに言われたらありがたみがなくなると文句を言ったところ、小鴨は、

「これで後10年言わなくても大丈夫でしょ?」

…orz

で、みんなで食事中、当然去年の話をネタにするわけですが、その時、小鴨曰く、

「去年のことがあったからこそ、今年はよりありがたみを感じるでしょ?」

…(T_T)

2011年6月4日土曜日

Memoirs of Geisha

邦題は「SAYURI」。チャン・ツィイー(章子怡)が主役をした映画としてよく知られている、あれです。
で、今、その原作(を英語学習者向けにリライトしたもの)を読んでいるのですが、うーん…といった感じなんですよ。
まあ、英語にドンピシャの言葉がないという事情は分かるにせよ、京都の芸妓、舞妓をGeishaと呼ぶところからそもそも腑に落ちないし、祗園を花街というより色町という感じで捉えているんじゃないか、と感じさせてしまいます(少なくとも外国人にはそう感じさせるに十分だと思います。)。
そりゃね、確かにあの世界もきれいなだけの世界ではないことは当然ですよ。でも、あのままの描写では、単に欧米でみられる人間模様にきれいな着物を着せただけのような気がして、あの祗園の世界が生み出す独特の「みやび」が感じられないんですよ。原作者はお茶屋に上がったことがあるのだろうか、と、ふと訝しくもなったり。
そして、読みながら祗園の街並みや四条大橋、八坂神社のあたりを想像したり、果ては登場人物の台詞を京都弁に脳内変換しつつ、何とかして「みやび」を補おうとする自分がいるのにふと気付いたのでした。

昨日(2日)の夜、もとハウスメイトで今は別のStudent Houseに住んでいたスペイン人の女の子の送別会に参加しました。まあ、スペイン人主催のパーティーですから、その結果はご想像のとおりでありまして、今日は、僕自身決して悲惨な状態となったわけではありませんでしたが、すっかり弱くなっている自分自身の肝臓に愕然としたのでありました。ビール2パイント+ワイン1/3ボトル+テキーラ2ショットが翌朝残るなんてのは、わが飲酒暦からすればとてもショッキングなことなんですよ…。

まあ、というわけで今日は休肝日とすることに決め、夜もふらっとパブに行きましたが、酒を飲まずにスパークリングウォーターをオーダーし、上記の本を読んでいたのでした。

このところは、夜の10時前でも薄明るいのですが、パブを出た11時20分ころはさすがに日が暮れて星がきれいです。東の空には、夏の大三角形も上ってきています。と、はくちょう座のデネブのあたりで、ツッと流れ星が現れて消えました。
あまりに突然のことだったので、お祈りする時間はありませんでしたが、何かいい知らせかも、と、なんとなくうれしくなりつつ家路を急いだ36歳最後の日の夜なのでした。