TFL。別にTRFの間違いじゃありませんよ(つか、このネタを引っ張ってくるだけでジェネレーションが分かったしまうのが悲しいです。ま、trfと書かないだけましかな?)。
ともあれ、TFLとは、Transport for London、言ってみれば、「ロンドン市交通局」のようなものといえばよいのでしょうか。ロンドンのアンダーグラウンド(地下鉄)やバスなどを統括する部門です。
ロンドンの地下鉄は、週末ごとにどこかで工事をやって運休するのが常ですが、このところ、僕の住むノーザン線のハイ・バーネット支線(※)が毎週末運休するので、週末に街に出るのが不便でたまりません。こういったことをインターネットや(登録すれば)メールで詳しく情報提供してくれるのはありがたいのですけど。
(※)ノーザン線は、カムデン・タウンを挟んで南北に2つずつの支線(ハイ・バーネット/エッジウェア及びチャリング・クロス/バンク)があって、それぞれが交互にクロスしながら運行されています。
こういうときは、TFLも気を利かせて地下鉄の走る最寄の駅までRail Replacement Bus(代替バス・無料!)を出すので、都心に出るのが不可能というわけではないのですが、それでもいくらか時間がかかるので億劫ですよね。
で、昨日もまたまた地下鉄が運休となってしまったので、代替バスを使っての移動となったのです。
ハイ・バーネット支線が全部運休の場合には、僕の住んでいるところからは同じノーザン線のエッジウェア支線のゴルダーズ・グリーン行きの代替バスが出て、10分ほどでゴルダーズ・グリーンに着くのでなかなか便利だったのですが、今回はあいにくハイ・バーネット支線の「一部」運休。となれば、代替バスはゴルダーズ・グリーンに行かず、ハイ・バーネット支線が折り返すアーチウェイまでのバスとなっていたのでした。
前置きが長くなりましたが、ともあれこれに乗ったのですが、もともとアーチウェイまでは距離があるのに加えて、渋滞にも巻き込まれ、アーチウェイまで半時間ほどかかってしまいました。そして、アーチウェイについて地下鉄に乗ろうとしたら、この日に限ってハイ・バーネット支線の列車が全てバンク支線経由とのこと。もともとチャリング・クロス支線方面に行こうと思っていた僕らはとことんついていません。
…まあ、ロンドンの地下鉄は東京並みに入り組んでいるので、バンク支線からでもルート構築しやすいのがありがたいところですけどね。結局、無事目的地(♯)に到着です。
(♯)このあたりの話については、次のブログで紹介できるかも?
で、この日はいろいろふらふらした後、ロンドンの大きなデパートの1つのセルフリッジズまでやってきました。こうなったら、家に帰るのには82番のバスが便利!少し時間がかかりますが乗りっぱなしで最寄のバス停まで行けるし、上記のとおり、この日はどのみち地下鉄で最寄り駅までいけないわけだしで、早速やってきた82番のバスに飛び乗って2階の席を陣取ったのでした…。おおよそ7時半くらいでしょうか。
でも、そこからが地獄でした…
82番のバスは、セルフリッジズを出発後、一路北に向けて普段どおりに走ります。と、フィンチリー・ロードに入ったあたりから、渋滞に巻き込まれだしました。それも普段とは違った感じで。小鴨と「これじゃあ8時半位に着きそうだね」なんて話をしていました。
渋滞に巻き込まれたバスは、それでもゆっくりと歩を進めて、ようやくフィンチリー・ロード駅の辺りまでやってきたのですが、行く先にはなぜかパトカーが止まっていて、迂回を促しています。原因はなぜかよく分からないのですが、少なくともこれが渋滞の原因だったのでした。で、我らが82番も警察の誘導に従ってウェスト・ハムステッド方面に迂回を始めたのですが・・・
一向に動かない!!!
ある場所の信号など、こちらの青信号は10秒そこそこの癖に赤信号は数分続くなどというひどい状態で、ものすごい時間をかけてようやく曲がれたと思ったら、そこも激しい状態が延々と。
イギリス人はこういったことに割りと我慢強いように思うのですが、それでもさすがにいらいらした空気が流れます。きれいな服を着たお姉さんが”F**king”と言ったり、お兄さんがどんどんと窓ガラスを叩いたり。
また、イギリスは路駐が至って普通で、これがこういった時の交通を見事に阻害してくれます。ある場所など、対向車線も数珠繋ぎのカーブで我らが82番が曲がることができず、その原因が路駐車+それを無理によけて変な角度になっていた対向車のせいとわかるや、別の男性が2階の窓からにらみつけるとか。
で、迂回区間がようやく終わり、フィンチリー・ロードに戻ってきたときは、みんなが「お、戻ってきた!」と言って空気が和らいだのは面白いです。
で、バスはようやく、本当にようやく最寄のバス停に着きました。時間は9時半。考えてみれば2時間もの間82番に乗っていたのでした。東京から新幹線に乗れば、米原と京都の間くらいまで行ってしまいそうな時間、冬のジェット気流が速い日に上海から離陸した飛行機なら成田に着いてしまいかねない時間です。さすがにくたびれましたよ。
…ま、それでも、これが中国だったら、渋滞は、さらにカオスだっただろうし(お互い譲りあわない車文化ですから)、どこかで喧嘩が始まっていただろうし(車同士、乗客同士、乗客と運転手、などなど)、クラクションはそれこそけ鳴り止むことがなかったことでしょうし、その結果時間だってもっともっとかかったことでしょう。路駐の酷さを除けば、イギリスの交通マナーは比較的よいので、2時間でもまだましだったのかもしれませんね。ただ、もう少し「何で道路が封鎖されているのか」の説明くらい欲しかったけど(運ちゃん、何も言わないんだな、これが。)。
ともあれ、交通機関についての運が全くなかった土曜日でした。
あ、そうそう、あと1つノーザン線に関する文句を。
この線、なぜかよくわからないのですが、ちょくちょく行き先が変わるんですよね。チャリング・クロス回りのはずが途中でバンク回りとなったり、ユーストンやイースト・フィンチリーで突然運行打ち切りとなったり。ある意味器用な運用と言えばそうなのですが、いわば新宿から乗った小田急線の本厚木行きが登戸辺りで「やっぱり唐木田に行きまーす!ごめんね♪」と言うのと同じこと。これ、外国人が初めて使う時は面食らってしまうし、車内放送を聞き逃したら知らないところに連れて行かれたりするわけで、なんとも厄介な話です。ま、ジモティーたちは慣れたもので、二言三言文句を言いながらも、おとなしく電車を降りてゆきます。余りあせらないのもイギリス人の気質なのでしょうか。
2012年2月26日日曜日
2012年2月21日火曜日
陶器の街で(その2)
というわけで、前記事の続き。
写真が少ないのはごめんなさい。
ウエッジウッド/ロイヤル・ドルトンのアウトレットショップには結局3時間ほどいたようで、店を出ると午後1時40分。さすがにお腹が空いています。
なので、Hanleyに戻って昼飯を食ってどこかのビジター・センターか博物館に行こうと思ったのですが、なんとなーく時間が中途半端となる予想。
横には未だ興奮気味の小鴨…
しゃーない、じゃ、別のアウトレットに行こう、ということになってしまいました。
ここにおいて、今回のストーク・オン・トレント旅行は、完全な買い物ツアーへと変容してしまったのでした。
で、目指すはDenbyというメーカーのアウトレットショップで、ウエッジウッドのアウトレットショップからは、目の前のバス停から、Hanleyとは逆方向のバスで行けるようです。
というわけで、やってきた34Xのバスの運ちゃんに「ここ行きたいねんけど、このバスでええのん?」みたいなことを言ったら、「行けるで、大体2時半頃着くと思うわ」とのことだったので、シングルチケット2ポンド/人を払ってバスに乗り込みます。
そして、予定の時間よりも遅れること約10分、バスの運ちゃんが「ここやで」と言ってくれたバス停で下車。
こんなところ。
…うーん、何もない田舎の住宅街のようなところです。
自分のパッションの赴くままイギリスにやってきた僕も、とうとう、こんな何の観光的要素もない田舎の辻にまでやってきたのでした…。
で、Denbyのアウトレットショップを探したのですが、それらしきものが見当たりません。結局、入った売店にいたお客さんのおばちゃんに教えてもらってやってきたのがイギリスでよくありがちな郊外型ショッピングセンターです。そう、Denbyのアウトレットショップは、ショッピングセンターのテナントの1つに過ぎなかったのです。ウエッジウッドのアウトレットのようなものをイメージしていた僕たちがなかなか見つけられなかったのは無理もありません。
そうそう、Denbyというのは、僕も今回はじめて知ったのですが、日本語のウェブサイトもありましたのでリンク貼っておきます。
http://denby.jp/
うん、風合いとしてはむしろ日本人にも親しみやすい雰囲気です。全体的にやや厚手で、シンプルな雰囲気がウェッジウッドとは異なる風格をかもし出しています。どちらかといえば、日本人受けしやすいかもしれません。
…結局、ここでも各人用のお皿4枚に大皿1枚を買ってしまいました。Imperial Blueというシリーズで、青がとってもきれいです(上記の日本語サイトには上がっていませんが、イギリス本社のサイトには上がってました。)今、日本での価格を見たら、大体その40%~70%引きかな。
ただ、ここでは日本への配送とかVAT還付手続とかは扱っていないということだったので、それからはえっさほっさとハンドキャリーせざるを得ませんでした…。
Denbyを出たのが結局午後4時前。そこから34Xのバスで来た道を戻ってHanleyに帰ってきたのでした。
おなかがすいていた僕たちは、早速パブに入ってパブ飯。僕もエールを飲んでほっとしたのでした。
その後、6時12分発のヴァージンの列車でロンドンへ。ユーストン7時42分着。地下鉄の連絡も絶妙のタイミングで、8時15分には家に着いていました。
ストーク・オン・トレント。
もともと小規模な6つの街が合併してできた、中国で言えばちょうど東ガンのような街。
それでも、陶器のアウトレットの掘り出し物目当てに多くの旅行客を集めているそうな。
そして、我々もone of themになったというわけ。
写真が少ないのはごめんなさい。
ウエッジウッド/ロイヤル・ドルトンのアウトレットショップには結局3時間ほどいたようで、店を出ると午後1時40分。さすがにお腹が空いています。
なので、Hanleyに戻って昼飯を食ってどこかのビジター・センターか博物館に行こうと思ったのですが、なんとなーく時間が中途半端となる予想。
横には未だ興奮気味の小鴨…
しゃーない、じゃ、別のアウトレットに行こう、ということになってしまいました。
ここにおいて、今回のストーク・オン・トレント旅行は、完全な買い物ツアーへと変容してしまったのでした。
で、目指すはDenbyというメーカーのアウトレットショップで、ウエッジウッドのアウトレットショップからは、目の前のバス停から、Hanleyとは逆方向のバスで行けるようです。
というわけで、やってきた34Xのバスの運ちゃんに「ここ行きたいねんけど、このバスでええのん?」みたいなことを言ったら、「行けるで、大体2時半頃着くと思うわ」とのことだったので、シングルチケット2ポンド/人を払ってバスに乗り込みます。
そして、予定の時間よりも遅れること約10分、バスの運ちゃんが「ここやで」と言ってくれたバス停で下車。
こんなところ。
…うーん、何もない田舎の住宅街のようなところです。
自分のパッションの赴くままイギリスにやってきた僕も、とうとう、こんな何の観光的要素もない田舎の辻にまでやってきたのでした…。
で、Denbyのアウトレットショップを探したのですが、それらしきものが見当たりません。結局、入った売店にいたお客さんのおばちゃんに教えてもらってやってきたのがイギリスでよくありがちな郊外型ショッピングセンターです。そう、Denbyのアウトレットショップは、ショッピングセンターのテナントの1つに過ぎなかったのです。ウエッジウッドのアウトレットのようなものをイメージしていた僕たちがなかなか見つけられなかったのは無理もありません。
そうそう、Denbyというのは、僕も今回はじめて知ったのですが、日本語のウェブサイトもありましたのでリンク貼っておきます。
http://denby.jp/
うん、風合いとしてはむしろ日本人にも親しみやすい雰囲気です。全体的にやや厚手で、シンプルな雰囲気がウェッジウッドとは異なる風格をかもし出しています。どちらかといえば、日本人受けしやすいかもしれません。
…結局、ここでも各人用のお皿4枚に大皿1枚を買ってしまいました。Imperial Blueというシリーズで、青がとってもきれいです(上記の日本語サイトには上がっていませんが、イギリス本社のサイトには上がってました。)今、日本での価格を見たら、大体その40%~70%引きかな。
ただ、ここでは日本への配送とかVAT還付手続とかは扱っていないということだったので、それからはえっさほっさとハンドキャリーせざるを得ませんでした…。
Denbyを出たのが結局午後4時前。そこから34Xのバスで来た道を戻ってHanleyに帰ってきたのでした。
おなかがすいていた僕たちは、早速パブに入ってパブ飯。僕もエールを飲んでほっとしたのでした。
その後、6時12分発のヴァージンの列車でロンドンへ。ユーストン7時42分着。地下鉄の連絡も絶妙のタイミングで、8時15分には家に着いていました。
ストーク・オン・トレント。
もともと小規模な6つの街が合併してできた、中国で言えばちょうど東ガンのような街。
それでも、陶器のアウトレットの掘り出し物目当てに多くの旅行客を集めているそうな。
そして、我々もone of themになったというわけ。
2012年2月19日日曜日
陶器の郷で(その1)
なんかロンドンに引きこもるのが嫌になった僕が小鴨に「よし、週末どっかでかけよう」と言ったのが先週の火曜日か水曜日。
で、切符をネットで買って土曜日に出かけたのが、イングランドの焼き物の街として名高いストーク・オン・トレントです。
ストーク・オン・トレントは、ロンドンから北に約200キロ。バーミンガムとマンチェスターの間になるのかな。でも、ロンドンからはヴァージン・トレインズのユーストン発マンチェスター・ピカデリー行きインターシティ(都市間連絡列車)でわずか1時間半!ユーストンは、僕たちの住んでいるところから一番近いターミナル駅であることも相まって、なかなかの好アクセスです。切符代は、一人片道29ポンド(3700円くらい?)。まあ、距離を考えたらそんなもんかな、という感じです。もっと早く予約しておけば、もっと安かったかもしれないけど。
で、8時ちょうどにユーストンを出たヴァージンのインターシティは、一路北へ快走します。どこでも寝られる小鴨が早速爆睡モードに入った傍らで、僕は、月曜日の授業の予習のための論文を読み始めます。と、カーブで体がふわっと浮き上がる感覚がしてふわっと元に戻りました。
…そうなんです、この列車、ペンドリーノという、ヨーロッパでポピュラーな振り子式車輌だったのです(振り子式車輌がどんなものか、ってのは、ここでは省略ね。)。うーん、この感覚、昔松山に住んでいた頃宇和島方面に行く時に乗った特急「宇和海」が伊予市の南で海線と別れて内子に向かって爆走を始めた時の感覚に近いなー(←細かすぎやな)、なんて思いつつも、車輌が元気に振り子モードに入っている中で細かい字と格闘すれば簡単に乗り物酔いになってしまう、と思って、論文は少し読んだところでギブアップ。車窓に広がるイングランドの田舎の風景を眺めていたのでした。あと半年もすれば、そういった景色も自由に見ることもなくなると思えば、少しでもそれを目に焼き付けたくって。
ペンドリーノの車内。乗車率はそんなに高くありませんでした。でも、なかなか快適な道中でしたよ。この写真の奥に、薄緑(薄青?)の服を着ている男性が写っているけど、この人は、どうもBBCのある歴史ドキュメンタリー番組で司会をやっている人らしいです(小鴨曰く)。ともあれ、この男性、同行の何人かと書類を見るなどして車内でも仕事に余念がない模様でした。
で、たどり着いたストーク・オン・トレント駅です!
駅名標。ストラトフォード・アポン・エイヴォンしかり、こんな地名になっているのは、ストークやらストラトフォードという地名がイギリスにはたくさんあるからで、「○○川のほとりの××」てな具合の地名をつける必要が生ずるわけですな。そういう意味ではon以下は、日本で旧国名を冠するようなものですね(大和高田とか、河内長野とか。)。
駅を後にするヴァージンのペンドリーノ。10両位の編成だったかな?これは、電車でした。
…と、隣のホームに、ローカル列車が入線。それが何と1両だけ!それもディーゼルカー。こんな長いホームがもったいないよ、と思ったら…!
こちらのホームにも同じように単行ディーゼルカーのクルー行きが入ってきました。まあ、こんな風景、山形とか秋田ならばそんなに珍しくもないのかもしれませんが、新幹線と在来線が同居するような不思議な感覚を覚えたのでした。
===
…で、僕らがこの街にやってきたのは、ここがウエッジウッドなどのイングランド有数の窯元のビジター・センターに行くという目的に加え、いくつかある陶器のアウトレットショップが格安だという噂を聞いたからでした。
で、まずは情報収集ということで、この市の中心に当たるHanleyという場所までバスで移動((地球の歩き方で「ヘンリー」と書いていたので、この場所がHenryだとすっかり勘違いした僕は、バスの運ちゃんに「Henryまで」と言ったら全く分かってもらえませんでした。City Centreといってようやくわかってもらった次第。やっぱり日本語に依存しすぎるのはあきまへんな。)。そこのツーリストインフォメーションセンターでヴィジターセンターやアウトレットショップのリストをゲット。で、時間とアクセスの都合からまずはウェッジウッド&ロイヤル・ドルトンのアウトレットショップに行ってみようということになりました。
このアウトレットショップまでは、Hanleyのバスターミナルから34又は34Aのバス(乗り場はナショナル・エクスプレスのコーチ乗り場に近い方でちょっと分かりにくいかも。)で約10分。片道2ポンド/人、往復3ポンド/人です。
ともあれやって来ましたアウトレットショップ。プレハブの外観は、いかにもアウトレットショップ!
中では、かの有名ブランドの焼き物が余り高級感なく(?)並んでいます。ま、倉庫のような感じではありませんが、それでもデパートで見る感じとは明らかに違います。
肝心の価格なのですが、ネットでの情報では、ウェッジウッドの事実上の破綻以来値引率は悪くなっているという話もあったのですが、それでも探せば格安のものが見つかります。例えば、ワイルドストロベリーのマグが5ポンドとか。お皿もそれほど手の込んだ絵付けがないシリーズならば、1枚2.5ポンドとかで売られています。ウェッジウッドのマークが入っていない真っ白のカップ(でも、その形は紛れもなくウェッジウッドそのもの!)に至っては、1.5ポンドです(もっとも、ソーサーをあわせれば更に1.5ポンドかかっちゃうけど、それでも3ポンドとはお得じゃないですか?)。
実は僕らは、上海時代に結婚しているので、日本には「自分たちの食器類」というのが全くありません(僕が独身時代に個人で集めた酒器の充実度はそれなりですが。)。上海でも、基本的には借りた部屋に備え付けの食器を使っていたし。
というわけで、いずれにせよ今年日本に戻れば食器を買わなければならないわけで、それならばある程度はここで買ってしまおう、というのが今回のアウトレットショップ来訪の目的でした。訳あり品なので、多少傷があったりしますが、それでも実用には何らの支障もないものばかり!何気に使っているのがウェッジウッド、なんてのもちょっとおしゃれじゃないかな(それもアウトレット品など、イギリスで「しか」買えない代物じゃないですか!)と思った次第。
…というわけで、結局ああだこうだと悩んだ挙句、これだけのものを買ったのでした。
・皿・・・大小合わせて14枚(うち4枚はやや高級で約16ポンド/枚ですが、それ以外は2.5ポンド/枚)
・カップ&ソーサー…デミタス、ティー、コーヒーを2セットずつ合計6セット
・ティーポット
これで日本への送料(約35ポンドくらい)を含めて、合計150ポンドほど。日本円で17000円弱かな。ウェッジウッドであることを考えれば、かなり安いと思いませんか?ちなみに、付加価値税の還付手続もちゃんとやってくれますので、なかなか利用価値が高いです。
で、何をどのくらい買うかいろいろ悩んでしまったので、来月渡英予定の我が母親に電話でアドバイスを求めたりしたのですが、話しているうちに、母親の口から、「次に来たときには云々」との話が!
実は、母親も結構陶器屋を見て回るのが好きな人。そのおかげで今、実家には食器があふれ返っているのはご愛嬌。で、僕もその遺伝子を受け継いで陶器好きだし、折り悪く(?)小鴨も陶器が好きなのです。そういうこともあり、また、僕が久しぶりに財布の紐を緩めて買い込んだこともあり、小鴨は興奮状態でした。
そして・・・
そして・・・
(続く)
2012年2月8日水曜日
挽歌
今日、伯父が亡くなりました。
インフルエンザで。
91歳なので、年齢的には大往生と言っても差し支えないのでしょうが、直前までとても元気だったのがインフルエンザであっけなく逝ってしまったことが、とても悔しくてなりません。
たかがインフルエンザ、というわけではないのですが、(理屈では分かっていても)まさかインフルエンザで命を落とすなんて…と思わずにはいられないのです。
この伯父は、僕の父親の姉の夫なので、直接の血のつながりはありません。歳もものすごく離れているので、何か行動を共にする、ということがあったわけでもありません。それでも、会えばとても気さくな人でした(若かった頃は、さぞかしハンサムだったのではないかと思います。)。なので、(後述する事情もあり、)この伯父に会うのが帰省する楽しみの1つでもありました。
この伯父は、無類の酒好きでした。いかにも酒を慈しむような、愛でるような感じで、そのお猪口の持ち方、その掲げ方、口の近づけ方など、その1つ1つがとても絵になる酒の飲み方をしていたものです。そしてそれは、僕の酒の飲み方の一つの理想型にすらなっています。
日本に帰ってまた酒を飲むのを楽しみにしていたのに…。
今日の昼、日本からその電話があった時、僕はちょうど勉強をする気がなく訪れた大英博物館から出たところでした。そして、僕はその電話を受けながらレスタースクウェアまで歩き、パブに入ってエールで弔い酒を傾けたのでした。
でも、飲みながら、うーむ、やっぱりエールは伯父の弔い酒としてはあまりふさわしくないかも、と思ったのでした。
===
そして、さっき、夕食をとった後、伯父の好きだった日本酒の熱燗で、弔い酒の仕切り直しをしたのでした。日本に帰って送り出すことのできない非礼を詫びつつ。
インフルエンザで。
91歳なので、年齢的には大往生と言っても差し支えないのでしょうが、直前までとても元気だったのがインフルエンザであっけなく逝ってしまったことが、とても悔しくてなりません。
たかがインフルエンザ、というわけではないのですが、(理屈では分かっていても)まさかインフルエンザで命を落とすなんて…と思わずにはいられないのです。
この伯父は、僕の父親の姉の夫なので、直接の血のつながりはありません。歳もものすごく離れているので、何か行動を共にする、ということがあったわけでもありません。それでも、会えばとても気さくな人でした(若かった頃は、さぞかしハンサムだったのではないかと思います。)。なので、(後述する事情もあり、)この伯父に会うのが帰省する楽しみの1つでもありました。
この伯父は、無類の酒好きでした。いかにも酒を慈しむような、愛でるような感じで、そのお猪口の持ち方、その掲げ方、口の近づけ方など、その1つ1つがとても絵になる酒の飲み方をしていたものです。そしてそれは、僕の酒の飲み方の一つの理想型にすらなっています。
日本に帰ってまた酒を飲むのを楽しみにしていたのに…。
今日の昼、日本からその電話があった時、僕はちょうど勉強をする気がなく訪れた大英博物館から出たところでした。そして、僕はその電話を受けながらレスタースクウェアまで歩き、パブに入ってエールで弔い酒を傾けたのでした。
でも、飲みながら、うーむ、やっぱりエールは伯父の弔い酒としてはあまりふさわしくないかも、と思ったのでした。
===
そして、さっき、夕食をとった後、伯父の好きだった日本酒の熱燗で、弔い酒の仕切り直しをしたのでした。日本に帰って送り出すことのできない非礼を詫びつつ。
2012年2月4日土曜日
複数言語環境その2
タイトルの理由は、同じタイトルで以前書いたことがあるから。
ただ、今日は、以前のように英国を語るのではなく、自分自身のこと。
母語以外の言語を話す時ってのは、往々にして脳内で母語との変換作業を行うわけですが、これも慣れてくればその変換作業もかなり減ってきます。つまり、その言語が複雑な思考回路をそれほど経ることなく出てくるようになるってことです。ま、僕の場合には、ネイティブレベルに達することは端からあきらめていますので、「日常の基本的なコミュニケーションと仕事に堪え得る程度のレベル」においてですが。
まあ、30を越え、酒でいかれた脳には、このようになるまでは相当時間がかかるわけですが、中国語の場合には、上海駐在の終わり頃には何とか目標とするレベルまでは概ね達したのかな、という感じだったかな。翻って英語の場合には、本格的にやりだしてからまだ2年弱ということもあり、正直どのレベルなのか分からないのですが、ただ、今のところは、中国語のようには自由に表現できない(否、もしかしたら、英語の方こそ中高時代の基礎があるためにより複雑な表現を求めようとしているが故の苦しみなのかもしれません。)ような気がしてならないのです。まあ、ぱっと言葉を変える際に、中国語のほうが滑り出しがよいかな、という感じでしょうか。
で、最近困っているのは、次の2つ。
まずは、日本語―外国語のコンバートは、比較的流れに乗ってやりやすいのですが、外国語―外国語のコンバートは非常に難しい(文法から語彙からごちゃごちゃしてしまう)こと。例えば、この間の話。僕の論文のテーマのことでマレーシア(華人)と話をしていたのですが、そもそも日本語ですらちゃんとまとまっていないアイディアを英語で話すのは至難の業で、僕があーうー言っているのに業を煮やした彼女は「中国語で話して」とリクエスト。でも、中国語に切り替えても英語とごっちゃになったり、適切な中国語の表現が浮かんでこなかったりしてより混乱してしまい、会話にならずに大恥をかいちゃいました。
でも、これは外国語学習という側面からは比較的面白い話なのかもしれません。つまり、外国語を複数やると、当初は、外国語相互間に絶対的な優劣がつきます。なので、劣勢の外国語から優勢な外国語にコンバートすることはさほど難しいことではなく、逆に優勢から劣勢へのコンバートはほとんど不可能になる(優勢外国語がほぼ完全に支配する)わけです。ところが、当初劣勢であった言語に次第になじんでくると、その優劣のギャップが小さくなり、そうなってくると、相互に相手の言語が侵入しあったり、「どっちの言語で考え、話しているのか」分からない状態になってしまったりしてしまうわけです。おそらく僕は今中国語と英語に関してはそんな感じの状態で、これを抜ければトライリンガルへの明るい世界が待っているのでしょう。
でも、それは難しいんだろな…。
つか、もっと英語を話さないと(今僕に一番かけているのは、スピーキング!)…。
で、2つ目。
家では普段日本語を使っているのですが、小鴨との間で単発的に出てくる中国語の語彙は、往々にして(冗談で言い合っていることもあり)四川語のアクセントが多いんですよね。それに加えて、小鴨が電話で誰かと話す場合でも、まず四川語なわけで、どうも僕の中国語がどことなく四川語のアクセントっぽくなっているらしいのです。
それが証拠に、この間の春節の日、小鴨が上海時代の同僚(僕も知っている人です。)にあけおめコールをしたのですが(相手は西安人なので、普通話での会話です。)、その後電話を替わって僕が行った第一声「新年快楽!」が、どうも四川っぽいアクセントになって不自然だと自分で感じたとともに、その友達も「Mimakiirihikoの中国語、なんだか四川っぽい」といわれてしまいました。
うーん、いかんいかん。
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