2012年8月19日日曜日

ロンドン最後の夜

ほんと、ものすごく間隔が空いてしまいました。
この間何をしていたかを要約すると、
・5月の末に試験が終わった。
・6月の初旬にスペイン(バルセロナ&グラナダ)に1週間ほど旅行し、ガウディの建築群とアルハンブラ宮殿とすばらしきスペイン料理に感動。
・スペインから戻ってきてからは論文をひたすら書き続ける。当初はメインでない論点でもたつきまくり、その後も遅々として進まない状態が続き、7月頭で3500語/15000語。その後もとにかく調べて書いてを繰り返し、昼と夜とが逆転しながら7月26日にとりあえず形を作る。但し2000語オーバー。その後は削除しながら推敲を繰り返すが、直せども直せども誤りが見つかり半狂乱に。
・論文の一方で、とある新しい言語の学習を始めたが、論文が忙しくなりすぎて1か月でギブアップ(これはこれからの継続案件となります。)。
・8月2日に論文提出を予定し、かつ、一応の形が出来上がったように見受けられたものの、今一度形式面のチェックをする必要があると思い、もともと予定していた8月3日から8日までのローマ・リスボン旅行に論文も連れて行く。結局、昼は観光、夜は論文推敲となったのだが、貫徹1回、超深夜帯睡眠複数回と、仕事顔負けの状態に。それでも出てくるわ出てくるわのミステイク。
・ヘロヘロになりながら8日にロンドン戻り。その夜も4時頃まで格闘。翌朝もまだ基本的な部分でのミステイクが発見されたりしながらも、とりあえず全部見たということで製本→押し付けるようにして提出。
・提出したその足でグリニッジに行って、オリンピック馬術のドレッサージュ決勝を観戦。すっかり腕を日焼けする。
・翌10日は、ロンドンにやってきた職場の同僚とカーディフにフットボール男子3位決定戦を観戦。君が代を心を込めて歌い応援に臨んだものの見事な敗戦。周囲にはこれだけのために日本からやってきたマジもののサポーターたちがいて、「日本代表のために命を賭けている人たち」が本当にいることを改めて確認した。弾丸ツアーだったので、ロンドンには深夜2時戻り。
・11日からはスイスのE嬢夫妻が我々の見送りのために来英。続けて12日には台湾のC嬢夫妻(新婚旅行!)が来英。以後、6人が一つ屋根の下すごすことに。
・そうは言っても引越しの準備をしなければならず、こちらもあたふた。
・そのくせ2度目のオペラ座の怪人などを見てしまったりする。
・そのくせ15-16日、みんなでボーンマスに行って語学学校の先生やスタッフと会ったりして、その上1泊したりする。
・17日にフラットをクリーニング業者に明け渡し、我々はリッチモンドのフラットに移動。リンゴの木のある庭の風情は申し分ないが、前日寝冷えした僕は激しい下痢に悩まされる。
・18日、元のフラットを正式にチェックアウト。お世話になった日本人の美容師のところで最後のヘアカットをし、リッチモンドに戻ってみんなで夕食をして今に至る。

うーん、こう並べてみても本当にいろいろなことがありました。でも、やることが多すぎてブログを書く気力がなかったのでした(まあ、フェイスブックには時折書き込んでいましたけどね。)。

でも、2年の留学も、これが本当に最後の夜となりました。
明日の夕方、僕たちはロンドンを発ち、ドバイでストップオーバーして、23日に成田着です。

最後の1週間は、E嬢・C嬢夫妻と一緒でなかなかしみじみとロンドンの最後を味わう時間はありません(今もありません)が、それでも、今日は精一杯最後のロンドンを目に焼き付けようと、美容院からリッチモンドに戻る途中、ホルボーンで下車して大学の辺りなどを少しふらつきました。確かに自分はこのロンドンの街に足跡を残したのだと、自らの足元を確かめつつ。

それにしても、この2年間の留学は、僕たちにとても大きいものを残してくれたように思います。
もう、それは「体で感じるもの」であって、なかなか言葉では言い尽くせません。
ただ1つ言えることは、今がイギリスからアジアに戻るちょうどよい潮時だということ。そうでなければ、ロンドンを本当に離れたくなくなってしまいそうで。

来る前のイギリスに対する僕のイメージは、「老いた大国」で、大英帝国の遺産を食い潰しつづけている国、というものでした。そして、それはある一面では正しいとも今でも思います。
でも、イギリスはそれと同時に、「常に新しいものを生み出そうとする、ビート感のある国」であるということも感じずにはいられません。特にロンドンは。この国、意外に(?)クリエイティブなのです。そういったイギリスの奥深さに魅力を感じずにはいられない生活でした。

そして、自分の生き方についても、いろいろ考えることも多かったかな。そして、得られた結論は、「やっぱり僕には『攻める人生』しかないのだろうな」ということでした。40も近くなれば、人間往々にして守りに入るのが普通ですし、僕自身も今回の留学までが自分の人生の「インプット期間」であって、後は自分のある環境の中でそれを守る人生を送るべきだと考えていました。

…でも、それは、僕には当てはまらなかったようです。

どうも、この留学は、何かの終わりではなく、これからの始まりのための出発点(ないしは準備作業)のようなものだったようでした。
これからも僕は、やっぱり自分の可能性を求めてただただ積極果敢に攻めていけるだけ攻めるしかないようです。これに関しては、決して楽な人生ではないだろうな、と思いつつも、それしか道がないのだと、もう覚悟は決めました。

ずっと間隔が空いた分、思ったことの3割も書けていませんが、それでもかなりの長文になってしまいました。
明日の朝は荷物を再整理して、空港に行って、友人たちと別れを交わすことになります。

ロンドン最後の夜。
横で既に眠りに落ちている小鴨の顔を見ながら、改めてこの留学の成功を、ささやかに、でも、確信を持ってここに宣言いたしましょう。

ありがとう、イギリス。
また会おう、ロンドン。

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