江南春。きっと多くの人が高校の漢文の時間に出会ったことのあるはずの杜牧の傑作です。
⇒「江南」と聞いてソウルしか思い出せないアナタ!相当の韓流中毒のようです。ほかにも関心分野を広げましょう。
⇒「江南春」と聞いて「剣南春の間違いではないか?」と思ったアナタ!相当の白酒(バイチュウ)中毒のようです。ついでに僕のために一瓶送ってください。
ともあれこの絶句、とてもシンプルな構造にもかかわらず、読み下したときの言葉のリズムのよさや、とても絵画的な描写(なんとなくゴッホが描いたプロバンスの風景に相通ずるものがあるように感じるのは、気のせいでしょうか?)が僕の感性に妙にしっくりするのです。
そして、この詩は、いろんなところで僕に影響を及ぼしてきたのが面白いな、と。
まず1998年に始めて中国に行ったときにあえて春の上海・蘇州を選んだのは、この詩のことが頭から離れなかったからにほかなりません(うーん、「夜来香」と「蘇州夜曲」も重要な要素なんだけどね。)。
で、中国人と交流するようになってからも、「僕は漢文に興味があって、杜牧の江南春など好きですよ」なんてことを一言言ったらものすごく喜ばれたことも一度や二度ではなく(いうまでもなく、この詩は中国人にもとても有名です。)、その意味で中国人とのコミュニケーションの潤滑油にもなってくれました。
もちろんこの詩、現代中国語で読んでもgoodです。現代中国語は唐代の発音とはかなり違うので詩の中には現代中国語で読んでもしっくり来ないものもありますが、この詩は現代中国語でもリズムが良いような気がします。
で、杜牧が描いた風景、具体的にどこなのか、浅学の僕には分かりませんが、僕の個人的な経験の中からでは、紹興あたりがなんとなくしっくりくるかなかぁ(まあ、家族で出かけて、親父と昼から紹興酒を飲んだくれた良い思い出があるからかもしれませんが)。
そして今日。授業中にふと思い出してしまったんです。江南春。
そういえば季節は既に春。といってもここはアジアとは全く違う雰囲気ですが、僕の一番好きな季節であることには間違いなく、ふと授業中のノートに書き出してしまったんです。
今年の現実の春は、少なくとも日本の場合には、浮かれている場合ではないのかもしれませんが、それでも、絵や音楽、そしてこのような文学の中にこっそりと春を感じてみても良いのではないでしょうか。
江南春 杜牧
千里鶯啼緑映紅 千里 鶯啼きて 緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風 水村山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝 四百八十寺(※)
多少楼台煙雨中 多少の楼台 煙雨の中(うち)
※たしか、「しひゃくはっしんじ」と読むんですよね、ここでは。
* * *
そうそう、最近、クラスメイトの全員がなんだか眠そうなんですよ。
ヨーロッパの学生などは、クラビングに忙しいのかもしれませんが、ともあれみんなお疲れモード。
まあ、僕も春はいつもそうだよな、と思っていたら、おなじみのこのフレーズが…
春眠不覚暁 (春眠暁を覚えず)
…おお、孟浩然さん、1年ぶりのお出ましで。
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