2013年5月26日日曜日

八百万の神

以前、「日本は神の国」発言で結局辞任にまで追い込まれた首相がいましたね。
ま、これもマスコミの一種の揚げ足取りだという話もあるとかないとか。でも、それはこのブログではどうでもいい話。

ロンドンに住んでいた頃、イギリスやその他のヨーロッパの国を巡っていると、どんな街にも必ず大体中心に教会があって、これって、言ってみたらお寺や神社がどの町にもあるようなもの(それが街の中心にあるかどうかは別にして)かなあ、と思ったことがあります。

でも、よーく考えてみると、どの街にもあるこういう教会は、結局キリストと一体のものとされる神(三位一体説を採りましょう。)のためのものなんですよね。まあ、キリスト教が一神教である以上、そういうことになるわけですが。ついでに言えば、ユダヤ教のシナゴーグも、イスラームのモスクもそういう唯一神(うーん、又○イエスじゃないよ!)のための宗教施設なので、こういった宗教が支配的地位にある地域では、宗教的には、その地域はそういうただ1つの神がprevailしているという考え方がメジャーになるのかな、と思うわけです。

翻って日本。僕もそうだけど、神道と仏教を同じレベルで尊重している人がマジョリティーな世界です。でも、これって、世界的にはかなり変わった宗教観かもしれません。実際、ヨーロッパでヨーロッパ人にもムスリム系の人にも、「え?どういうこと!?」とびっくりされたことがあります(ま、ある人には、「八百万の神」をそのまま"8 million Gods"といってしまったのもまずかったのかもしれませんが!!)。
で、特に神社がそうなのですが、一見おんなじような形(鳥居があって社殿があって云々)であっても、「ご祭神」が神社ごとに異なるのが上記の教会やモスクとは根本的に違いますよね。日本ではきわめて自然なことであっても、よく考えればこれってかなり面白いなあ、と改めて思うに至った次第です。

というわけで、この週末、またなんとなく車で出かけたくなって、ここはひとつ明治以前から「神宮」と呼ばれていた3つの神社(神宮)の1つ、香取神宮に行ってみようと思い、実行しました。小鴨は花屋バイトなので、僕一人でね。

三号渋谷線→湾岸線→東関道と高速を飛ばすこと1時間半ほどでやってきました千葉県は香取市。インターを降りると程なく到着です。
さて、修理中の大鳥居から参道に入ると、マイナスイオンたっぷりの森!
気温も適度で、快適なこと限りなしです。そして、どことなく厳かな雰囲気も漂います。この感覚、例えば伊勢神宮なんてすごいわけですが(なんか空気自体が違う感じ!)、香取神宮もなかなかのものです。



で、歩くこと数分で、社殿付近に到着。まずはお清めしましょう。



なんか気が引き締まりますね。この感覚、なんかすきなんです。

で、社殿に入ろうとするのですが・・・



社殿(上の写真では、門の奥)は、あいにく修理工事中で網がかぶされています。
でも、ちゃんと神事は行われていて、僕も二礼二拍手一礼で参拝。
なお、鹿島神宮のご祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。「天照大神のご神勅を奉じて国家建設の基を開かれ国土開拓の大業を果たされた建国の大功臣」(香取神宮のご由緒書から)とのことです。歴史学的にはただの伝説で研究の対象にならないのかもしれませんが、過去にあった何かの事実(又は実在の人物?)がこのような神様の存在として記憶に語り継がれているんじゃないか、それならば一体何があったのか、と想像するだけで気持ちがわくわくしてしまいます。

それにしても、ここは成田空港からも更に東の利根川沿いの水郷地帯。
なんでこのようなところに、非常に古い、それも「神宮」と呼ばれるほどの格式の高い神社が存在するのか(ちなみに、この地域はもう1つの「神宮」である鹿島神宮もそれほど遠くないところにあります。)、と思うにつけ、1500年から2000年ほど前のこの地域とは一体どのような場所であったのか、という疑問が湧いてきてしまいます。これこそ古代史のミステリー!

・・・なんか、中高生の頃の僕が戻ってきたような感じだな。
古墳やそれにまつわる日本古代史にどっぷり浸かって、将来は橿原考古学研究所に行きたいとすら思っていたあの頃の。

ともあれ、この地域、今もなお豊かな水郷地帯。この写真のような。



米を作り、その土地で信仰されている神にささげる…その営みは形こそいくらかは変わっていても、本質は同じなんだろうな、と思います。

八百万の神のまします国に戻ってきたんだな。僕は。


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